第八話・10
岸川先生と杜山先生が来てくれたのは、遡ると学校での中休みに、岸川先生からメッセージが届いていたことが発端となる。
教室の中でスマホを見ているとなぜか注目されるので、廊下に出て確認することにした。朝のうちに純と学食に行くことになったので、岸川先生のお弁当のおすそ分けはまたの機会になったのだが――。
岸川先生:君を学食で見かけたことがあるが、バランス良く食べていてえらいな
自分:先生に言われたことは、ちゃんと肝に銘じてますから
そう返したあと、しばらく返信がなかったので、ちょっと大袈裟な表現だったかと俺が焦り始めたときだった。
岸川先生:君の中に私の言葉がとどまっているなら、それは嬉しいことだ
先生はかなり考えて返信したのだろう――そう思うだけで、何か足がふわふわとするようで落ち着かなかった。照れ隠しのようにスタンプが送られてきて、擬人化した猫のような動物が力こぶを作っている。俺は親指を立てたスタンプを返そうかと思ったが、先生に対してそれはフランクすぎるだろうか。
岸川先生:しかし、君が私の言ったことをちゃんと覚えているのなら
岸川先生:君の夕食がジャンクフードやコンビニものが多いということについては
岸川先生:かねてから苦言というわけではないが
岸川先生:心配をしてきたつもりだが
物凄く遠回りな言い方だが、徐々に核心に近づいている。
つまり、先生は――俺に夕食を御馳走したいと、そう思ってくれているらしい。これまでにも何度も提案されているし、俺の思い過ごしではないだろう。
パブロフの犬の習性が発動し、腹が鳴りそうになる――先生の作ってくれる夕飯を想像し、和洋中のどれでもいいから早く食べたいと思ってしまう。先生の料理が美味しいのは間違いないのだから。
しかし俺が返信できずにいるうちに、さらに先生からメッセージが送られてきた。
岸川先生:すまない、少し所用で呼ばれた
岸川先生:話の続きは、また機会を見てにしよう
そう――先生は授業がない時間でも、他にも色々な仕事がある。
忙しい中で引き止めてはいけないと分かっている。
それでも俺は、今までなら「わかりました」と返していたところで、そうすることができずに――抑えきれずにメッセージを入力した。
自分:先生が良かったら
自分:夕食を
こんなミスをすることはそうなかった――指が滑って途中で送信してしまう。
これではいかにも不審で、がっついているようで。俺らしくないと思われてしまったら、どうすればいいのか。
だが、打ち直す前に、先生の返事が返ってきた。
慌てた俺を、微笑んで見ている先生の姿が想像できるような、そんな文面だった。
岸川先生:男の子はそれくらい素直でちょうどいいものだ
岸川先生:お姉ちゃんはお腹をすかせた弟を放ってはおけないからな
分かってはいたことだ。ずっと前から俺は――。
先生が自分のことを『お姉ちゃん』と言うたびに、子供扱いしないでほしいと思いながら、同時に嬉しいと思ってもいた。
その言葉は、俺のことを怖がらずにいてくれる何よりの証で、全てを肯定してくれるものだったから。
甘えてはいけない。成長しなくてはいけない――でも、少しだけは。
岸川先生:すまない、嬉しかったからといって、お仕着せのような言い方をしてしまった
自分:そんなことはないです、俺も
自分:俺も好きですから
自分:先生の
さっきから緊張で指が震えて、まともにメッセージが打てていない。何が言いたいのか――だんだん頭が真っ白になってくる。入学試験の緊張感なんて比較にならない。
岸川先生:それは
岸川先生:私の料理が好き、ということだな
岸川先生:分かっているから、落ち着くといい
岸川先生:やっと年上らしいことが少し言えたようで、嬉しい
今日の先生は、本当に包容力しかない――いつもそうなのだが、俺が何を言っても受け止めてくれそうな安心感がある。
先生は仕事に戻り、中休みも終わろうというところで、俺も教室に戻る――すると。
「海原くんが何かやり遂げた感じを……あれは大きな取引を成功させたんだな」
「取引って、お前は海原くんの裏の顔を知ってるとでもいうのかよ」
「裏の顔って裏垢とか? 海原くんってSNSとかやってるのかな?」
「繋がってる人ってどんな感じなんだろ……」
男子は相変わらずだが、女子の興味の方向が微妙に変わっている気がする――というか普通に聞こえる大きさで喋りすぎだ。
「海原、もしかして俺に隠してることない?」
「な、なんだ、藪から棒に」
思わず引いてしまうほど神妙な顔で、純が声をかけてくる。そしていつものように、肩を組んでヒソヒソと声をかけてきた――一体何事かと多少緊張していると。
「海原さ……水泳部とのコネクションが強化されたって話だし、もう練習を見学してたりしない?」
全くもって取り越し苦労に終わったが、水泳部の見学に執着していたことを覚えているあたり、純も行き当たりばったりで生きているわけではないらしい。
「うちの高校の『アイスプリンセス』空野先輩と一緒に登校してたという情報も入ってきたんだけど? 俺、何も聞いてないんだけど? 親友なのに?」
アイスプリンセスとは、先輩がクールな感じだからだろうか。本人が聞いたらますます無表情になりそうだが、先輩は自分のことを自分でクールと思っているかは不明だ――と、脱線だった。
「あー、分かった分かった……できる範囲で説明する」
「うぉぉ……俺の親友が俺の知らないところでリア充になっていく! おめでとう、ありがとう!」
俺と水泳部の関係がどうなったとしても、見学は基本的にできないと説明するのにかなりの体力を使いそうだ――今の純は何を話しても、自分にとって最大限に都合よく解釈してくれそうだった。
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