辛い本邸の仕事
シャルロットの気まぐれな一言は、翌日には命令となって納屋へと下された。
「ドブネズミ。お前を本邸で使ってやるとシャルロット様から直々にお慈悲をいただいたよ」
侍女長エミリアが、汚らわしい物を見る目でエレナの腕を掴み、乱暴に本邸へと引きずって行った。
四歳の誕生日にシャンデリアの下で踊った本邸。
三年の月日を経て再び踏み入れた床は、同じ大理石でありながら、敵地だった。
エレナに与えられた寝床は、本邸の地下巨大な厨房とボイラー室の脇にある灰捨て場の小部屋だった。 窓もなく、天井からは配管が剥き出しに通り、石炭の粉塵と暖炉の灰が宙を舞っている。
ベッドなど無く冷たい石床に敷かれた一枚の麻袋と、すり切れた薄布。
外からは鉄のかんぬきを落とされ、エミリアは嘲笑を残して立ち去っ行った。
暗闇に取り残されたエレナの瞳に絶望の色はない。
エレナは服の埃を払い壁に耳を当てる。
この灰捨て場の部屋は、本邸の暖炉や換気口へと繋がる煙道の起点だ。
気配を殺す術を身につけ狭い隙間をすり抜けられる妖精たちにとって、屋敷中の声と魔力の流れを盗み聞くための最高の場所だ。
「エレナ、ここなら屋敷じゅうの秘密を覗けちゃうね」
耳元でささやく妖精に小さく頷いた。
翌朝から、シャルロットによる執拗な遊びが始まった。
「ねえ、そこのドブネズミ。靴を磨きなさい。顔が映るまで手で擦るのよ」
豪奢な私室の長椅子に腰掛けた四歳のシャルロットが、泥のついた革靴をエレナの鼻先へと投げ捨てる。 感情を一切表に出さず、静かに膝をつき言われた通りに布で靴を磨き始めた。
シャルロットは、震え涙を流す惨めな姿を期待していたのだろう。
黙々と無言で作業をこなす平然とした態度に苛立ちを募らせていく。
「生意気ね。私の炎を見せてあげるわ。動いちゃ駄目よ」
シャルロットが小さな指先を向けると、深紅の炎が立ち上った。
かつてエレナが命がけで開いてやった、フェルデンツ伯爵家の竜の炎だ。
火の粉が擦り切れた服の裾を焦がし肌を焼く。
エレナは内心で冷徹に分析する。
皮膚のすぐ下に魔力の膜を張り、表面の熱を散らし火傷をしない。
外見上はわざと怯えたように肩を小さく縮め、恐怖に耐える弱者を完璧に演じてた。
「やっぱりただの臆病なドブネズミね」
満足したシャルロットの笑いが、部屋に響きわたった。
本邸での扱いは苛烈を極めた。
大広間の水拭き、各部屋の暖炉に溜まった灰の掻き出し、厨房の残飯の処理。 誰もがやりたがらない最下層の仕事が七歳のエレナ一人に押し付けられた。
そんなある日の午後、長い廊下を雑巾掛けしていたエレナの前を、豪奢なドレスの裾が通り過ぎた。
エリザベスだった。病弱な身体を侍女に支えられながら歩く彼女と、床に膝をついたエレナの視線が交錯した。
エリザベスが息をのんだ。 痩せこけすすに汚れながら、エレナの顔立ちには気品があった。
前髪の隙間からのぞく吸い込まれそうなエメラルド色の瞳と、ほつれた銀髪は、かつて自分が地下牢から奪い納屋へ追いやった女アメリアそのものだった。
「奥様いかがなさいました」
「あの子は誰」
エリザベスの顔から血の気が引き、指先がエレナを指した。
罪悪感と過去の亡霊が蘇ったかのような恐怖。
かつて母親としてエレナを抱いた女は、成長した姿に怯え狂気じみた眼差しに後ずさった。
「どこへでもいいから、あの子を私の視界から消しなさい」
取り乱すエリザベスを、エレナは床に額を擦り付けたまま冷ややかに見送る。
愛を注いでくれたと思っていた人は、ただの身勝手な奪略者にすぎなかった。
胸の奥を刺していた最後の未練が、冷たく溶けて消えていく。
夜、地下の灰捨て場に戻ったエレナは、首元から母の形見である銀の指輪を引き出した。
ヴィクトール侯爵家の双翼の鷲の紋章を、そっと指先でなぞる。
昼間の掃除の最中、執務室の換気口から妖精が運んできた情報があった。
近々、王都から高位の貴族たちを招きシャルロットの炎の才能を披露する盛大な夜会が開かれるという。
「必ずチャンスは来るわ」
闇の中で、エレナのエメラルドの瞳が鋭く光った。
本邸の心臓部で着実に脱出への布石を打ち始めていた。




