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第七話 当たり前になった日常

第七話 当たり前になった日常


 ある朝。


 私はいつもより早く目が覚めた。


 窓の外では小鳥がさえずり、朝露をまとった花が静かに揺れている。


(今日はレオンさんより早く起きられたかも。)


 少し嬉しくなって部屋を出る。


 台所へ向かい、戸棚を開ける。


「えっと……茶葉はここだったかな。」


 薬草茶くらいなら、私にも淹れられる。


 お湯を沸かして。


 香りを確かめながら葉を入れて。


 ほんの少しだけ蒸らす。


「……よし。」


 湯気の立つカップを二つ並べたところで。


「起きていたのか。」


 振り返ると、レオンが立っていた。


「あっ、お、おはようございます!」


「おはよう。」


 レオンは机の上のカップを見つめる。


「私が淹れてみました。」


「そうか。」


 一口飲む。


 私はどきどきしながら反応を待った。


「…………。」


「どう、ですか?」


「美味しい。」


 その一言だけだった。


 でも。


 レオンは静かにカップを見つめながら、もう一口飲む。


「君が淹れると、少し香りが柔らかい。」


 そんな感想まで言ってくれた。


 胸がふわっと温かくなる。


「よかった……!」


 その笑顔を見て。


 レオンはまた、胸の奥が静かに熱くなるのを感じていた。


◇◇◇


 昼頃。


 レオンは王都へ薬を納めに行く準備をしていた。


「今日は帰りが少し遅くなる。」


「分かりました。」


「昼食は昨日作っておいたものを温めて食べてくれ。」


「はい。」


「外へ出るなら森の入り口まで。」


「はい。」


「知らない人には——」


 そこまで言って。


 レオンは口を閉じた。


(……言い過ぎか。)


 最近、自分でも妙だと思う。


 どこまでなら安全か。


 何を食べたか。


 寒くないか。


 眠れているか。


 気付けば彼女のことばかり考えている。


 薬の配合を考えるのと同じくらい自然に。


「レオンさん?」


「……いや。」


 軽く首を振る。


「夕方には戻る。」


「いってらっしゃい。」


 小さく手を振る彼女を見て。


 レオンは一瞬だけ足を止めた。


「……行ってくる。」


 そう返して家を出る。


◇◇◇


 王都。


 薬師組合。


「おや、レオン。」


 年配の薬師が声を掛けてきた。


「珍しく急いでいるね。」


「そう見えるか。」


「見えるとも。」


 荷物を受け取りながら老人は笑う。


「いつもなら研究の話を始める君が、今日は落ち着かない顔をしている。」


「そんなつもりはない。」


「家で誰か待っているのかい?」


 その瞬間。


 レオンの動きが止まる。


「…………。」


 待っている。


 その言葉が妙に胸へ残った。


 家には。


 彼女がいる。


 昼食を食べて。


 庭の花に水をやって。


 薬草を干して。


 きっと、自分の帰りを待っている。


 そう思っただけで。


 不思議なくらい足早に帰りたくなった。


「……今日は失礼する。」


「おやおや。」


 老人は意味深に笑った。


「若いねぇ。」


 レオンはその言葉の意味を理解できないまま、王都を後にした。


◇◇◇


 夕暮れ。


 家へ戻ると。


「おかえりなさい!」


 玄関の扉が開くなり、明るい声が飛んできた。


 ぱたぱたと駆け寄ってくる彼女。


 その姿を見た瞬間。


 レオンの胸から、張り詰めていた何かがふっとほどけた。


「……ただいま。」


 自然と口元が緩む。


 それに気付いた本人だけが、小さく目を見開いた。


(今……私は。)


 笑った。


 こんなに自然に。


 彼女を見ただけで。


「レオンさん?」


「どうかしましたか?」


 心配そうに覗き込む顔が近い。


 レオンは慌てて視線を逸らした。


「……何でもない。」


「?」


「少し疲れただけだ。」


 それは半分本当で、半分嘘だった。


 疲れているのではない。


 安心したのだ。


 彼女が変わらずここにいて。


 笑って迎えてくれたことに。


 その夜。


 夕食を終えたあと。


 レオンは一人、中庭へ出た。


 夜風が火照った頬を撫でる。


(帰る場所。)


 昔は。


 家とは、眠るための場所だった。


 研究する場所だった。


 薬を作る場所だった。


 けれど今は違う。


 玄関を開ければ。


『おかえりなさい。』


 そう言って笑う少女がいる。


 それだけで。


 無機質だった家が、温かな「帰る場所」に変わっていた。


 まだレオンは知らない。


 人はそれを。


 誰かが特別な存在になった証と呼ぶことを。

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