第十話・6
そのうちに先生が俺の腕を取る力が緩んで、先生は何かに気づいたような顔をする。
「海原くん、後で腫れちゃったりしないように打撲のケアも大事だけど、給水もしっかり意識してね。今日も脱水になっちゃった子がいて、救護スペースに運ばれてきてたから。処置を早くできたから、もうすっかり良くなったんだけどね」
「は、はい。水分はしっかり取ってますが……先生?」
杜山先生は席を立ち、ドリンクを持ってくる。給水用の粉から作るスポーツドリンクだ――それを渡してくれるわけではなく。
先生は座っている俺のほうに身を乗り出して、手づからスポーツドリンクのストローを俺に向けてくる。細くてこちらに飲ませやすいように曲がっているストローが差し出されて――しかし、されるがままに飲むのはためらわれて。
「せ、先生……この飲ませ方は、ちょっと……ち、近いですし……」
「だーめ。海原くん、しっとりするくらい汗をかいてるんだもの……お昼のときに何か飲んだと思うけど、電解質が入ってる飲み物も取っておいた方がいいわ。さあ、遠慮しないで……」
先生と生徒、先生はチアリーダー姿で、生徒は体操服で。ただ水分補給をしているだけなのに、なぜこうもいけない空気になっているのだろう。
「はい、息継ぎして……海原くん、濃すぎたりしない?」
「す、少し濃い目ですが……今は、ちょうどいいと感じます……」
「それは、海原くんの身体が水分を欲しがってるってことなのよ。もう少しだけ飲んだほうがいいわね……遠慮しなくていいのよ」
遠慮とかそういうことではなくて、先生が身を乗り出しすぎている。こんなに密着する必要があるのですか、という質問をする余裕すら、もはや俺にはない。
「こぼさないように……ううん、何も気にしなくていいのよ。もしこぼしちゃっても、私が綺麗にしてあげるから」
杜山先生によって至れり尽くせりの状態にされることは、これが初めてではない。
甘やかされるという言葉で表現できる次元は明らかに越えている。ドリンクを飲ませられながら、ぴったりと寄り添われて――これはもはや奉仕だ。こんな奉仕を受けた人は、皇帝でもなかなかいないのではないかと思う。
「……せ、先生……先生も、汗ばんできてます。そ、そろそろ離れて……」
熱に浮かされたような顔をして、もう給水は十分なのに、先生はまだ俺のことをじっと見ている。
先生、こんなところを誰かに見られたら、俺はどう弁解していいのか分かりません――それを言うべきか言うまいかと葛藤し始めたところで、
からり、と。
音を立てて、保健室のドアが開く。そこに立っていたのは――岸川先生と空野先輩だった。
「も、杜山先生。海原の治療を、されている……のですよね?」
「き、岸川先生……え、ええと、あの……」
「……どうしてチアガールの格好なんですか?」
「そ、それはね、空の高さより果てしない理由が……じゃなくて、ええと、私もチア部の応援タイムに参加する予定だったんだけど、服のサイズが合わなくて、海原くんがテニスで打撲しちゃって、給水も大切でっ……あぁん、どう説明したらいいのか……あら?」
俺はローラーのついている椅子に座っていたので、後ろから引っ張られると簡単に杜山先生から引き離される。
肩に手を置いて控えめに引っ張ったのは――空野先輩。体操服の上からジャージを羽織っていて、やはり岸川先生と同じように、前が全部閉じられていない。座った姿勢で見上げると、先輩の顔が見えにくいくらいに前にせり出しているこの発育の象徴は、本当に水泳選手が持っていていいものなのだろうか。
「……二人きりで応援されるなんて、だめ。海原、甘やかされすぎ」
「ご、ごめん。でも、あくまでも杜山先生は、俺を心配してくれただけだから」
「し、心配というのは分かるのだが……もう昼休みも終わってしまうのに、治療が終わっていないのは問題です。杜山先生、お手伝いをさせてもらいますよ」
「は、はいっ……岸川先生、お願いします。まず、海原くんには服を脱いでもらって……」
「っ……だ、大丈夫です、脱がなくても治療できますから。服の上からボールを当てられたりは……せ、先輩……っ」
助けを求めるつもりで空野先輩を呼ぶ――しかし先輩は、初めは関わってはいけないとばかりにそっぽを向いていたが、ちら、とこちらをうかがう。明らかにこれは駄目なやつだ。
「……いっぱいぶつけられてたから、ちゃんと手当てしておいた方がいい。脱いで」
空野先輩は、俺の最初の試合を見ていた――そんなわけで、先輩なら脱いでまで治療をするのは大げさだと分かってくれると思ったのに、最後の望みもあっさりと絶たれる結果となった。




