表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/48

第五話 小さな約束

第五話 小さな約束


 町へ出かけてから数日。


 私はすっかり、この家での生活にも慣れてきていた。


 朝、窓を開ける。


 庭へ水を撒く。


 朝食を食べる。


 薬草を干す。


 そんな毎日が、不思議なくらい心地いい。


「レオンさん。」


「どうした。」


「今日は何をするんですか?」


 私が尋ねると、レオンは本を閉じた。


「今日は温室へ行く。」


「温室?」


「見せたいものがある。」


 珍しい言葉だった。


 レオンさんの方から「見せたい」なんて。


 少しだけ胸が弾む。


◇◇◇


 温室へ足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んだ。


「きれい……!」


 色とりどりの花。


 背丈ほどある薬草。


 見たことのない蔓植物。


 透明なガラス越しに降り注ぐ陽射しが、葉の一枚一枚を輝かせている。


「全部、レオンさんが?」


「ああ。」


「すごい……。」


 思わず夢中になって歩き回る。


「あっ、この葉っぱ、ふわふわ!」


「触っても問題ない。」


「こっちはいい香り……!」


 レオンはそんな私を、少し離れた場所から静かに眺めていた。


(……よく笑うようになった。)


 初めて会った日の彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 けれど今は。


 花を見つければ笑い。


 薬草に驚き。


 些細なことで目を輝かせる。


 その変化を見るたびに、胸の奥が温かくなる。


「レオンさん!」


 呼ばれて我に返る。


「この花、かわいいですね。」


 彼女が指差したのは、小さな白い花だった。


「その花は夜だけ咲く。」


「えっ?」


「昼は閉じている。」


「じゃあ、夜になったら見に来たいです!」


 嬉しそうに笑う。


 レオンは少しだけ考えてから頷いた。


「なら、今夜来よう。」


「本当ですか?」


「ああ。」


 約束だ。


 そんな一言が喉まで出かかった。


 けれど口にはしなかった。


◇◇◇


 その日の夕方。


 夕食を終えた私は、食器を洗っていた。


「今日は私がやります!」


 そう言うと、レオンは素直に頷いた。


「頼む。」


 少しずつ。


 本当に少しずつだけど、任せてもらえることが増えている。


 それが嬉しかった。


 最後の皿を拭いていると、レオンが後ろから声を掛ける。


「無理はするな。」


「大丈夫です。」


「眠ければ明日でもいい。」


「ふふっ。」


 思わず笑ってしまう。


「そんなに心配しなくても。」


 その瞬間。


 皿が手から滑った。


「あっ!」


 床へ落ちる。


 割れる──


 そう思った次の瞬間だった。


 カシャン。


 皿は床に落ちていなかった。


 レオンが片手で受け止めていた。


「えっ……!」


「危ない。」


 そのまま皿を静かに流しへ戻す。


「怪我は。」


「だ、大丈夫です……。」


「そうか。」


 まるで呼吸をするような自然さだった。


 私は呆然としてしまう。


「すごい……。」


「騎士の家で育ったからな。」


「だから運動神経がいいんですね。」


 レオンは少しだけ苦笑した。


「今は薬師だ。」


「でも、かっこよかったです。」


 ぽろりと本音が零れる。


 レオンの動きが止まった。


「……。」


「あっ!」


 しまった。


 思ったことをそのまま言ってしまった。


「その、えっと……。」


 慌てる私を見て、レオンは咳払いを一つした。


「夜になる。」


「え?」


「温室へ行こう。」


 話題を変えられてしまった。


◇◇◇


 夜。


 昼間とはまるで違う温室が広がっていた。


 月明かり。


 静かな空気。


 そして。


 昼間閉じていた白い花が、一斉に咲いていた。


「……すごい。」


 幻想的だった。


 まるで星空が地上へ降りてきたみたい。


「綺麗ですね。」


「ああ。」


 返事が遅い。


 私は花に夢中で気付かなかった。


 レオンは花ではなく。


 花を見て微笑む私を見つめていたことに。


(……綺麗だ。)


 思った瞬間、自分で驚いた。


 花ではない。


 彼女が。


 綺麗だと思ってしまった。


 胸が妙に騒ぐ。


 息が浅くなる。


 原因が分からない。


 こんな感覚は、生まれて初めてだった。


「レオンさん?」


 名前を呼ばれ、はっと我に返る。


「どうしました?」


「……いや。」


 静かに首を振る。


「花が綺麗だと思っていた。」


 それは嘘ではない。


 けれど、本当でもなかった。


 彼の胸に芽生えたその感情には、まだ名前がついていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ