シャルロットとの完全決別
母レティシアの遺骨を純白の大理石の小箱に納めすべての手続きを終えたエレナが馬車へ戻ろうとした時、アルフレッド公爵が静かに歩み寄ってきた。
「エレナ様。王都の牢獄へ連行される直前のシャルロットが、貴女に会わせろと狂ったように暴れております。このまま発たれても構いませんが、いかがなさいますか」
傍らに立つ婚約者カディスが不快そうに眉をひそめたが、エレナは微動だにしない。
「会います。母を連れてこの地を去る前にあの娘に引導を渡すのも私の務めです」
案内されたのは、かつてエレナが閉じ込められていた地下の灰捨て場のすぐ近く頑丈な鉄格子で仕切られた、外郭の仮設地下牢だ。
冷たい湿気と石の匂い。
かつて自分が味わった暗闇の底で、シャルロットが両手首を鎖で拘束され床にへたり込んでいた。
「エレナ」
足音に気づいたシャルロットが、鎖を鳴らして鉄格子にすがりついた。
乱れた髪の隙間から覗く目は血走り、唇は乾燥してひび割れていた。
その表情に浮かんでいたのは反省でも後悔でもなく、煮えたぎるような逆恨みと歪んだ執着だった。
「やっと来たわね泥棒猫。よくも私の人生をめちゃくちゃにしてくれたわ」
シャルロットは唾を飛ばし格子を激しく揺らして喚き立てる。
「全部あんたのせいよ。あんたが魔力を見せびらかして使節団に媚びを売ったからお父様は死罪になり、お母様は狂って命を絶った、私はこんな目に遭っているの。あんたが納屋の中で大人しく野垂れ死んでいればよかったのよ」
シャルロットの口から吐き出されるのは聞くに堪えない罵詈雑言の嵐。
自分がエレナを玩具のように扱い、火の海へと閉じ込めたことなど、都合よく記憶から消し去り自らの破滅の責任をすべて目の前の姉に押し付けている。
「いい気にならないで。侯爵令嬢で王子の婚約者笑わせないでよ。あんたは私の靴を舐めていたドブネズミよ。私がフェルデンツの後継ぎで竜の炎を持つ神童なの。あんたが持っているものすべて本当は私のものだったはずよ」
鉄格子の向こうで喚き散らすかつての妹をエレナは静かに見つめていた。
眉ひとつ動かさない。
瞳の奥に、怒りも悲しみも侮蔑の笑みすら浮かばない。
ただの風の音でも聞いているかのような静寂。
その圧倒的な無反応に、シャルロットの声が次第に上擦り息を切らせて途切れた。
「なによ。何か言いなさいよ、言い返せないんでしょう」
静まり返った地下牢に、エレナの靴音が澄んだ音を立てた。
エレナは鉄格子の前に歩み寄り、冷ややかにシャルロットを見下ろす。
「哀れねシャルロット」
「なによ」
「あなたの言う神童はその程度のなのかしら」
凛とした、研ぎ澄まされた声が地下の冷気を震わせる。
「あなたが誇っていた竜の炎は、魔石の暴走で死にかけたあなたを救うために私が風の魔力で魔力回路をこじ開けてあげた借り物にすぎないわ」
「嘘、私が自分で目覚めさせたのよ」
「四歳のあの日、裏庭のバラ園で巨大な大カラスに襲われた時誰が身を挺してあなたを庇ったかしら。大カラスを風の刃で切り裂きあなたを抱きしめたのは誰だったかしらね」
シャルロットの顔からさっと血の気が引く。
頭の奥底に封じ込めていたはずの泥まみれの背中と鋭い風の記憶。
エレナの揺るぎない事実の前に言葉が喉に張り付いて出ない。
「あの夜会の火事もそうよ。未熟な魔力に溺れて火を撒き散らし腰を抜かして泣き叫んでいたあなたを誰が氷の嵐で救い出してあげたのかしら」
エレナは冷酷に言葉を重ねる。
「あなたは神童でも何でもない。一度たりとも己の知性と力で何かを成し遂げたことなどない、ただの無力な子供よ」
「違うわ、フェルデンツ伯爵家の後継者よ」
「フェルデンツ伯爵家はもうどこにもないでしょ」
エレナの最後の一言が、シャルロットが縋り付いていた虚飾を打ち砕いた。
シャルロットは目を見開き、ガタガタと全身を震わせた。
否定したくても目の前に立つエレナの圧倒的な魔力の威圧と、真実の重みに完全に魂を折られていた。 自分が誇っていた特別のすべてが、ただの盗品であり道化の戯言にすぎなかったという現実に押しつぶされる。
「あああ」
シャルロットの喉から掠れ声しか漏れなくなった。
震える手で頭を抱え床へと崩れ落ちていった。
エレナは、妹の崩壊を見届けることすら惜しむように静かに踵を返した。
「待ちなさいよ、エレナ。私を置いていかないで」
シャルロットが鎖を引きずり、泥の床を這いながら叫ぶ。
「私をここから出して、あんたの妹でしょう。助けなさい、命令よ」
エレナの足が止まることは二度となかった。
出口の階段へと向かいながら振り返りもせずに言い放つ。
「あなたに復讐する価値すらない。一生自分が何も持たない無能であったという事実の檻の中で無力を呪いながら朽ち果てなさい」
「エレナ」
絶叫と鎖が激しく打ち鳴らされる音が地下牢に木霊する。
頑丈な鉄扉が重々しく閉じられた瞬間、その見苦しい喚き声は完全に遮断された。
シャルロットは世界から切り離された。
地下から地上へと出ると、澄み渡るような青空が広がっていた。
木々の間を抜ける風が、エレナの銀髪を柔らかくなびかせる。
「終わったか、エレナ」
待っていたカディスが温かな眼差しで手を差し伸べてきた。
「ええ。終わりました」
エレナはその手を取り誇らしげに微笑んだ。
胸元に抱いた大理石の小箱が、まるで母が安堵したかのように温もりを伝えてくる。
白銀の馬車が光あふれる空の下へと走り出す。
母を奪い自分を踏みにじった忌まわしき過去は完全に背後へと消え去った。
二度と振り返ることはない。
自らの力と気高き魂で運命を勝ち取った少女は、愛する者と共にどこまでも広がる輝かしい未来へと旅立っていった。




