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第八話・12

 杜山先生のマンションにお邪魔して、広いリビングの一角にある畳敷きのスペースで、前と同じように待っているように言われた。


 しばらくは楽しみだということしか頭になかった――ご飯が炊き上がる時間ちょうどに全ての献立を作るということだそうで、だいたい一時間くらい待つことになる。前回も同じくらいだったが、その時は台所から聞こえてくる先生のハミングを聞いているうちに時間が過ぎていた。


『わぁ、先生のエプロンとっても可愛いですね。これって自分で作られたんですか?』

『ええ、少し家では縫い物もしますので……でも、こういった絵柄のものは少し子供っぽいとも姉には言われます』

『そんなことないです、私も欲しいくらいです』

『では、今度杜山先生の分も作りましょうか。割烹着も本格的でいいと思いますが……その、前に海原が来たときも、今のような丈の短いパンツで……?』


 何となく、淹れてもらったお茶を飲んだところだった俺は、危うく咳き込みそうになる。


 前のときはあまり意識してなかったが、杜山先生は割烹着の下はラフな格好で、上はTシャツ、下はショートパンツを穿いていた。そのまま寝られそうなリラックスした部屋着だったが、すらっと伸びた素足が何とも艶めかしいというか――料理をするためにキッチンに入っていく後ろ姿を見て、思わず固まってしまったほどだ。


 トランジスタグラマーという言葉があるそうだが、杜山先生はそこまでいかなくても、あれだけ胸が大きいのに腰がきゅっとくびれている。そんなスタイルをした人が見せる後ろ姿というのは、服装によってはそれだけで凶器になる。


『お家に帰ると、いつもすぐに着替えちゃうんです。それで海原くんのことも少し待たせてしまって……怪我をしてるときだったのに、何も言わずに待っていてくれて……』

『……私も、それは想像ができます。海原は少し勘違いされがちですが、心根はとても気持ちのいい少年ですから』

『そうですよね、すっごく気持ちがいい子で……添い寝をしてるときもそうでしたね、朝方までゆっくり寝られちゃいました。久しぶりでした、あんなにぐっすり寝ちゃったのは』


 俺の聴覚が特別優れているわけでもないのだが、『気持ちのいい』という単語がやけに会話の中で際立って感じてしまう。意味合いとしては『すがすがしい』とかそういうことになるのだろうが、俺にそういう要素を感じてくれる先生が特別なのだと、また感謝の気持ちが湧いてくる。


 二人に看病をしてもらったときに情けない姿を見せてしまったが、それからどうも俺は先生たちに弱くなっていると思う。


 そして話しながらも、先生たちの料理をする手は止まっていない。邪魔をしてはいけないと思うが、俺はどうしても気になってきてキッチンに向かう――すると。


「あらあら、海原くんが来ちゃった。今、二人でお話しながらお料理してたの。手元には気をつけてるから大丈夫よ」

「海原、バイトが終わったばかりだからお腹が空いてしまったのか? 少し待たせるが、いい子にして待っているんだぞ」


 二人の姿に、俺は一瞬何も考えられなくなる。岸川先生はエプロン、杜山先生は割烹着なのだが、岸川先生も杜山先生も髪をおさげにして、シュシュを使ってまとめている。


 いい子にして待っているようにと言われたことにも、反応が遅れる。俺が反論しないことに岸川先生は少し驚いたようだが――そのあと、こちらが恥ずかしくなるくらいに嬉しそうに微笑む。


「え、ええと……すみません、邪魔をしちゃいけないと思ったんですが、気になって……」


 何とか話さなくてはいけないと思い、言葉を絞り出す。杜山先生は卵焼きの材料である卵液を作っていたようだが、卵液をしてなめらかにしている――あのとろけるような口当たりは、この一手間によって生まれていたのだ。


「今日はね、卵焼きを作るから、他のおかずも和風にすることにしたの。前も海原くんが喜んでくれたから、もう一度作ってあげたいと思って……今日は違う気分だった?」

「い、いえ。和食は好きです、毎日でも大丈夫ですから」

「そ、そうか……毎日と言われると、一か月分の献立を考えておく必要はあるが、海原がそう言ってくれるならやり甲斐はある」


 そういう意味じゃなくて、といつもなら言えるのに、言葉が出てこない。


 それはすでに、先生たちが作っている料理が明らかに美味しいやつだということを、視覚と嗅覚で感じてしまっているからだ。


「う、うん……? 今日は反論しないな。一緒にお弁当を食べるにしても、毎日ではなくて隔日でないといけないとか、そういうことを言っていたのに」

「ということは……海原くん、先生たちが交代で毎日ご飯を作ってあげてもいいっていうこと?」


 どちらかというと俺の方が先生たちにお願いする側で、そんな厚かましいことは絶対に言ってはいけないといつも自制しているのに、先生たちの方が期待を込めて俺を見てくる。


 俺のために料理をすることを許して欲しい。先生たちがそう思っているなんて、あまりに驕った考えなのに。二人の目を見てなお遠慮をするのは、ひどいことをしてるんじゃないかと思えて――。


「……ひとまず、おじやではなく、普通の夕食を海原に作ってあげられるだけで、お姉ちゃんは……い、いや。先生は、一歩前進できたと思っていいのか?」

「じゃあ、私も一歩前進させてもらって……あっ、お料理をしてるときはよそ見をしちゃいけないわね。海原くん、見ていてもいいけど、それともお風呂に入ってくる?」

「は、はい……じゃなくてっ、お風呂は大丈夫です。俺、家で入りますから」

「そう? 遠慮しなくてもいいのに。先生ね、海原くんに助けてもらったから、恩返ししなきゃいけないと思ってるの。お風呂のことで」

「お風呂のこと……そ、そうですね。そろそろ暑くなってきましたし、海原も私たちが夕食の準備をしているときに、お風呂に浸かりたくなることはあるでしょう」


 会話が噛み合っているのかいないのか――一つ言えることは、一人一人でも包容力の塊で押しも強いのに、二人になると俺はほぼ抵抗できないということだった。そして、今日で終わりじゃなくて、また夕食を作ってくれるという方向で話が進んでいる。嬉しくてもそれを顔に出せないが、今の俺は無愛想な顔になんてどうやってもなれないだろう。


「ところで……岸川先生は『お姉ちゃん』って言っているけど、海原くんはもしかして、岸川先生と二人のときはそうやって呼んでたり……?」

「い、いえっ……先生は先生です、二人のときもそれは変わりません」

「……少し素直になってくれたと思ったら、まだまだ道のりは長いか。いや、しかし杜山先生の前ということもあるからな。私はいつでも言ってもらって構わないぞ」


 そう言って胸を張る岸川先生――俺はそのとき改めて気がついた。こちらに迫ってきそうなくらい前にせり出しているバストで押し上げられたエプロンに、『女騎士先生』のイメージからするとずいぶんと可愛らしい、ペンギンのアップリケがついていることに。


※お読みいただきありがとうございます!

 ブックマーク、評価、ご感想などありがとうございます、励みになっております。

 次回は7月16日(火曜日)に更新させていただきます。

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