第十話 はじめてのおつかい
第十話 はじめてのおつかい
ある日の朝。
朝食を終えたレオンは、籠を手にしながら薬草の在庫を確認していた。
「……少ないな。」
「何か足りないんですか?」
「薬の材料になる木の実だ。」
棚の瓶を見つめながら、小さく息をつく。
「この時期しか採れない。」
「森にあるんですか?」
「ああ。」
私は少し考えてから口を開いた。
「あの……。」
レオンが振り向く。
「私でも採れますか?」
「……。」
静かな沈黙。
レオンは私をじっと見つめた。
「危険だ。」
「でも、いつも教えてもらってますし。」
「森には獣もいる。」
「入り口の近くなら……?」
そう言うと、レオンは困ったように眉を寄せた。
「私もお役に立ちたいんです。」
その言葉に、彼は視線を落とす。
最近、彼女はできることが増えた。
薬草を干し。
掃除をし。
料理も少しずつ覚え始めた。
自分は彼女から「頑張る機会」を奪っていないだろうか。
「……。」
しばらく考えたあと。
「一つだけ条件がある。」
私はぱっと顔を上げる。
「はい!」
「家から一番近い木だけだ。」
「はい!」
「奥へは絶対に行かない。」
「はい!」
「昼までには必ず戻る。」
「はい!」
「少しでも危険を感じたら、木の実は諦めて帰る。」
「約束します!」
満面の笑み。
レオンはその笑顔に、思わず口元を緩めた。
「では、この籠を。」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに籠を抱き締める。
(そんなに嬉しいのか。)
胸が温かくなる。
「私は昼過ぎまで研究室にいる。」
「分かりました!」
「……。」
何か引っ掛かる。
胸の奥が、妙にざわつく。
理由は分からない。
いつものように送り出せばいい。
それだけなのに。
「レオンさん?」
「……いや。」
小さく首を振る。
「気を付けて。」
「はい!」
元気よく返事をして、彼女は家を出ていった。
◇◇◇
森は今日も穏やかだった。
木漏れ日が揺れ、小鳥がさえずる。
「えっと……この木だったかな。」
レオンに教えてもらった木を見つける。
赤く熟した実が枝にたくさん実っていた。
「わぁ……!」
籠へ一つずつ入れていく。
楽しい。
こんなふうに役に立てるのが嬉しい。
(レオンさん、喜んでくれるかな。)
その時だった。
「こんにちは。」
突然、後ろから声がした。
「ひゃっ!」
振り返ると、一人の青年が立っていた。
町で見かけたことがある顔。
明るい茶色の髪。
柔らかな笑顔。
「あ、ご、ごめんなさい。」
反射的に謝ってしまう。
「驚かせちゃったね。」
青年は苦笑する。
「一人?」
「は、はい……。」
「珍しいなぁ。」
人懐っこく話し掛けてくる。
「君、レオン先生のところにいる子だよね?」
「え……?」
「この前、市場で見掛けたから。」
覚えられていた。
私は少しだけ緊張する。
「俺はエリオット。」
にこっと笑って手を差し出した。
「よろしく。」
私はどうすればいいのか分からず、小さく頭を下げた。
「り、りつかです。」
「やっぱり!」
嬉しそうに笑うエリオット。
「こんなところで会えるなんて運がいいな。」
悪い人には見えない。
でも。
私は知らない人と話すのが苦手だった。
「木の実採り?」
「は、はい。」
「俺、この辺詳しいよ。」
青年は笑いながら少し距離を詰める。
「もっとたくさん採れる場所、教えようか?」
「い、いえ……!」
慌てて首を振る。
「近くだけって約束なので。」
「そんな遠くじゃないよ。」
「でも……。」
断りたい。
でも。
うまく言葉が出てこない。
沈黙してしまう。
エリオットは困ったように頭をかいた。
「ごめんごめん。」
「無理に誘ってるわけじゃないから。」
「……はい。」
ほっとした、その時。
「でも少しくらい話そうよ。」
また笑顔を向けられる。
悪い人じゃない。
だからこそ。
断れない。
私は困ったように笑うことしかできなかった。
◇◇◇
一方その頃。
研究室では。
レオンが本を閉じて窓の外を見ていた。
まだ昼には早い。
それなのに。
どうにも落ち着かない。
「……集中できない。」
薬草の調合を始めても。
論文を読んでも。
頭に入ってこない。
視線だけが何度も時計へ向かう。
「……。」
胸騒ぎ。
理由は分からない。
けれど。
その感覚だけは、どうしても無視できなかった。
レオンは静かに立ち上がる。
「少し様子を見に行くか。」
その一歩が。
二人の関係を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。




