宴の夜2
息が、できない。
逃げ場のない地下室に、逆流した黒煙と熱気が一気に充満していった。
煙道が内側から真っ赤に焼けただれ、石壁がミシミシと音を立ててはぜる。
「ゲホゲホ」
エレナは床に伏せ、服の袖で口元を覆った。 酸素は瞬く間に焼き尽くされた。
灼熱の空気が喉と肺を内側から焼き裂く。 扉に体当たりのように手を伸ばした。
外側に頑丈に巻かれた鉄の閂と鎖はびくともしない。
熱い、苦しい。 意識が急速になくなっていく。
「エレナ息をして」
妖精たちの悲鳴のような声が、遠のく耳の奥で響いた。
母を理不尽に奪われ、納屋の泥水をすすり生き延びてきた。
それなのに、最後はあの傲慢な妹の炎に巻かれ誰にも知られずに地下の掃き溜めで灰になるというのか。
悔しい。 こんな理不尽に、身勝手な奴らに命を奪われてたまるか。
エレナは胸元で、母の形見の銀の指輪を砕け散るほど強く握りしめた。
指輪に刻まれた双翼の鷲の紋章が、青白い閃光を放った瞬間に世界が砕け散った。
「ゲホゲホ」
激しい過呼吸とともに、エレナは上体を起こした。
冷たい。 肌を焼く灼熱の熱気も喉を焦がす黒煙もない。
飛び込んできたのは、ひんやりした地下室の空気と、石炭の匂いだった。
エレナは震える両手を見つめた。
火傷はない。あの日までのあかぎれが残る小さな手のままだった。
首元に触れると、母の銀の指輪がいつも通りの冷たさを保ってそこにある。
「エレナ、どうしたの急に飛び起きて」
呑気な妖精の声が揺れた。
黒煙に巻かれ泣き叫んでいたはずの妖精たちが周囲をふわふわと舞っている。
エレナは素早く立ち上がり鉄扉の隙間に耳を当てた。
「明日の夜会の氷は厨房に届いているのか」
「ああ、王都からの使節団を迎える準備は万全だ。明日のいまごろは、シャルロット様の炎で広間が大喝采だよ」
頭上の廊下を行き交う下男たちの声が聞こえる。
明日が夜会。
心臓の音が激しく打った。 エレナは即座に理解する。
死んだのだ。
シャルロットの暴走した炎に閉じ込められ煙に巻かれて確かに命を落とした。
そして、母の指輪が持つ未知の力か、己の魂の執念かが前日へと巻き戻したのだ。
エレナは扉の冷たい鉄板に手のひらをあて小さく息を吸い込む。
恐怖は一瞬で消えた。
残ったのは、研ぎ澄まされた思考だけだった。
すべてを知っている。 敵がいつ何を仕掛けてくるか。
屋敷が最初にどこから崩壊を始めるのか。
いまならまだ間に合う。
頑丈な閂が下ろされる前に、地下から脱出するための細工をする。
身勝手な家族への報復の準備も自らの手で仕込むことができる。
「二度も同じ手で殺されてあげるものですか」
暗闇の中、エレナのエメラルド色の瞳が鋭く光った。
死の淵から舞い戻った七歳の少女の反撃が始まろうとしていた。




