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フェルデンツ伯爵家の檻~エレナとシャルロットの解放~  作者: 春告草


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宴の夜3  

死に戻りを果たしたエレナは夜会の前日のうちに素早く動いた。


地下室の鉄扉を支える壁側の金具に、母から受け継いだ腐食の粉をほんのわずかに塗布する。

外見には何の変化もないが、強い衝撃が加われば根元から崩れ落ちる仕掛けだ。


夜会当日。


一度目の記憶の通りエミリアの手によって分厚い鉄の閂が下ろされ、太い鎖が巻かれて南京錠がかけられた。 頭上の大広間からシャルロットの炎が暴走を始め煙道を通じて黒煙が地下へと逆流してくる。


二度目は違った。

エレナは風の魔力を集中させ、内側から金具の急所へと鋭い衝撃を撃ち込んだ。

金具は粉々に砕け散り、重たい鉄扉が閂ごと外側へと吹き飛ぶ。

充満し始めた煙を背に、音もなく地下室を脱出した。


屋敷中がパニックに包まれていた。

煙と熱気に怯えた使用人や衛兵たちが我先にと逃げ惑い、結界の警備は完全に崩壊している。

いまなら、誰にも気づかれずに森へ抜けヴィクトール侯爵領を目指して走ることができる。

自由はもう指先が触れるほどの距離にあった。


裏庭の生垣を抜け森の入り口へと足をかけた、時だった。


背後で凄まじい爆発音がとどろいた。

振り返ったエレナの瞳に、大広間の大窓を突き破って天へと立ち上る紅蓮の炎が映り込んだ。


暴走した竜の炎は、シャンデリアを叩き落とした。

豪奢な絨毯を舐め尽くして大広間を瞬く間に生き地獄へと変えていた。


「助けてくれ」

「扉が開かない。誰か、誰か」


貴族たちの悲痛な叫びが聞こえる。

転倒して火の粉を浴びる給仕の少年たち。

炎の渦の中心で、自らが招いた紅蓮の炎に腰を抜かし、煙を吸い込んで激しくむせ返る四歳のシャルロット。

娘の名を呼びながら火に阻まれて泣き崩れるエリザベスの姿が風に乗って鮮明に伝わってきた。


「エレナ、大変。たくさんの人が焼け死んじゃう」

「熱いよ、苦しいよって、みんな泣いてる」


妖精たちが恐怖に怯えながら、エレナの周りを飛び交う。


私には関係ないことよと、エレナは自らに言い聞かせ森の暗闇へと走ろうとした。

自分を地下牢で産み落とさせ、母の命を奪い、ゴミのように捨てた冷酷な家族だ。

招かれた貴族たちも、虚飾の栄華を楽しみに来ただけの同罪者。

全員が灰になったとしても、因果応報、自業自得ではないのか。


走ればいい。 このまま森へ消えれば、私は自由になれる。

足が、どうしても前へと進まなかった。


「泣くんじゃないよ、エレナ。お前は代用品ではない私の誇り高い娘だ」

脳裏に蘇ったのは、息を引き取る間際の、母レティシアの優しい声だった。

理不尽な悪意にまみれすべてを奪われても、最後まで己の誇りと優しさを捨てずにエレナを慈しみ抜いてくれた母。


見殺しにして逃げ出せば生き延びることはできる。

弱者が理不尽に焼き殺されるのを冷笑して見過ごすなら私を愛してくれた誇り高い母の娘ではなく、あの冷酷なロバート伯爵と同じ怪物になってしまう。


「ああ、もう」


エレナは自らの甘さに悪態をつきながら地面を強く蹴った。

森へ向かっていた身体を反転させ、火の海と化した大広間へと全速力で駆け戻った。


大広間の両開きの大扉は、熱で歪み内側からも外側からも開かなくなっていた。

エレナはためらうことなく右手を掲げた。

あれほど皮膚の下に流していた魔力を表に出すなと戒められていた膨大な力を一気に解放する。

放たれた純白の衝撃波が、分厚い扉を木端微塵に粉砕した。

煙と炎が渦巻く地獄絵図の中へ、ボロ布をまとった七歳の少女が単身で踏み込んでいく。


「なんだ」


床に倒れ伏していたロバート伯爵が、かすむ視界でその姿を見上げる。


エレナは目を閉じ深く息を吸い込む。

心臓の奥から汲み上げたのは、燃え盛る紅蓮の炎を根底から圧倒する澄み渡った零度の冷気。

そして周囲の無数の妖精たちと共鳴する大自然の嵐の力。


「鎮まりなさい」


エレナの一喝とともに全身から神々しいまでの青白い光の奔流が噴き上がった。

炎を飲み込むようにして、床一面に氷の結晶が凄まじい速度で広がっていく。

紅蓮の炎は、エレナの放つ氷の嵐に撫でられた瞬間、一瞬で凍結しサラサラと砕け散って霧散した。

数秒の間、 地獄の業火に包まれていた広間には冷涼で清らかな空気と、舞い散る美しい光の粉だけが残されていた。


焼け焦げていた貴族たちも、使用人たちも、命を落とすことなく全員が息を吹き返していた。

奇跡だった。 誰もが絶望の淵で目撃した救済。


炎が完全に消え去った静寂の大広間の中心で、エレナは肩で息をしながら立ち尽くしていた。

皮膚の下に隠し通してきた魔力は、完全に解放され部屋中を満たしてしまっている。


周囲を見渡せば、腰を抜かした王都の使節団や高位貴族たち。

呆然とエレナを見つめるエリザベスと、恐怖に震えながらドブネズミを見上げるシャルロット。

そして、ロバート伯爵の瞳が、底知れぬ狂気な光を宿してエレナを真っ直ぐに射抜いていた。


「エレナ、扉の前に兵士たちが集まってきたよ」


妖精たちの震える声が耳元に届く。


逃げ道は、完全に塞がれていた。

人々の命を救ってしまった代償として、自らの正体と規格外の魔力を知られてはならない者たちの前で白日の下に晒してしまった。


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