第6話:伊豆に行ってもポイントが足りない
【未来生存率:3%】
「朝からマジ疲労……」
土曜日。
午前授業を終えた私は、教室の窓から見える青空を睨みつけていた。
初夏の快晴。
絶好のお出かけ日和。
友達同士で遊びに行く生徒たち。
部活へ向かう生徒たち。
カップルで寄り道する生徒たち。
そんなキラキラとした青春の光景を横目に、私は今朝五時からポイント稼ぎのために泥臭く働いていた。
ベイエリアの落書き消し、放置ドローンの回収、迷子ペット探し。
朝だけで三件のタスクをこなし、
現在時刻は昼前。
すでに一日が終わった気分だった。
【現在残高:450ポイント】
ちなみに。
これだけ働いても家賃一ヶ月分の七分の一にも届かない。
未来を救う前に私の家計を救ってほしい。
ピコピーン♪
JIMIからいつもの通知音が流れた。
『 サキちゃんお疲れ様〜! 午後も善行する?』
「しない」
『おすすめ案件リストアップしたよん★ どれに申し込みますか?』
「しない」
『高齢者向けAR将棋の相手とか』
「しない」
『昨日から行方不明の猫型清掃ロボの捜索とか』
「しない」
『海洋大型ゴミ拾いとか——』
「しない!絶対しないってば!!」
『えー大型ゴミの激アツ案件だよ?!』
「はぁ…海洋大型ゴミって何拾わされるのよ…それに、海なんて最後に行ったのいつだっけ……」
私が顔を上げた瞬間、隣の席から勢いよく蛍子が立ち上がった。
「そう!! 海!!」
「あっ」
嫌な予感がした。
「サキちゃん! 海行こう!!」
「無理」
「なんで!?」
「疲れてるから」
「じゃあ海で休めばいいじゃん」
相変わらず理論が雑すぎる。
「課題も溜まってるし海どころじゃないの」
「えー、そんなのサボっちゃえばいいよ。てか明日休みんだから明日やりなよ。やっときた海回だよ? 海回! 激アツ!! 間違いない!」
「回ってなによ」
「だからさ! キラキラとした快晴とこの気温は海に行っとかないと損して死ぬよ! 海で溺れる前に後悔という名の海に溺れ死ぬよ。やらずに後悔するならやって大成功! たまにはさ!ザパーッと海で弾けたいじゃん?」
「……大成功」
海——。幼い頃に行って以来、行ってないな。
「あ、あの……私も行きたいです。海」
私の前の席に座るヨルが、恥ずかしそうにねこ耳をピコピコした。
「はぁ……」
「決まりだね!! レッツ海回! 海水浴! スイカ割り! 焼きそば! ラムネ! ポテチ! ヤドカリ収集!」
「で、どこの海にいくの? やっぱ伊豆?」
海といえば伊豆。私のいた元の世界(未来)では、よく広告を目にしたような気がしていた。
「いず?」
ヨルが頭をかしげた。
「イズってなになに!? 美味しいの?」
「ベイエリアの先っちょにある、KWSK人工浜しか知らないです」
「え? ここからそれなりに近いと思ったけど……あれ?」
私は端末を取り出し、地図アプリを開いた。
検索欄に『伊豆』と入力する。
検索結果——0件。
「……え?」
もう一度入力する。
0件。
伊豆半島。
熱海。
下田。
ペリー。
何も出てこない。
私の知っている地名が、消しゴムで消されたみたいに、世界からなくなっていた。
地図のその辺りには、ただ青い海が広がっているだけだった。
「サキちゃん?」
「いや……なんでもない」
胸の奥が少しだけざわついた。
この時代に来てから、欠落しているものはいくつも見てきた。
だけど、自分が知っている場所が、最初から存在しなかったみたいに消えているのを見るのは、少しだけ寂しい。
何となく、それがあるのか、無いのかを確かめたくなった。
「まあ、場所はわかるから伊豆いってみない?」
「いず、行ってみたいです!」
「よっしゃあ!!!んじゃ!イズ攻略戦スタートォ!!」
*
ガタゴトと電子音を鳴らすローカル電車に揺られ、終着駅からさらに徒歩で一時間。
私たちがたどり着いた『伊豆があったはずの場所』には、巨大な錆びついたフェンスがどこまでも国境線のようにそびえ立ち、【IZU-立ち入り禁止区域】の古びて色褪せた厳重な警告パネルがゆっくりと発光していた。
「行き止まりじゃんね」
「やっぱり、消えてるんだ……」
私がフェンス越しに広がる茂みを見つめていると、「サキちゃん、あそこ!」とヨルがフェンスの綻びを指差した。
人一人がギリギリ通れるほどの隙間。
「ちょっと、入っちゃダメよ……って、もう行ってるし!」
「サクセスサクセスゥ!」
蛍子が迷わずすり抜けたので、私とヨルも後に続く。
フェンスを超えたその先は、崩壊した古いビルのコンクリートが転がる廃墟群だった。
錆びた鉄骨。
崩れ落ちた道路。
波に削られた建物の残骸。
遠くには錆びついた観覧車も見えた。
上空を飛び交う管理局の監視衛星(目玉)の影すらここにはない。
まるで世界から切り離され、時間だけが置き去りにされた場所だった。
潮風が吹く。
遠くで波の砕ける音が聞こえる。
誰もいない。
何もない。
だけど――
その先に広がっていた景色を見て、私は思わず息を呑んだ。
どこまでも続く青い海。
空と海の境界が溶けてしまったみたいな水平線。
人の手が入っていない静かな砂浜。
信じられないほど綺麗だった。
まるで、この場所だけが昔の世界を覚えているみたいに。
「わぁ……!! すごいですサキちゃん! 本物の海です!」
「おおー!!これがイズ!!ここまで来た甲斐がありましたな!!」
ヨルがブレザーとローファーを脱ぎ捨て、制服のままパシャパシャと波打ち際へ駆け出していく。
普段の豆腐メンタルが嘘のようにテンポが上がっている。
「冷たーい! サキちゃん、蛍子ちゃん、早く来てください!」
「よっしゃー! 宇宙式ハイドロダイブ!!」
蛍子が制服のまま頭から海へ突っ込み、謎の巨大な水しぶきを上げた。
「ちょっと蛍子! 服のまま入るな! ヨルも濡れるって!」
私はすっかり保護者モードで砂浜から叫びながら、スマホのカメラを二人に向けた。
「はい、2人ともこっち向いてー。撮るよー」
パシャリ。
レンズの向こうで、蛍子が不敵な笑みを浮かべながらヨルの首元に大量のワカメをなすりつける。
「ひゃあああっ!? 冷たい! キモいですぅ!!」
ヨルが涙目で小さなサイコキネシスを発動し、周囲の海水を蛍子の顔面にバシャァッ! と叩きつける。
その瞬間をすかさず連写する。
バカバカしくて、眩しくて、私は何度もシャッターを切った。
「サキちゃんも入ろう!」
「私はいいわよ、服の替えが——うわっ!?」
背後から忍び寄った蛍子に強引に手首を引っ張られ、私も盛大に海へと転がった。
本物の、しょっぱくて冷たい夏の海の匂いが全身に染み渡っていく。
「あはは! サキちゃん、びしょ濡れです!」
「蛍子……やったな!!このーー!!」
「ぎゃあああ!!沈む沈む!!!なはははは!!!」
「あはは!キャ!冷たいですよー!!」
「ほらほら、3人で撮ろうよ! 記念撮影!」
蛍子が私の端末をひったくり、腕をめいっぱい伸ばしてインカメラを起動した。
真ん中でずぶ濡れになって怒る私、左でワカメを頭に乗せてドヤ顔の宇宙人、右で前髪を濡らしながらねこ耳をパタパタさせて楽しそうに笑う半妖。
チカッ、と光る画面。
私たちは波の音だけが響く誰もいない海岸で、ただひたすらに、アホみたいに笑い転げていた。
陽が傾き、海がオレンジ色に染まり始めた夕暮れ。
私たちは砂浜に並んで座り、遠くに蜃気楼のように小さく揺れる未来都市【エリア0012】の影を見つめていた。
ずぶ濡れの制服が、初夏の夕風に吹かれて少しだけひんやりとする。
「こういう時間も、悪くないか……」
私がぽつりと言うと、ヨルが膝を抱えながら優しく微笑んだ。
「はい。私、今日のことは、ずっと忘れないと思います」
「ねえねえ、次はマックのポテト持ってこようよ。海で食うポテト、絶対美味いじゃんね」
「アンタは本当にポテト一択ね……」
ずっとこの時間が続けばいいのにと、心のどこかで思った。
だけど、私たちのスマホが同時にピコンと鳴り、帰りの電車の時刻が通知され、現実へと引き戻される。
「よし、帰るか」
一時間かけて駅へと戻り、自動改札の前に立った。
私が何気なく端末の残高を確認した、その瞬間だった。
『ピコピーン♪ 残高不足だよサキちゃん!電車賃は200ポイント。現在の残高は10ポイントだから、あと190ポイント足りませーーん★』
「……は?」
脳細胞がフリーズする。出発前に450ポイント稼いで「現在残高:250ポイント」だったはず。
「JIMI、なんで減ってるのよ!?」
『あれ? 忘れたの? あ、サキちゃん眠ってたね!行きの電車の中でソシャゲのスタミナ回復に200ポイント自動課金されてるよ♪ 蛍子ちゃんがサキちゃんの指を勝手に使って端末の生体認証ピッと押してたもんね★』
横を見ると、蛍子がスン……と真顔になって、全く関係のない天井のシミを見つめていた。
「クズ宇宙人ァァァァァ!!!(怒)」
それにJIMIのセキュリティはどうなってるのよ。
このネット社会にこんなに貧弱なシステムってある!?
怒りで震えるが、改札は非情にも赤いランプを灯したままだ。
手元には、もう10ポイントしか残っていない。
今からゴミ拾いするか?200ポイント分?
「……はぁ。ダメだ。2人は先帰って」
「えっ」
ヨルがねこ耳をピクッとさせた。
「サキちゃん、どうするんですか?」
「私は歩くから。ここからエリア0012まで、線路沿いに歩けば4時間くらいで帰れるし。」
「4時間はかなりキツイんじゃ・・・」
「あはは。慣れてるからさ、大丈夫。2人は先に帰ってて」
未来人になって身につけた、徹底的な極貧ライフハック。
4時間歩くなんて、日頃の過酷な善行デリバリーに比べれば大したことはない。
私は2人に背を向け、駅の外へと歩き出そうとした。
その時だった。
「じゃあ私も歩く」
蛍子がロングポテトの空袋をポケットに突っ込みながら、当たり前のように私の隣に並んだ。
「えっ? ちょっと、アンタは電車賃あるでしょ!?」
「歩くの楽しそうじゃん。ランニング回。激アツ」
「私も、歩きます!」
ヨルまでがローファーをトントンと鳴らして笑顔を浮かべる。
「なんでヨルまで!? 家の門限とかあるでしょ!?」
「サキちゃんを一人で歩かせるわけにはいきません。それに……まだ一緒にいたいですし」
「……バカじゃないの、2人とも」
私は呆れてため息をついた。だけど、視界が少しだけ滲んだのは、きっと夕日の眩しさのせいだ。
ここからが、私たちの本当のメインだった。
夕焼けが海を真っ赤に染めていた。
潮風の匂い。
波の音。
伸びた三人分の影。
海岸線の一本道。
三人で一列になって歩く。
他愛のない話をしながら。
「ねえねえサキっち、もうすぐ夏休みじゃん? 夏休みといえば、やっぱりポテト無限大作戦だよね」
「何よその頭の悪い作戦。また攻め込まれるわよ」
「夏休み中、毎日マックに通ってLサイズを交互に奢り合うの。で、最終日に一番食べた人が『ポテトキング』の称号を得る。どう? 燃えるでしょ」
「一ミリも燃えないし、私のなけなしのポイントをポテトに全ツッパさせるのやめてくれる?」
「えー! 楽しいのに! ヨルぴーはどう思う?」
「あ、私は……その作戦なら、トルネードポテトも対象に入りますか……?」
「ヨル、アンタまであのイモ戦争の亡霊を引きずり回すんじゃないわよ」
私のツッコミに、2人が顔を見合わせてケラケラと笑う。
オレンジ色の空気の中に、他愛のない雑談が溶けていく。
学校の課題の愚痴とか、次の善行リストの効率の良い回り方とか、本当にどうでもいい話ばかり。
正直。
足は痛い。
電車で帰りたい。
四時間は長い。
蛍子のせいでこうなった。
本当にろくでもない。
だけど。
もし私一人だったら。
きっともっと長く感じていた。
「サキっち遅ーい!」
「だから走るなって! 服がまだ湿ってて重いのよ!」
「あ、蛍子ちゃん水たまり危ないです!」
騒がしい声が夕焼けの道に響く。
私は小さく息を吐いた。
……まぁ。
今日くらいは、悪くないかもしれない。
*
夜の帳が降りる頃、私たちはボロボロの我が四畳半アパートへとようやく到着した。
足の裏はパンパンで、全員が満身創痍だった。
『ピコピーン♪ 徒歩帰宅ボーナスが支給されました。プラス5ポイント★』
「安っうー!!」
「これ400回歩いてやっと家賃じゃん」
サキが死んだ目で即答すると、蛍子とヨルが同時に吹き出した。
ヨルと別れ、シャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かす。
スマホを開いて、今日撮った写真のフォルダをスクロールした。
最初に見えたのは、青い海の中でワカメを持って暴れる蛍子と、ヨルの楽しそうな写真。
次に、海沿いの夕焼け道を歩く途中の写真。
そして最後は。
カメラに向かって、信じられないくらいぐしゃぐしゃに笑っている三人の写真だった。
私は少しだけその画面を眺めた。
「……また行きたいな」
海に。
じゃなくて。
こういうの。
私がぽつりと呟いたモノローグは、蛍子のいびきにかき消されて消えた。
スマホの画面をそっと閉じようとした時だった。
ピロロン♪
【MISSION COMPLETE】
・青春っぽいことをする
【未来生存率:3%】
【現在残高:55ポイント】
【評価:プライスレス】
【評価コメント:
お金では買えない価値がある。
電車賃はちゃんと残しておきましょうね★】
「……地獄かよ」
エリア0012の空では、今日も巨大な監視の目が、私たちのバグだらけの青春を呑気に見下ろしていた。
(第6話・完)




