納屋暮らしのエレナ
冷たいわらの匂いで、エレナは目を覚ました。
「寒い」
あまりの寒さに身じろぎをすると、昨夜まで着ていたはずの美しいドレスの感触はなく、ガサガサとした粗末な麻の布地が肌をさすった。頭が重く喉の奥が痛む。
ここはどこだろう。温かな寝室でも、あのまばゆい大広間でもない。
隙間風が吹き抜ける、遠目から見ていたあの薄暗い納屋の一隅だった。
「起きたのか」
低い、乾いた声が降ってきた。
ハッとして顔を上げる。
すぐ近くの木箱の前に、一人の女性が座り込んでいた。
ほつれた銀髪を無造作に束ね、煤けたエプロンをまとったその女性は冷え切った目でエレナを見下ろしていた。
あの夜、広間の片隅でエレナが目撃した最下層の仕事に従事する女性だった。
朝食は、木製のすり切れた器に入った底の浅い白湯のようなスープと、石のように硬い黒パンの切れ端だけだ。
「ほら、冷める前に食いな」
無愛想にそう言い捨てると、すすけたエプロンをまとった女性は、自分の分の硬いパンを無造作にちぎり口に放り込んだ。
エレナはかじかむ小さな両手で木製の器を包み込みスープに口をつけた。塩気すらないただ泥臭い井戸水の味が通り過ぎる。
黒パンを歯で噛み砕こうとするがあまりの硬さにあごが痛む。
ふと、昨夜の豪華な馳走の記憶が脳裏をかすめ胸の奥がキュッと締め付けられる。
女性の名前もなぜ自分がここにいるのかも分からない。
ただ、昨夜のパーティーの最後に父ロバートが告げた新しい命という言葉。
周囲の冷ややかな嘲笑だけが、頭の中で重く沈んだ。
「お母様はどこ」
震える声で尋ねたエレナに、女性は冷ややかに鼻を鳴らす。
「お前の母親なら、本邸の温かなベッドでおくるみに包まれた赤ん坊をあやしているさ。用済みになったお前を捨て置いてな」
その言葉は、鋭い刃のようにエレナの胸を切り裂く。
信じたくない。自分は愛されているとずっと信じていたのだから。
涙がこぼれそうになった時、耳元でふわりと風が揺れた。
「泣かないで、エレナ。ぼくたちがいるよ」
誰にも見えない妖精たちが、小さな羽音を立てて頬をなでる。
その温もりに励まされ、エレナは必死に涙をこらえ、唇を噛み締めた。
「いつまでもぼんやりしているひまはない。仕事の時間だ」
女性は無愛想にそう言い放つと、使い古された硬いほうきをエレナの足元に放り投げた。
「ここは私たちの寝床であり掃きだめだ。隅々までほこりを払い、外から水をバケツいっぱいに汲んで運べ。働かない者は今日の黒パンは出ないよ」
かつて指先一つも動かさずすべてを周囲に世話されていた四歳のエレナにとってはそれはあまりにも酷な現実だった。
小さな両手で重いほうきの柄を握りしめ、エレナは震える足で立ち上がる。
女性はそんなエレナを冷たい目で見つめた。
その整った顔立ちのどこかに何かを見たのかわずかに眉をひそめた。
それ以上は何も言わずに自分の作業へと戻っていった。
仕事が終わるとエレナにはわずかな自由な時間が与えられた。
遊び道具など何もない。あるのは、隅に積まれた、古い木箱の山だけだった。
ある日、その木箱の奥に埃をかぶった何冊かの古びた本が埋もれているのを見た。
表紙は破れ、ページは黄ばんでいる。
開いてみると、かつて父の書斎で見かけたような、貴族の歴史や経済、古い魔法の理論が記されていた。
「これ読んでもいいのかな」
呟いたエレナに、離れた場所で休んでいた女性が目を向けぶっきらぼうに言った。
「勝手にしな。どうせ文字が読めるなら暇つぶしくらいにはなるだろ。誰も教えてはくれないがね」
エレナは息を呑み慎重にページをめくった。
四歳という年齢には難解な言葉のられつだった。
赤ん坊の頃から妖精の声を聞き知的な環境で育ってきた彼女の頭脳は、驚くほど貪欲に吸収していく。
「すごいねエレナ。難しい言葉もぜんぶ読めちゃうんだね」
耳元で、妖精たちがパチパチと小さな羽音で拍手をしてくれる。
固い黒パンをかじり、冷たい水で顔を洗いながら、エレナは古びた蔵書を開くことに喜びを感じていった。
名前も知らぬ女性と、小さな元お嬢様。
同じ屋根の下の底辺で、二人の奇妙で冷たい共同生活が、こうして静かに幕を開けたのだった。




