第八話・8
水泳部の地区大会が無事に終わり、日曜日はいつも通りバイトと勉強で過ごして、月曜日。
俺の心境が少し変化したといっても、クラスでの状況はそこまで大きく変わってはおらず。
それは当たり前のことで、皆はやはり俺の目つきが悪いと思っているので、この空気を変えるには一人ひとりに働きかけるしかなく――それは正直エネルギーが必要だし、いきなり愛想を振りまいても逆に怖がられるのは目に見えている。
――しかし、少しだけ。微妙には変わってきているのだろうかと思う。
「お、おい……今日もギラギラしてるな、海原くん……」
「吹奏楽部に出入りしてるらしいが、なんかちょっとイメージ違うよな……」
「更生のために入れられたって噂だが、いつまで続くだろうな……」
そういう噂を立てられることには慣れているが、更生ってなんだとは思う。女騎士先生とにらみ合いをしているように見られている件でも、別に捕まるようなことではないはずだ。
ため息というほどでもなく、軽く息をついたところで、肩にポンと手を置かれた。
訳知り顔というわけでもないが、だいたい分かっているという顔をして純がそこにいる。こいつは成績こそ悪いが、人生の経験値は俺より豊富なんじゃないかと思う。
「なかなかイメージは変わんねえけど、俺は分かってるけどな」
「そいつはどうも。で、どこの宿題やってないんだ?」
「やってはあるけど念のために確認したい。とか言ってみたりなんかして」
「うちも確認したーい!」
「まああんたたちが確認したいって言うなら? あたしもそうしてあげてもいいっていうか?」
お前ら本当にやってあるのか、と言いたくなる。透視能力が無くても分かる、こいつらは確実に宿題をやっていないか、途中で心が折れている。
折れたなら接着剤でも何でも使って、くっつけてやればいいだけの話なのだが。
「あー、でもほんとに海原くんが入ってくれると思わなかった。バイトあるから毎日じゃないけど、やっぱ上手いよねー」
「コンクールには出られないかもしれないけどな。お客さん扱いだけど、邪魔にならないようにするよ」
「正式な部員じゃなくても、飛び入りで十分合わせられるよね。水泳大会の時も、一発で馴染んじゃってたし」
ユーフォニアムのパートは俺を入れて三名だが、水泳部の応援をした日は俺しか都合が合わず、一人でパートを担った。演奏動画を撮っていたので後から欠席していたメンバーも聞いたのだが、俺の演奏は思った以上に評価が高かった。
コンクールでも参加してくれるようにと頼まれているが、俺の今までの生活を変えることになるのなら、助っ人部員のままでもいいと言ってもらえた。今のところは、その言葉に甘えることにしている。
練習に出る時間をできるだけ作ることにしたので忙しくはなるが、毎日何かの予定で埋まっている方が、俺には合っているかもしれない。
◆◇◆
放課後、昇降口のところで、俺はふと既視感を覚える――そして振り返ると、そこには空野先輩の姿があった。
「……海原。今日、部活は?」
いつも通り淡々としているようで、先輩の声の響きは柔らかかった。この微細な違いが分かるのは、俺以外にそうはいないんじゃないだろうか――というのは驕り過ぎか。
「今日はパートリーダーが……って言っても三人だけのパートなんだけどな。委員会でいないから、自主練というかそんな感じだ」
「ふーん……コンクール、海原は出るの?」
「まだ先の話だけどな。コンクールの曲をやってみて、参加できそうなら助っ人として参加する。バイトがある日は、遅練には出られないんだけどな」
「高校生でも遅くまでバイトできたら、時間ずらせるのにね」
本当にそうだと思うが、そればかりは仕方ない話だ。
空野先輩とは、前よりずっと自然に話せている。しかし、あの試合の日の約束は、今のところ果たされてはいない。
俺の聞き間違いだったのかとも思えてくるが、そんなことはないはずだ。いつか空野先輩の気が向いたら、と考えておく。
「……私も、練習行かなきゃ」
「ああ。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
先輩はそう言っておいて、靴を履こうとしない。まだ何か言おうとしているのならと、俺は待つことにする。
「どうした?」
「……海原は、岸川先生と、杜山先生の電話番号は知ってる?」
「あ、ああ……知ってるけど。学校にいる間とかは、あまり連絡しないようにしてる。って、そんなこと聞きたいわけじゃないか」
「ううん、あってる」
「そ、そうか……えーと……」
先生たちと俺のことが気になると、空野先輩は言ってる。
なぜ気になるのか、なんて聞くのは違う気がする。けれど急に空気を読むことができるようになるわけじゃなく――。
「……これ……」
先輩がポケットからスマホを取り出す。先輩が使っているところを、バイト中も一度も見たことがなかった――というより、見た感じ、新品に見える。液晶保護のテープがついたままだ。
「……どうやって使えばいいの?」
家の電話しか使ったことがない、高校三年生――悪い意味ではなくて、空野先輩はきっと天然記念物級の存在だろう。
そもそも、先輩が何のためにバイトを始めたのか。それは想像に過ぎないが――先輩なら、携帯を持つにもそういう真面目な手順を踏みそうなように思う。
「じゃあ、今度教えるよ。バイトの後でもいいし、どこか近所でもいい」
「っ……そ、そこまでしてもらうのは……」
空野先輩は慌てて遠慮しようとする――しかし、途中で言葉を飲み込んだ。
「……分かった。じゃあ、そのうち……」
そのうちでも、拒絶されていないのならいい。これまでと比べたら大きな進歩だ。
「……あの時の……試合の時の約束も、そのうち……」
「……え?」
「……何でもない。海原、またね」
「先輩、液晶のフィルムは保護フィルムに張り替えると、画面が傷つきにくくなるから。俺は結構得意だから、今度やろうか」
「……ありがとう」
やはり淡々とした口調は変わらない。それでもそこには確かに感情があって、俺はそれを聞き分けることができるようになってきている。




