母レティシアの遺骨の正式な返還
母レティシアの名誉回復と遺骨の正式な返還のため、両国王室の合意のもと旧フェルデンツ領にて厳粛な式典が執り行われることとなった。
国境を越えて旧領へと進むのは、双翼の鷲の紋章を掲げたヴィクトール侯爵家の白銀の馬車列。
その先頭を、婚約者で第二王子カディス率いる近衛騎士団が堂々と警護していた。
「エレナ、間もなく到着する」
カディスの静かな声に、十二歳となったエレナは深く頷いた。
身にまとうのは、黒と銀を基調とした最高級の喪の礼装。
胸元には、あの日から肌身離さず温め続けてきた母の銀の指輪が光っている。
王室直轄地となった旧フェルデンツ伯爵邸の前庭には、アルフレッド公爵をはじめ、大広間の火災でエレナに命を救われた高位貴族たちが正装で居並んでいる。
馬車のステップからエレナが降り立つと貴族たちは一斉に恭しく頭を下げた。
陽光を浴びてきらめく美しい銀髪と、底知れぬ魔力と知性を宿したエメラルドの瞳。
かつて冷たい床を這わされ、ドブネズミと嘲笑われていた少女は、今や誰もが畏敬の念を抱かずにはいられない隣国の至宝としてそこに立っている。
「ヴィクトール侯爵令嬢エレナ様。母君レティシア様の御魂をお迎えする準備は整っております」
公爵の厳かな言葉に、エレナが静かに応じようとした。
その時だった。
「どいてよ、離しなさい。無礼者」
静寂を切り裂く、耳障りで甲高い喚き声が響き渡る。
本邸の通用門の奥から、衛兵の手を振りほどいて転がり出てきたのはみすぼらしい灰色の古着をまとった一人の少女、シャルロットだった。
短く乱雑に切り落とされた髪。すすと垢にまみれた手足。
自らの炎で焼け焦げた右腕を庇うように抱え、神童と持てはやされた面影は見る影もない。
その瞳に宿っていたのは、反省でも後悔でもなかった。
現実を受け入れられず、肥大化した傲慢の残骸を抱えたままの剥き出しの嫉妬と怨嗟だった。
「エレナじゃないの」
シャルロットはぎょろついた目を剥き、豪奢な礼装に身を包んだエレナを指差して叫ぶ。
「あんた、その格好はなによ。私の靴を磨いていたドブネズミのくせに、どうしてそんな偉そうな顔をしてるの。王子の隣に立っていいのは、フェルデンツの正統な後継ぎである私よ。そのドレスも馬車も私のものよ」
貴族たちから、吐き気を催すような侮蔑と嘲笑の視線が一斉に浴びせられる。
自らの炎を制御できずに屋敷を焼き払い爵位も魔力も失った元伯爵令嬢。
それだけの破滅を迎えながら彼女は未だに特別な存在だと信じ込み、己の境遇をエレナのせいにしていた。
「衛兵。その狂人を引きずり出せ」
カディス王子が氷よりも冷たい声で命じる。
「待って王子様。騙されているわその女はただの出来損ないのドブネズミよ」
取り縋ろうとしたシャルロットを近衛兵が無造作に地面へとねじ伏せた。
泥の中に顔を押し付けられシャルロットは狂ったように爪を立てて暴れだした。
「離しなさい。私には竜の炎があるのよ、燃やしてやる。全員灰にしてやるわ。出なさいよ炎、どうして出ないのよ」
指先から上がるのは、黒い煤煙の粉だけ。
魔力を失い、ただ泥水をすすって叫ぶその姿は、彼女がエレナを閉じ込めた地下のドブネズミそのものだった。
エレナは騒ぎ立てる元妹の前にゆっくりと歩み出た。
シャルロットは泥にまみれた顔を上げ勝ち誇ったように舌打ちをする。
「迎えに来たんでしょう!。私を侯爵家に連れて行きなさいよ。私のほうが絶対に役に立つわ」
だが、エレナの反応はシャルロットの想像を絶するものだった。
激昂もしない。嘲笑いもしない。
エメラルドの瞳を向けられたシャルロットの背筋を寒気が突き抜けた。
そこにあったのは怒りですらなかった。
道端に転がる小石を眺めるような、完全なる無関心だった。
「身の程を知りなさい。罪人の娘」
涼やかな絶対的な断絶を告げる声が落ちた。
「私の母を奪った一族の血筋。その程度の知性で、誇らしげに息ができたものね」
「なによ、あんた」
「連れて行きなさい。母の帰還の儀を穢されては不快です」
エレナは一度もシャルロットと視線を合わせることなく背を向けた。
「待ちなさいよ、エレナ。私を見なさい」
喚き叫び泥を跳ねさせながら兵士たちに引きずられていくシャルロット。
見苦しい怒号は地下牢の扉が重く閉ざされる音とともに、完全に遮断された。
騒動が片付いた後、エレナはカディスと公爵と共に、本邸の裏山清らかな小川が流れる森の奥へと向かった。
吹きさらしの納屋の裏手、七歳のエレナが誰にも知られぬよう土の魔力で埋葬した場所。
エレナは静かに跪き、胸元の銀の指輪をかざす。
淡い光とともに大気が揺れ、妖精の光に守られていた母の遺骨がふわりと宙へと浮かび上がった。
用意された純白の大理石の小箱の中へ母の魂が優しく収められていく。
「お母様。迎えに来ました」
小箱を両手で大切に抱き上げたエレナの頬を、木漏れ日の風が柔らかく撫でていく。
かつて自分を閉じ込め、泥水をすすらせた屋敷は見る影もなく打ち捨てられている。
エレナは一度も振り返ることなく白銀の馬車へと乗り込もうとした。




