魔力無しの少女
季節は巡り、吹きさらしの納屋にも容赦のない厳冬が訪れた。
凍てつくような寒さのなか、エレナの小さな身体はびっくりするような変化を遂げていた。
手足のあかぎれは絶えない。
身のこなしは一切の無駄がなく、降り積もった雪の上を歩いても足音ひとつ立てない。
体内の魔力は圧縮され、冷え切った血の代わりにエレナの小さな身体中を内側から熱く巡った。
「息を吐くときに緩めるな。一定の圧を保て」
薄暗いわらの上で、銀髪のアメリアが低く指示を出す。 エレナは目を閉じて、心臓の鼓動と巡る魔力を完全に自らの皮膚の下へと閉じ込めた。 そばを舞う妖精たちすらも、エレナが意識を集中させると輪郭を見失いそうになるほどの完全な無だった。
「よしそこまでだ」
アメリアの声に、エレナは静かに息を吐き出した。 抑え込まれていた体温が戻ってくる。
だが、安らいだの時間は長くは続かなかった。
ザク、ザク、と降り積もった雪を踏みしめる乱暴な足音が納屋へ近づいてきた。
アメリアの目が鋭く細まり、あごでエレナに部屋の隅をしめす。
エレナは音もなく身をひるがえして、木箱の影へと溶け込むように隠れた。
蹴破るようにして開いた扉から入ってきたのは、本邸で雑務を取りまとめる恰幅のいい下男だった。
手には太い革の鞭を持ち、酒臭い息を白く吐き出している。
「おい生きているか、ネズミどもめ」
男は下品な笑みを浮かべ、納屋の中を見回す。
「本邸の暖炉の薪が足りねえんだ。ここにある古い木箱やガラクタをすべて本邸に運べと、エミリア様からの言付けだ。そこの女さっさと積むんだ」
男の濁った視線が、エレナが熱心に読みこんでいた古びた蔵書の山へと向けられた。
あの本を失えば、エレナの知識のかてが失われてしまう。
アメリアが静かに立ち上がり、男の前に立ちふさがった。
「薪なら外の枯れ木を拾えば済むはず。ここにあるのは伯爵家の古い備品。燃やせばお前が責めを負うことになるよ」
「ただの無駄飯ぐらいがが指図するんじゃねえ」
逆上した男が、太い腕を振り上げ手にした鞭を女性の顔面へと振り下ろそうとした。
その瞬間だった。
アメリアが身構えるより早く木箱の影から何かが動いた。
音も風の揺らぎも魔力の気配すら一切ない。
エレナは教わった通り、己の存在を石ころのようしたまま、指先から針のように細く研ぎ澄ました魔力を放った。
本に記されていた風の術式、妖精たちが操る悪戯のような小さな力学。
男が足を踏み込もうとしたその刹那、凍りついたわらの表面に目に見えない薄氷の膜を一瞬だけ張る。
「なんだ」
体重を乗せて踏み込んだ男の足がおかしな角度に滑る。
バランスを崩した男の身体が宙を舞って、頭から古びた木桶へと突っ込んだ。
鈍い打倒音とともに男は白目を剥いて気を失った。
納屋の中に再び静寂が戻って来た。
魔力の名残すら残さない完璧な事故。
相手の力とすきを利用した、最小限の介入による制圧だ。
木箱の影からエレナが静かに姿を現した。
瞳には、かつて誕生パーティーで見せたような無垢な怯えは微塵もない。
冷酷なほどの冷静さと、自らの計算通りに結果出した光が瞳に宿っている。
「教えた以上のことをやりやがる」
アメリアは倒れた大男を見下ろし、それからエレナへと視線を移す。
その声には、戦慄と歓びが混ざり合っていた。
「最小の魔力で最大のすきを突いた。合格だ」
「アメリア先生ありがとう」
エレナが初めて口にした呼び名に、アメリアは一瞬だけ目を見張った。
それから微笑を浮かべて背を向ける。
「先生なんて柄じゃない。さっさとこの豚を外の雪山へ放り出すよ。凍え死なない加減でな」
二人が手早く男を引きずり出していた頃。
豪奢な本邸の執務室では、ロバート伯爵が忌々しげに書類を叩きつけていた。
「魔力の適性が無だと、どういうことだ」
控えていた宮廷魔導士が、顔を青くしながら頭を下げる。
「新しくお生まれになったお嬢様の魔力鑑定を行いましたが全く反応がございませんでした。フェルデンツの炎の系統はおろか魔力だす器が極めて小さく無とするしかございませんでした」
ロバートの顔が、怒りで青黒く染まる。 期待した跡継ぎの男児ですらない。
生まれた女児ですら伯爵家の威信を保てない。
「役立たずどもめが」
怒り狂ったロバートの怒号は、厚い絨毯に吸い込まれていく。
本邸で魔力のない血統に怯え焦焦りを募らせる者たち。
冷たい納屋の底で、本物の魔力を研ぎ澄まし続ける少女。




