王狼
「へっ……きしっ!ナツさんまだ〜?」
「マスター、狼の嗅覚を侮ってはいけないわ。置いてきた服に気を取られている隙に出来る限り離れないと」
そりゃ聞いた時は名案だと思ったけどさ。
夜中にタンクトップ一枚で森を駆け抜けるところまでは想像してなかったんだよ。
「本当にこんな古典的な感じで騙せると思う?」
「無理ね」
マジか……返してくれよ俺の旅人の服。
「でも時間稼ぎになるし、匂いを分散させることで追手を混乱させられるかも」
かもで今タンクトップなのかと思うと悲しくなってくる。
まぁ紙みたいな防御力が薄紙になったようなもんだから、そこまで支障がないといえばそれまでだけど。
どれくらい走ったんだろう?
夜はますます深さを増している。樹々の枝葉から零れる青白い月明かりがなければ、きっと何も見えないに違いない。
息を整えようと深呼吸のつもりで鼻から空気を吸い込むと、湿った土の匂いに混じって明らかに異質な臭いが紛れこんでいることに気付く。
…………!!!
咄嗟に身を屈めると、その上を何か大きいモノが風切り音と共に通過していく。
それが何者かの腕だと気付くのに時間はかからなかった。
「少しはやるようだな」
地の底から響くような声が頭上から聞こえてくる。
見上げると、本やゲームでしか見たことのない獣人がそこに居た。
月光を滑らかに反射する白銀の獣毛に覆われた巨体、修羅を体現したかのようなその存在感は、確かめるまでもなく『王狼』に違いない。
「人間よ、この姿がそんなにも珍しいか?目に焼き付けておけ。この森は我が箱庭、生きて出られると思うな!」
何も考えるな。
次の攻撃に備えろ。
全身に馴染むように言い聞かせる。
王狼の右腕が微かに動く。
来る!
距離をとるべきか?
いや間に合わない、それにこの暗さで無闇に動くのは得策じゃない。
奴が言った通り、圧倒的な地の不利が俺にある。
ここで避けておけば例えどんな速さで来ても捌ける。
その返しで距離を詰めて脆そうな顔面を突く!
予想通り王狼の拳が直線的な軌道で飛んでくる。
対人間のように身体を傾けるだけじゃ避けきれない。
奴の動線から外れた場所。
伸びてきた右腕を掠めるように左前方に踏み込み懐に入る。
射程圏……!
下半身にありったけの力を込めて溜めをつくる。
「なに!」
この距離じゃ俺の方が速い!!
武器を発現させ、下半身に溜めた力を解放する。
「いっけぇぇぇぇぇ!!!!!」
眉間を貫く……はずだった。
鈍い感触と虫が体内で蠢くような反動が全身を伝う。
なんで……なんで俺は木の棒なんか持ってる?
まさかあの時のまま……
「惜しかったな」
眉間から流れた一筋の血を王狼がペロリと舐める。
避けなきゃ……
次の攻撃が……
腹部に刺すような衝撃が走る。
スローモーションのように視界が背景に逆行する。
ついてぇねぇな俺。
大事なとこで決めらんねぇ。
つかコイツの攻撃強すぎんだろ、クソ痛ぇ。
痛ぇ?
痛覚がまだ残ってる……?!
「マスター!残りHPは2よ!」
2って死にぞこないじゃねぇか。
でもまだ死んでねぇ!
「ほう、まだ立ち上がるか。ならば全力で貴様を葬ろう」
なんだよこのテンプレみたいな絶望感。
こっちは最初から全力だってのによ。
王狼の毛が逆立っていく。
間合いは保ってる。
さすがにこの距離なら避けられる。
王狼の頭上にフッと白い文字が浮かぶ。
『狼震』
技の名前か?
「マスター来るわ!」
あれこれ考えてもしょうがない。俺のチャンスはあと一回。
奴の攻撃を見切って『隔世』。
それしかない。
王狼が口を大きく開く。
なにがくる……?
「マスター!この技……聴…………」
ナツさんの声が途切れる。
視界がぐにゃりと歪む。
何をされた?
頭の中がグチャグチャにかき混ぜられたみたいだ、気持ち悪い。
足元がふらついて立っていられない。
この感覚は身に覚えがある。
嫌でも忘れられない。
思い出したくもない過去が脳裏をよぎる。
奴は?
奴から目を離したらダメだ!
いない……?!
どこに……
「終わりだ」
冷たく、落ち着きはらった声だった。
振り返る間も無く口元を塞がれ、喉を締められる。
詠唱が出来ない……
獣の強烈な臭いが意識を混沌に誘う。
くそ……俺は……やられ……ねぇ……
▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽
目が覚めると、轟々と燃え上がる炎が見えた。
ここは……洞窟?
痛ッ……
刺すように頭が痛い。
俺はさっき王狼に襲われて……
「目が覚めたようだな」
聞き覚えのある重低音と、それを囲む何十匹といる狼達の唸り声に、身体がビクッと反応する。
奥の台座のような場所に王狼が腰掛けていた。
「そう怖がるな。これから始めるのは貴様らの大好きな興行だ。もっとも、お前が愉しめるかどうかは疑問だがな」
身動きが取れない。
俺は両手両足を縛られて、磔にされていた。
「殺すならさっさと殺せ」
「そうしようと思ったのだがな、見たところお前はまだ弱い。lvとやらが10にも達していないだろう?」
「それがどうした?」
王狼は薄笑いを浮かべた。
「そうか、それは好都合だ」
好都合?何を考えてる?
「lvが10に満たない人間どもは、殺してもまた生き返るのだろう?」
こいつまさか……
「貴様はここで我らの玩具となり、生死を流転するがよい」
考え得る最悪の展開だった。
一生こいつらに弄ばれて、死ぬことすら出来ないなんて……
くそっ!くそっ……
いや、まてよ……
これなら……
「『火球』」
詠唱と同時に、小さな火球があらぬ方向へ飛んでいった。
天井にぶつかり、パラパラと小石混じりの砂埃があがる。
周りにいる狼達が敵意を剥き出しにして唸り始める。
「それくらい予想済みだ。なんのために手足を縛っていると思っている?対象に向けなければなんの意味も為さないぞ。まぁ向けたところで蚊ほどにも感じないが」
悔しがれ、全力で悔しがるんだ!
俺にはまだ切り札が残ってる。
奴を限界まで油断させる!
「ちくしょう……早く俺を殺してくれ……楽にしてくれ」
「ハーッハッハッ、見たか同胞よ!これが哀れなる人間どもの末路だ!我らは人間を決して赦しはしない、神の裁きを与えようじゃないか!」
王狼の言葉に呼応するように、狼達が一斉に遠吠えを始める。
耐えろ、必ずその時は来る。
ミスは絶対に許されない。
「静粛に。ではまず私が殿を務めさせて頂こう」
そう言い終えると、王狼は台座から立ち上がり、こちらに歩を向ける。
おそらく奴は俺を殺す前に、またくだらない演説をするだろう。
その時だ。
目の前に立った王狼は薄笑いを浮かべると、間髪入れずに腕を振り上げた!
まずい!
「『隔……
一匹の狼が王狼に走り寄り、短く吠えた。
王狼の腕がピタリと止まる。
「どうした同胞よ?」
王狼は静かに掌を狼の頭に乗せ、目を瞑った。
「むぅ、それはまことか」
王狼と狼は、身じろぎもせずジッと目線を交わす。
今やるべきか……?
チャンスがあるとしたらここしかない。
ただ、目の前の狼が最後の一線を越させまいとしているように思えた。
「しかし、どうしたものか。このままただ逃がすというのも腑に落ちぬ」
逃がす?
この狼は何を伝えたんだ……?
しばらく王狼は考えていたが、何かを思いついたように目を見開いた。
「人間よ、今回は同胞の義に免じて貴様を解放してやろう」
助かった……のか?
「しかし条件がある。近頃、この森に入り、我が同胞を殺すという蛮行を繰り返す輩がいる。貴様にはその外道をここに連れてきてもらおう」
こいつらが人間を憎んでいるのはこれが原因か。
だけど……
「もし俺が約束を破ったらどうする?お前らは俺を信用していないんだろ?だったら……
「約束?笑わせるな。これは命令だ、それも命懸けのな」
命懸け……?
どういうことだ?
王狼は振り返ると、狼の群れに向かって凄まじい雄叫びをあげた。
「明日の午前零時!その時を期限とし、万一罪人が此処に現れなかった場合、我々はマルスタットを襲撃する!」
狼達が追随して遠吠えをする中、目の前の狼だけが、静かに俺を見据えていた。




