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第九話 知らない感情

第九話 知らない感情


 町へ薬を届けに行く日は、私も一緒に出掛けることが増えていた。


 人混みはまだ少し苦手だけれど、レオンさんが隣にいてくれるだけで、不思議と安心できる。


「今日は市場にも寄る。」


「本当ですか?」


「ああ。」


「やった。」


 思わず笑うと、レオンも小さく目を細めた。


 その変化に本人は気付いていない。


◇◇◇


 市場は今日も賑やかだった。


 焼きたてのパンの香り。


 果物を売る元気な声。


 色鮮やかな布地。


 見ているだけで楽しい。


「レオン先生!」


 顔見知りらしい八百屋の女性が声を掛けてきた。


「今日はお連れさんも一緒なのね。」


「ああ。」


「本当に仲がいいわねぇ。」


 レオンは首を傾げた。


「そうだろうか。」


「そうよ。」


 女性は私を見てにこっと笑う。


「先生、あなたが来てからよく笑うようになったもの。」


「え?」


 私は思わずレオンを見る。


「そうなんですか?」


「……分からない。」


 本人は本当に分からないらしい。


「無自覚なのねぇ。」


 女性はくすくす笑いながら野菜を袋へ詰めた。


「はい、おまけ。」


「ありがとうございます!」


「先生、その子を大事にしなさいよ。」


「もちろんだ。」


 迷いのない返事だった。


 女性は目をぱちぱちさせ、それから吹き出した。


「先生、それ、そういう意味じゃないのよ。」


「?」


 レオンは最後まで意味が分からなかった。


◇◇◇


 市場を歩いていると、小さな露店が目に入った。


 木で作られた髪飾り。


 花を模した可愛らしい細工。


「……。」


 思わず足が止まる。


「欲しいのか。」


 レオンが尋ねる。


「えっ?」


「見ていた。」


「その……綺麗だなって。」


 値札を見る。


 決して高くはない。


 でも今の私は、一枚のお金も持っていなかった。


「見るだけで十分です。」


 そう言って歩き出そうとすると。


「店主。」


 レオンが声を掛けた。


「これを。」


「ありがとうございます!」


 店主は嬉しそうに包み始める。


「えっ!?」


 私は慌ててレオンを見る。


「だ、駄目です!」


「何故。」


「そんな、高価なもの……!」


「高価ではない。」


「でも……!」


「君が欲しいと思った。」


 あまりにも真っ直ぐな理由だった。


「だから買った。」


 それだけ。


 見返りなんて考えていない。


 私は困ってしまう。


「受け取れません……。」


「そうか。」


 レオンは少しだけ考えて。


「では。」


 店主から受け取った髪飾りを、そっと私の手に乗せた。


「これは礼だ。」


「お礼?」


「花束のお返し。」


 私は言葉を失った。


 あの小さな花束を。


 そんなに大切に思ってくれていたんだ。


「……ありがとう、ございます。」


 大事に胸へ抱える。


 その笑顔を見て。


 レオンの胸はまた静かに温かくなった。


◇◇◇


 その様子を。


 一人の青年が遠くから見ていた。


「へぇ……。」


 二十歳そこそこの青年。


 明るい茶色の髪。


 人懐っこそうな笑顔。


「レオン先生が女の子連れてるなんて初めて見た。」


 彼は市場で働く青年だった。


 そして。


 まだ誰も知らない。


 彼が数日後。


 森で木の実を採っていた少女へ声を掛けることになることを。


◇◇◇


 帰り道。


 私は髪飾りを何度も眺めていた。


「かわいい……。」


「気に入ったか。」


「はい!」


 嬉しそうに笑う。


 レオンは静かに頷く。


 その横顔を見ながら私は思う。


(本当に優しい人。)


 どこまでも穏やかで。


 面倒見がよくて。


 少しだけ不器用で。


 そんなレオンさんが、私は大好きだった。


 もちろん。


 その「大好き」はまだ、家族のような安心感でしかない。


 一方。


 レオンは歩きながら、ふと市場で言われた言葉を思い出していた。


『その子を大事にしなさいよ。』


 もちろん大事にしている。


 それは当然だ。


 だが。


 どうしてあの女性は、あんな笑い方をしたのだろう。


 その理由だけが、どうしても分からなかった。

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