第二話・3
「大変……送り迎えはさせてもらっても、海原くん、アルバイトに行けなくなっちゃう。先生は公務員だから、副業はできないし……」
いつの間にか先生が送り迎えをしてくれることになっているが、バスも使えるので先生にお手数をかけるわけにはいかない――と、それよりも一つ気になることを言われた。
「……先生、俺がアルバイトしてるってこと、知ってたんですか?」
俺は担任に許可を取る以外には、自分がバイトをしていることは言っていない――先生は誰にも言わないと言っていたが、やはり職員の間では伝わってしまっていたのだろうか。
そこまで一瞬で想像してしまうが、どうやら違っていたようだった――杜山先生は慌ててぶんぶんと首を振る。
「ち、違うのっ……わ、私、どうしても海原くんのことスカウトしたいからって、アルバイトをしてるところを偶然見つけて、こっそり様子を見てたわけじゃ……」
「先生……全部言ってしまってますが……」
「……はぅん!?」
こんな鳴き声を発する二十四歳がどこにいるのだろう――誕生日が来ていなければ二十三歳だろうが、いずれにせよレアではある。
「……先生のこと、ストーカーみたいって思った? 怖いって思ってない?」
「いや、そんなことは思ってないですが……俺は、杜山先生は知らないと思っていたので、少し驚きました」
「あぅっ……ごめんなさい、ごめんなさい。やっぱり勝手にそんなことしてたらいけないわよね、いくら君のことを勧誘したいからってそんなこと……」
やはり先生は、俺のことをまだ気にしてくれているのか。
俺が杜山先生と知り合ったのは、ある出来事がきっかけだった。それは、中学まで俺が吹奏楽部に所属していて、ソロコンテストにも出ていたことが関係している。
「……海原くん、しばらくバイトを休まないといけないわよね、この足だと。それで、提案なんだけど……こんなこと、怪我したときに言うのは、ひどい先生だって思うかもしれないけど……あの、あのね……ユーフォニアムを吹くのは、座ったままで足に負担をかけずに……」
「俺に、吹奏楽部に入れっていうことですか? それなら申し訳ないですが……」
「はぅっ……だめ、先回りしちゃだめ。先生は確かに海原くんを勧誘したいけど、それはあくまで強引じゃないの。楽器をもう一度やりたいって思ってくれるまで、私はずっと待ってるつもりだから」
痛いところを突かれたという反応をしつつも、先生は先生としての威厳を保とうとする。スキが多いように見えて、なんだかんだでしっかりしている人でもある。そうでなければ、男子たちの保健室通いを抑止できていなかっただろう。
杜山先生はふわふわとした微笑みを浮かべて俺を見ている。だが、やはり心を鬼にして、改めて念を押しておかなければいけない。
「去年の文化祭のときは、特別です。俺も、あれだけ吹けるとは思ってなかったですし……毎日練習してる部員の人にも、悪いですからね」
「そんなことないわ、みんな海原くんが入ってくれたら喜ぶと思う。二年前のソロコンで海原くんの演奏を見たのは、私だけじゃないから。あのとき会場にいた子たちはね、海原くんのことが凄く印象に残ってるって……」
「部活は、中学までにすると決めたんです。高校からは普通にバイトもできるし、勉強にも時間を使いたいですから」
「……こんなに足が痛いのに? バイトがお休みの間だけ、座って楽器を吹いてみるだけでもだめ?」
先生は今がチャンスと思っているみたいだ。彼女はただふんわりと優しいだけの先生ではなく、押しが強いところもある。
「楽器も吹かずに安静にした方が、治りは早くなりそうですからね」
「じゃ、じゃあ……えっと……んと……」
「先生、手当てをしてくれてありがとうございました。俺は授業に戻ります」
「あっ……だ、だめっ、まだ行っちゃ……きゃあっ!」
「うわっ……!」
立ち上がったところで、先生も慌てて立とうとする――しかし足がもつれて、俺の方に倒れてきてしまった。
「っ……あ、危ない……大丈夫ですか、先……」
後ろにベッドがある位置だから良かったものの、違う場所だったら厳しいことになっていた――と、そんなことを気にしている場合じゃない。
「んん……ご、ごめんなさい。急に行っちゃうなんて言うから……」
先生は、自分の状態にまだ気づいていない。
倒れ込んだ拍子に、俺の手が支えた部分は――先生の胸だった。少しも指を動かせないところに、先生が身じろぎをして指がめり込む。
「す、すみません……っ」
「い、いいの、私が慌てたのが悪いんだから……ごめんなさい、怪我をしてるのにこんなこと……」
先生が謝りつつ身体を起こす。そのしおらしさと真っ赤な顔、潤んだ瞳を見ていると、ひたすら申しわけなくなり、彼女の頼みを何でも聞いてしまいそうになる。
そうじゃない、今はこの状態を脱することだ。しかし俺は体勢の都合上、先生が自分から降りてくれるのを待つしかない。これではまだ、先生が俺をベッドに押し倒しているようにしか見えない。
「……二人とも、何してるの?」
終わった――と、そのとき思った。見られてはいけないところを見られてしまい、俺のインテリヤクザ疑惑が、杜山先生との関係と結びつけられ、何の勉強をしているのかと嫌疑が深まり、停学とか謹慎とかいう方向に行ってしまうかもしれない。誤解を解かないとまずい、その答えに行き当たるまで時間がかかってしまった。
しかしよくよく考えてみると、その声は聞き覚えがあるものだった。




