第9話:■曜日でもポイントが足りない
【未来生存率:3%】
【現在残高:12ポイント】
「月曜日、ガチで行きたくない……」
月曜日の朝。
私はボロアパートの狭い玄関で、重い足取りのまま制服のローファーに足を通していた。
外を見上げれば、今日も相変わらずのパステルピンクの空。
生きるために今日もセコセコと善行を積んで、足りないポイントを毟り取って、冷酷なカウントダウンに怯える一週間が始まる。
「サキちゃん、おはようございます……。私も、なんだか今週は少し憂鬱です……」
校門の前で合流したヨルも、ねこ耳を心なしかペタンと寝かせてため息をついていた。
「サキっち、ヨルぴー、それガチ同意。私も今日は地球の重力がいつもの五倍くらいに感じるんだよ……。永遠に休みにならないかなぁ……そしたら元気出るんだけどな…」
いつもは能天気な蛍子までもが、珍しくブレザーのポケットに手を突っ込んで、かったるそうに愚痴をこぼしていた。
「永遠に休み、か。」
昼まで寝て。
積んでる本を読んで。
ゴロゴロして。
また寝る。
「……もしそうなったら、最高なんだけどね」
私が何気なく呟いたその一言を、ディストピアのシステムがどう誤認したのか。
異変は、その翌朝に起きた。
ジリリリリ、ジリリリリ──。
枕元でアラームが鳴る。
私は重い瞼を開け、スマホの画面に目をやった。
いつもなら「火曜日」と表示されているはずの画面の最上部。そこには、フォントがバグったような、真っ黒な四角形が浮かんでいた。
【■曜日】
「……は? なによこれ」
曜日表示が、完全に消えている。
変に思って起き上がり、窓の外を見て、私は言葉を失った。
静かだった。異様なほどに、街が静まり返っている。
いつもならパトロールのドローンが飛び交い、管理局のネオンがけたたましく明滅しているエリア0012が、まるで巨大な標本のようにピタリと停止していた。
『ピコ……ピピ……ン……サキちゃん……おは……よ……★』
私の首元で、JIMIの声がひどいノイズ混じりで途切れる。
ホログラムの画面も激しくブレていて、まともに稼働していない。
私は、制服に着替え家を出た。
会社も、管理局の役所も、すべてがシャッターを下ろしている。
学校も、当然のように門が閉じられている。
飲食店も、コンビニも、ポイントの自動更新システムすらも、すべてが「休み」になっていた。
──世界が、停止しているようだった。
■曜日、1日目。
その後、蛍子とヨルと合流し、私の家に帰ってきた。
「学校ない!!サイコー」
「宿題ない!!サイコー」
「ポイントもない!!サイコー」
とりあえず、私は昼まで寝た……
「うーーマジ寝たぁ」
私がのそりと起き出すと、隣で「幸せです……」とヨルがうっとりとシーツに顔を埋め、さらに奥から「人類勝利★」と蛍子が万歳三唱していた。
昼寝、夕寝、起きて水を飲んでまた寝る。
完全なる堕落。最高だった。
■曜日、2日目。
次の日も、アラームで起きると3人はスマホを覗き込んだ。
【■曜日】
継続されていた。
外を見ても昨日から変わっていない。
「ということは、今日も休みか…」
「ひゃふぉーい!んじゃ何しようか。どこもやってないからさ、家プールしよう」
「は!?この四畳半のどこで!?」
「ここだよ★」
蛍子が指さした先、キッチンから水を引き、ビニールプールに水がなみなみと入っていた。
「ふざけるなあ!!室内でやるな!!」
「くらえ!!サキ魔神!」
蛍子は寝起きの私に水圧割と強めの水鉄砲を噴射した。
「ぶぁ!!ちょ!何してんの!!」
「なははははは!!!くらえくらえ!」
「おうちが水浸しですよー!!」
「よくもやったわね!」
「ヨルっちもくらえええ!!!」
「きゃああああ!冷たいい」
……
「休み最高」
私が水だらけの部屋で、横になり天井を見上げて呟くと、「最高です」とヨルが微笑み、「人類完成形ザンス」と蛍子が鼻を鳴らした。
まだ楽しかった。
何もしなくていい、
なににも焦らない、
誰にも怒られない、
完璧な桃源郷がそこにはあった。
■曜日、3日目。
少しだけ、飽きてきた。
スマホの動画サイトは新しい更新が一つもなく、テレビを点けてもパステルピンクのカラーバーが静かに明滅しているだけ。
やることがなさすぎて、部屋の中がやけに暇になる。
その日はタイトル忘れたけどなんか録画してあった有名な映画を2本くらい見た。
■曜日、4日目。
寝て過ごした。
■曜日、5日目。
何かして過ごした
■曜日、6日目。
覚えていない
■曜日、X日目。
■曜日、X日目。
…
時間の概念もカレンダーの上から消え去り、私たちは今が何日目なのかも分からなくなっていった。
「せっかく時間ができたんだし、ずっとやりたかったことでもやろうかな」
私は積読にしていた本を開いてみた。
なんか読んだことある気がした。
ヨルは学校の勉強の予習を始め、蛍子は昔ダウンロードしたきり放置していたゲームを起動した。
でも。全員、全部途中でやめてしまった。
「……まぁ、また今度でいいか」
誰かがそう呟くと、全員が「そうだね」とデバイスを置いた。
なぜなら、明日も、その次の明日も、絶対に【■曜日】だからだ。
今日やらなくても、何も困らない。
今やらなくても、誰も困らない。
街の景色も、ゆっくりと変わっていった。
誰も怒らない。
誰も苦しまない。
誰も急がない。
信号が赤のままでも、誰もクラクションを鳴らさない。
でも──誰も、一歩も前へ進まなかった。
それは平和なんかじゃない。
ただの、緩やかな停滞。
痛みを伴わない、静かな滅びの匂いがした。
「……なんか、気持ち悪い」
薄暗い四畳半のフローリングに寝そべったまま、私はぽつりと言った。
「私もです。なんだか……胸のあたりが、ずっと冷たい感じがして……」
ヨルが自分のねこ耳を寂しそうに抱え込む。
その時だった。
部屋の隅で、ずっと死んだようにビニールプールに足をつけて座っていた蛍子が、ゆっくりと顔を上げた。
「サキっち」
「なによ」
「夏休みってさ……最終日だけ、妙に輝いて見えない?」
「……最悪だけどね。宿題に追われて、明日が来なきゃいいのにって本気で絶望するし」
「でもね、それは明日が来るからだよ」
蛍子は膝を抱え、窓の外の変わらない景色を見つめた。
「人間ってさ、本当は休みたいんじゃないんだよ」
「……?」
「休みたいフリがしたいんだよ」
「……意味わからないんだけど」
私が眉をひそめると、蛍子はニカッと笑って、親指を立てた。
「わからなくていい★」
それから、蛍子はまた少しだけ真面目な顔に戻って、ぽつりと言った。
「でもね。人間って、やっぱり明日が欲しいんだよ。やりたかったことってね、あのクソ忙しくて、理不尽で、息が詰まりそうな毎日の中で、必死に見つけるからやりたかったことなんだよ。だから、全部が最初から手に入っちゃうとさ──何も欲しくなくなるんだよ」
私は息を呑んだ。
何か反論しようと思ったが、言葉が出なかった。
*
気がつくと、私は一人で歩いていた。
どれくらい歩いたかわからない。
数時間か、数日か。もっとか。
無心に歩き続けていた。
夕暮れの、誰もいない海辺。
私へと続く足跡だけが砂浜にくっきりと存在している。
ふと、3人でフェンスを越えて、ワカメを投げ合って笑った、電車も乗れなかった、あの静かな伊豆の海岸を思い出した。
ーーーー。
それも、遠い昔のように感じる。
波の音すらも、どこか一定のノイズのようで、時間が止まってるかのようだ。
砂浜に座り込み、ただパステルピンクに染まる海を見つめていると、背後から砂を踏むかすかな音が聞こえた。
「気持ちいいでしょ、ここは」
振り返った私の視界に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
そこに立っていたのは、私だった。
同じ制服を着て、同じ髪型をして、だけどハイライトのまったくない、どこか透き通った瞳をした──
もう一人の、私。
「……は? 誰よ、アンタ」
「私は、■曜日のサキ」
もう一人の私は、砂浜に静かに佇みながら、私を見下ろした。
「戻りたい?」
「どこに?」
「月曜日のある世界。学校があって、毎月の家賃があって、ポイントがいつも足りなくて、誰かのためにセコセコと善行を積まきゃいけない世界。……面倒だよ? 苦しいよ?」
「退屈だよ」
私は、もう一人の私をまっすぐに見据えた。
「ここは楽だよ?」
「そうね」
「じゃあなぜ戻るの?」
■曜日の私が、不思議そうに首を傾げる。
私は、自分の手のひらを見つめて、それからいつもの騒がしい日常を思い浮かべた。
「ポい活したいし」
「家賃払わないとだし」
「ヨルと学校行きたいし」
私は一呼吸置いて、アパートで待っているであろう、あのバカな居候の顔を思い浮かべる。
「蛍子もうざいし。……だから」
「やっぱり、明日が欲しい」
それは、誰の為のものでもない。
私の、私自身のろくでもない日常のために。
■曜日のサキは、私の答えを聞くと、ほんの少しだけ寂しそうに、だけど愛おしそうに微笑んだ。
「そっか。じゃあ戻してあげる。」
「え?」
「……さようなら、月曜日のサキ」
その瞬間、世界が激しく反転した。
パステルピンクの海が、空が、砂浜が、万華鏡のように粉々に砕け散り、私の意識は急激な重力と共に暗闇へと引きずり込まれていった。
*
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ──!
けたたましいアラームの音が、私の耳を劈いた。
飛び起きると、そこは見慣れた、蛍子のゴミで散らかった我が四畳半のアパートだった。スマホの画面を見る。
バグった四角形は消え去り、そこにははっきりと【火曜日】の文字が刻まれていた。
「……学校、遅刻するよサキっち!!」
蛍子が私の腕を掴んで揺さぶる。
「サキちゃん、おはようございます! 急ぎましょう!」
玄関では、ヨルがローファーを履きながら焦った声を上げていた。
「……はぁ。学校だ。現実だ……」
私は盛大なため息をついた。だけど、カバンを掴む私の手には、確かな重みが戻っていた。
*
放課後。
営業を再開した駅前のマクドナルドのカウンター席で、私たちは三人並んでポテトを突っついていた。
「ねえ、蛍子」
私はポテトを一本口に放り込みながら、ジロリと隣の宇宙人を睨みつけた。
「昨日、■曜日の世界で妙に説得力のある良いこと言ってたのってさ……。もしかして、ただ単にマックのポテトが食べたかっただけでしょ」
「ンー」
蛍子は口いっぱいにポテトを詰め込みながら、とぼけた声を出す。
「明日のポテトの方が、今日より美味しいじゃん?」
「それにしても、■曜日って結局何だったの」
「ん?」
「■曜日」
「……」
蛍子はポテトを一本咥えたまま固まった。
そして。
「なんだっけ、それ」
「え?」
「忘れちゃった★」
「……は?」
私が呆然として声を漏らすと、隣の席でジュースを飲んでいたヨルも「?」と小首を傾げている。
「そんな話してたっけ?」
蛍子は本当に心底何も知らないという顔で、また一本ポテトを口に放り込んだ。
「え?……」
冷たい汗が、背中をすっと伝う。
ピロロン♪
その時、私の首元で、いつも通りに軽快なシステム音が鳴り響いた。
【MISSION COMPLETE】
・異常時間領域『■曜日』からの帰還
【未来生存率:4%】
【現在残高:312ポイント】
【評価:精神的成長】
【評価コメント】 『怪異を倒すことだけが世界を救う方法じゃないよ、サキちゃん★ 停滞した未来を一つ回避しました。 明日へ進むという選択は、人類にとって大きな善行です★』
画面に表示されたデジタル文字を見て、私は思わず椅子から立ち上がりそうになった。
【未来生存率:4%】
ずっと3%だったのに、4%へと上昇している。
「……は!? JIMI、なんで生存率が上がってるのよ!?」
『上がった★ 3%から4%へ、ジャスト1パーセントの生存
確率上昇だよサキちゃん★』
「なんで!? 私、今回は何もしてないんだけど!? 世界も救ってないし、怪異も倒してないんだけど!?」
『詳細不明』
「なんでよ……」
私が怪訝そうに端末を睨みつけていると──ふと、マックのガラス窓に映る、自分の顔が目に入った。
西日に照らされる、ガラス越しの私の輪郭。
その私の影が、ほんの一瞬だけ。
ハイライトのない、あの【■曜日のサキ】の表情になって、不敵に微笑んだような気がした。
パチッとノイズが走り、一瞬で消える。
窓の向こうには、ただ夕焼けのエリア0012のパステルピンクの空が、いつものように広がっているだけだった。
「サキっち、ポテト最後の1本もーらい★」
「あ、ずるいです蛍子ちゃん! サキちゃんのですよ!」
「ちょっと蛍子ォォォ!! 私のポテトを泥棒するな!!」
私はポテトを一本口に放り込んだ。
冷めていた。
でも、妙に美味かった。
変わらない、うるさくて、セコくて、だけど愛おしい明日が、そこには確かに動き始めていた。
(第9話・完)




