第8話:ラーメン並んでもポイントが足りない
【未来生存率:3%】
【現在残高:12ポイント】
「お腹が、空きすぎて……視界がパステルピンクじゃなくて真っ白……」
日曜日。
私は退院したその足で、エリア0012の街をふらふらと歩いていた。
一週間のゲーム廃人生活からの、まさかの三日間の強制入院。病院で出されたのは、宇宙食のような味気ない『栄養レーション食(チューブ入り)』のみ。
私の胃袋は、今や完全に飢餓状態の限界を迎えていた。何か固形物を、ちゃんとした人間が食べるご飯を噛み締めたい。
「サキちゃん、退院おめでとうございます!」
「おめでと〜!ってことでさ、今日はヨルぴーと私でサキっちの『退院祝い』に連れて行ってあげるよ!!」
「え、マジで? 珍しく2人が奢ってくれるの? じゃあ、お洒落なカフェのテラス席で優雅におしゃれハンバーガーとかパンケーキとかさ──」
「ここだよ!!」
蛍子が嬉しそうに指差した先──ダウンタウンの片隅に、禍々しいほどの熱気と濃厚な香りを放つ黄色い看板のプレハブ小屋があった。
『デカ盛麺専門:ラーメン花子』
ドドン!! という効果音が脳内で聞こえた気がした。
「……は?」
そこにあったのは、お洒落なパンケーキとは程遠い、配給所もびっくりの長蛇の列だった。
軽く見積もっても100人は並んでいる。
「ちょっと蛍子、正気? 100人くらい並んでるんだけど。食べるまでに餓死する。確実にここで死ぬ自信がある……それにこの並びの時間をポイント稼ぎに使えばどれだけ……」
「バグ言っちゃいけないよ。ラーメンはポイントじゃないんだよ? それに、この待ち時間こそが、最強のスパイスなんだから。ほら、近くに行ってみなよ」
お洒落なカフェの夢を打ち砕かれ、半ギレになりながら店の前を通り過ぎ、列の最後尾へ近づく。
その瞬間だった。
──ブワァァァァン……。
プレハブの換気扇から、芳醇な豚骨醤油と、極限まで煮込まれたチャーシュー、それと食欲を狂暴にそそるニンニクの香りが、風に乗って私の鼻腔を直撃した。
「ッッッ……!!!!!(ガチで脳のシナプスがハじけた顔)」
3日間のレーション食で干からびていた私の脳が、圧倒的なカロリーの存在を感知して一瞬で理性を消し飛ばした。
頭がおかしくなりそうなほど良い匂いだ。
まだ食べてないけど、絶対に美味い。
「……並びましょう。」
「え?」
「今すぐ並びましょう」
「サキちゃん、目が完全に据わってます……!」
「JIMI、この行列、入店までどれくらい?」
『120分待ちだよサキちゃん♪ ちなみに、蛍子ちゃんとヨルちゃんたちから貰ったお見舞い金の【500ポイント】が口座に入ってるから、財布はちょっと温かいね★』
「2人とも、お見舞い金ありがとう(涙)。これがあれば大盛りも怖くないわ……!」
じりじりと照りつける太陽の下、私たちは美味しそうな香りに包まれながら、ただひたすらに耐え続けた。
──120分後。
頭が朦朧とし、いよいよ限界を迎えた頃、ようやく私たちは店内の狭いカウンター席へと滑り込んだ。
店内はキンキンに冷房が効いていて、さらに濃厚なスープと刺激的な香りに包まれていて天国かと思った。
マジで。
目の前に置かれたプラスチックの食券。
首にタオルを巻いたガタイのいい店員が、ギロリとこちらを見て、だけどどこか優しく微笑んだ。
「お、嬢ちゃんたち珍しいね。注文決まったかい?」
「大のぜーんぶマシマシ硬め濃いめの温玉トッピングで! あ、タマネギは抜きで★」
まずは蛍子がいつも通りのテンポで弾けるように呪文を唱えた。
「私……小で。普通でお願いします。食べきれないと困るので……」
続いてヨルが、少し控えめに食券を差し出す。
それを見届けた私は、120分間の空腹の怒りと、3日間の絶食の恨みを込めて、迷わず「大」の食券をカウンターに叩きつけた。
「私も大で。麺硬め、マシマシでお願いします」
「お、嬢ちゃん大いける? うちの『大』は普通の店の5倍はあるよ?」
店員が心配そうに私を覗き込む。
すかさず隣のヨルが、本気で引いた顔をして私のブレザーの裾を引っ張った。
「ちょっとサキちゃん!? 大丈夫ですか!? 5倍ですよ!?」
「いけます。今の私なら地球だって平らげられるわ。ニンニクもマシマシで!」
「オッケー、威勢がいいねぇ!」
私の理性は、完全に消し飛んでいた。
宇宙人に負けてたまるか。
そして──。
「はいよ、大マシマシね! チャーシュー1枚おまけしといたよ!」
ドンッッッ!!!!!
「こ、これは…山!?」
目の前に、もやしとキャベツの『山(標高30センチ)』が爆誕した。
濃厚な背脂がきらきらと輝き、凶悪なチャーシュー連峰が鎮座している。
私は無言で、割り箸をその山へと突き立てた。
太い、まるでうどんのような極太麺を引っ張り出し、口の中へ強引にねじ込む。
──ズ、ズズッ。
「…………ッッッ!!!!!」
脳髄に直接、衝撃波が走った。
3日ぶりの本物のカロリー。
スープの暴力。
美味いとかそういう次元じゃない。
細胞の一つ一つが歓喜の声を上げ、ここまでの過酷な入院生活も、120分の苦行も、すべてがこの一瞬のために全肯定された気がした。
「なにこれ……最高じゃん……。並ぶ時間も含めて、脳を幸せにするトラップでしょこれ……」
「でしょ!? 言ったじゃん! これはただの食事じゃない、一つのエンタメなんだよ!」
蛍子はすでにマシーンのような速度で麺を吸引し、一瞬で完食していた。
一方の私は──。
最初の五口は天国だった。
六口目から地獄だった。
後半に押し寄せる「小麦粉の地獄」に直面し、半べそをかきながら命がけでスープを飲み干した。
ふぅ……。
お腹を限界まで膨張させた私たちは、ゾンビのような足取りで店を出た。
お腹がいっぱい。
もう世界なんてどうでもいい。
私が幸福な賢者タイムに浸りながら息を吐いた、その瞬間だった。
「……あれ?」
ヨルが、声を漏らした。
「次のお客さんーどうぞってええ!?なんだこりゃ!!」
店員の慌てた声で振り返る。
「は!?なにこれ。」
「やっばー!!すごっ!!」
おかしい。
何かが、決定的にバグっている。
さっきまで百人程度だった『ラーメン花子』の行列が、国道の先、ビルの合間をすり抜け、地平線の彼方までパステルピンクの波のようになって果てしなく伸びていたのだ。
数万人規模の人間が、一列に並んで虚空を見つめている。
『警告、警告★ ラーメン花子の局所的な人気エネルギーが、エリア0012の「行列の概念」をバグらせちゃったよ♪ 行列時空の歪みが発生中!
このまま放置すると、エリア0012全域の人間がラーメンを食べるために永遠に並び続けるだけの「待機奴隷」になって、世界が機能停止しちゃいまーす♪』
「なにか来てますね…」
地平線の彼方から、巨大な食券機の形をした禍々しい怪異が、バグノイズをバリバリと鳴らしながら迫ってくるのが見えた。
「はぁ……。世界の危機……。戦闘……」
私は、自分の膨らみきったお腹をポンポンと叩いた。
「……マジでどうでもいい」
「ですね……動きたくないです」
ヨルもねこ耳を完全に横に寝かせ、ベンチに座り込んで完全に虚無の目をしている。世界が滅びようが、今の私の胃袋には1ミリのスペースも残ってない。
『ちょっとサキちゃん! 早く戦ってよ! 倒さないとアパート帰れないよ!?』
「うるさいわね……。一歩も動きたくないのよ。──あ」
私はスマホの画面を見た。そこには、さっき2人からもらったお見舞い金の【500ポイント】が表示されている。
「JIMI。この500ポイント全部使っていいから」
『え? 何に?』
「システム権限強制ハッキング。『時空間メガ粒子砲』を即時起動。あの怪異の存在を、今すぐこの世界からワンパンで消し飛ばしなさい」
『えええええ!? お見舞い金全額課金!? いいの!?』
「いいから早く!! 満腹で眠いのよ!!」
──ピコーン。
サキは、指先を巨大食券機に向けた。
閃光が放たれ、迫り来る巨大な食券機の怪異の頭上に、巨大な『スープ切れ終了』の文字が浮かび上がる。
「ごちそうさま」
ドガァァァァァンッッッ!!!!!
怪異は一撃で粉々に粉砕され、地平線まで伸びていた数万人の行列の幻影も、パステルピンクの電子の霧となって一瞬で霧散していった。
*
夕暮れ。
重い足取りで、私たちは海沿いの国道をのそのそと歩いて帰っていた。夕日が眩しい。
だけど、胃の中が熱い。
「あー、食った食った。大満足。……ねえ、サキっち」
蛍子が、何事もなかったかのようにすっきりとした顔で、私の顔を覗き込んできた。
「また来ようね!」
「……もういい(即答)」
私はため息をつきながら、だけど、胸の奥が妙に満たされているのを感じていた。
せっかくもらったお見舞い金は、ワンパン撃破のせいでマッハで全損。現在の残高は相変わらず瀕死。世界を救う任務だって、これっぽっちも進んでいない。
だけど、あの暴力的なスープを3人で貪り食った圧倒的な満腹感は何にも代えがたい幸福だった。
ただ、ちょっと気持ち悪くなってきた。
ニンニクを入れすぎたようだった。はぁ。
ボロアパートの我が家に到着し、私は「疲れた……」とドアを開けた。
──そして、固まった。
「ただいま──って、ちょっと待てコラァァァァァ!!!!!」
そこにあったのは、私の入院前には存在しなかった、文字通りの『地獄』だった。
フローリングは見渡す限りのゴミと空き缶で埋め尽くされ、壁にはなぜかパステルピンクの謎の液体が飛び散り、天井からは蛍子がどこからか拾ってきた怪しい配線がジャングルのツタのように垂れ下がっている。
ハチャメチャなんて言葉では生ぬるい、完全なる文明崩壊 of 跡地。
「あ、忘れてた。サキっちが入院中、寂しかったからちょっとお部屋の模様替え(大爆破)したんだよねー★」
蛍子がテヘペロと頭を掻く。
「アンタ……私の聖域(四畳半)を3日間でどれだけバグらせたら気が済むのよ……!」
満腹の幸福感は、一瞬にして怒りのアドレナリンへと強制置換された。私は目の前のゴミの山を睨みつけ、傷だらけになりながらも這うようにしてボロボロの煎餅布団へと倒れ込んだ。
片付けは、明日の私が血の涙を流しながらやるはずだ。
たぶん。
きっと。
ピロロン♪
【MISSION COMPLETE】
・退院祝い(デカ盛りラーメン)の完遂
・行列時空のバグ強制置換
【未来生存率:3%】
【現在残高:12ポイント】
【胃残容量:0%】
【部屋の惨状:120%】
【評価:マシマシ(全損)】
【評価コメント:
お見舞い金を一撃で溶かして世界を救いましたね★ 漢気は認めますが、お部屋の復元費用は自己負担だよぉ♪ 残高はやっぱり12ポイント★】
「……地獄かよ」
エリア0012の空では、今日も巨大な監視の目が、私たちのちっぽけな日常を、どこまでも呑気に見下ろしていた。
(第8話・完)




