第十話・5
俺は保健室の隅に向かい、先生が着替え終えるのを待って、許可を得てから振り返った――すると。
「せ、先生……それ、元の服に着替えてたんじゃなかったんですか?」
先生は完全にチアガールの服装に着替えていた。あまりに似合いすぎている――しかし彼女のプロポーションでは一つ問題がある。全ての男子生徒が、平常心を保っていられなくなるだろうということだ。
「う、ううん……ええとね、これには山よりも高い事情が……」
「何となく、分かる気はするんですが……確か午後からの再開前に、チアリーディング部がチアの実演をするんですよね。それに先生も参加するとか……」
「え、ええ。それがね、大学の時にチア部にいたって話をしたら、チア部の子からお願いされちゃって……一緒にやりませんかって。でも私ね、本当はチア部には少ししかいなかったの。結構激しい運動もするから、実際に始めてみたら練習に参加できないこともあって……ね?」
チアも本格的なものになると体操のような動きが入ってくるから、確かに運動としては激しい部類に入るだろう。胸が大きいと揺れたら痛みもあるだろうし、動きが制限されてしまう。
「でも……チアに興味はあったってことですね。続けられなかったのは、残念でしたが」
「テレビで見たりして、いいなって思っただけなのよ。あ、動きが激しくなってくるまでは、私も普通についていけてたのよ。運動神経が駄目なわけじゃないの」
「そうだったんですか。先生は万能なんですね」
「岸川先生にはかなわないけど、水泳だってできるのよ。水の中は負担がかからないから、運動の中では好きな方なの。こうやってぷかーって浮いて、ラッコさんみたいに流されてると気持ちいいのよ」
先生がラッコのように――となると、双子の島がぷかぷか浮いているみたいにならないだろうか。そんなことばかりに働く自分の想像力もどうかと思うが。
「それなら、そろそろ行った方が良さそうですね。昼休みも終わりそうですし……先生?」
先生は急にもじもじとし始める――スカートが短めで、袖も短い。肌が見える部分が多い状態では、ちょっとした仕草すらどうしようもなく艶やかさが増してしまう。
杜山先生は女神は女神でも、人を魅了する女神の類であるのは間違いない。しかしそれは、チア部の応援に参加したりしたら、全男子生徒を魅了してしまうということで――岸川先生派と杜山先生派の勢力図が微妙に変わったりするかもしれない。いや、そんなことは気にすることではないのだが。
「……海原くん、笑わないで聞いてくれる?」
「は、はい。絶対に笑いません」
答えても、先生はしばらく迷っている――彼女は膝からかなり上の丈のスカートの裾を引っ張りながら、顔を真っ赤にして、俺のことをちらちらと何度もうかがってから、とても小さな声で言った。
「……海原くん、人間っていうのは、成長が止まったみたいに見えても、二十五歳までは発育してるっていう説があるのよ」
「は、はい……個人差はあるみたいですが」
「だ、だから……私も、その……成長しちゃったの……」
俺はまったく鈍かった――先生がチアリーダーの衣装を着ているということだけに意識を取られて、その時点で思考が止まっていた。
へそが見えてしまいそうなギリギリの丈。スカートの裾も、ちょっと激しい動きをしたら中が見えてしまいそうで――何より、胸の部分がパンパンになってしまって、いかにも窮屈そうに見える。
「こんな格好でチアなんてしたら、見苦しいでしょ? それで、辞退しようと思ってたんだけど……最後にもう一度だけ挑戦してみようと思って、着替えてたの」
「そうだったんですか……俺は、普通に似合ってるとしか思わなくて。すみません、無神経でした」
「そ、そんなこと……海原くんは謝ったりすることないのよ。これは先生が、安請け合いをしちゃったからいけないんだから」
チア部の応援タイムには、杜山先生は参加しない方向みたいだ。
そう分かって、俺は――どうして安心してるんだろう。先生はチアに憧れたことがあって、チア部も先生の参加を求めているのに。
「それより海原くん、足は大丈夫? テニスの試合を見たけど、凄く頑張ってたみたいだったから……私は、第三試合のときしか見られなかったんだけどね」
Bクラスのチームとの試合は見ていない――ということは、杜山先生はラフプレーを受けた場面は知らない。
「足は問題ありません。ちょっと、打球が身体に当たりまして……岸川先生に、念のために診てもらうようにと言われたんです」
「あらあら……ちょっと見せてもらえる? どの部分に当たったのかしら……」
「え、ええと、腕に……うっ……」
腕と言った途端に、先生は俺の腕を取って――触診というかそういうことなのだろうと最初は思ったのだが。
「……痛いところはこのあたり? 少し冷やしておいた方が良さそうね……マッサージしたりしちゃだめよ、炎症が悪化しちゃうから」
「は、はい……ありがとうございます、先生。で、でもですね、そこまでは……っ」
「こうしてぎゅっとしてあげたら良くなったりしないかしら……海原くんが痛い思いをしてるのに、私ったら全然気づいてあげられないで、テニスを頑張ってる海原くんも素敵だなって思ってただけで……ああっ、私ったら……」
チア服越しに、さっきから当たってはいけない感触がある――痛みなんてまったくない、ひたすら心地良くしかなくて、どこが打撲かも分からなくなる。
「……先生ね、本当は……海原くんのこと、チアのサークルで練習したみたいに応援できたらって思ってたの。でも、他のクラスの子たちも、私にとっては教え子だから……」
「は、はい……その気持ちだけで嬉しいです。先生が見てくれてたっていうだけで、俺、何で気づいてなかったのかって、惜しくなったっていうか……くっ……」
「先生もね……海原くんのこと、ちゃんと名前を呼んで応援したかった。でも、それだと……目立っちゃうし、恥ずかしいから……ごめんね、意気地がない先生で」
意気地がないなんてそんなことはない。
今だってとても大胆で、俺のことを吹奏楽部に誘う時だって、勇気が必要な行動にばかり出てしまって――そんな先生に、気がつくと俺はいつも引っ張ってもらっている。




