第五話 小さな約束
第五話 小さな約束
町へ出かけてから数日。
私はすっかり、この家での生活にも慣れてきていた。
朝、窓を開ける。
庭へ水を撒く。
朝食を食べる。
薬草を干す。
そんな毎日が、不思議なくらい心地いい。
「レオンさん。」
「どうした。」
「今日は何をするんですか?」
私が尋ねると、レオンは本を閉じた。
「今日は温室へ行く。」
「温室?」
「見せたいものがある。」
珍しい言葉だった。
レオンさんの方から「見せたい」なんて。
少しだけ胸が弾む。
◇◇◇
温室へ足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んだ。
「きれい……!」
色とりどりの花。
背丈ほどある薬草。
見たことのない蔓植物。
透明なガラス越しに降り注ぐ陽射しが、葉の一枚一枚を輝かせている。
「全部、レオンさんが?」
「ああ。」
「すごい……。」
思わず夢中になって歩き回る。
「あっ、この葉っぱ、ふわふわ!」
「触っても問題ない。」
「こっちはいい香り……!」
レオンはそんな私を、少し離れた場所から静かに眺めていた。
(……よく笑うようになった。)
初めて会った日の彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
けれど今は。
花を見つければ笑い。
薬草に驚き。
些細なことで目を輝かせる。
その変化を見るたびに、胸の奥が温かくなる。
「レオンさん!」
呼ばれて我に返る。
「この花、かわいいですね。」
彼女が指差したのは、小さな白い花だった。
「その花は夜だけ咲く。」
「えっ?」
「昼は閉じている。」
「じゃあ、夜になったら見に来たいです!」
嬉しそうに笑う。
レオンは少しだけ考えてから頷いた。
「なら、今夜来よう。」
「本当ですか?」
「ああ。」
約束だ。
そんな一言が喉まで出かかった。
けれど口にはしなかった。
◇◇◇
その日の夕方。
夕食を終えた私は、食器を洗っていた。
「今日は私がやります!」
そう言うと、レオンは素直に頷いた。
「頼む。」
少しずつ。
本当に少しずつだけど、任せてもらえることが増えている。
それが嬉しかった。
最後の皿を拭いていると、レオンが後ろから声を掛ける。
「無理はするな。」
「大丈夫です。」
「眠ければ明日でもいい。」
「ふふっ。」
思わず笑ってしまう。
「そんなに心配しなくても。」
その瞬間。
皿が手から滑った。
「あっ!」
床へ落ちる。
割れる──
そう思った次の瞬間だった。
カシャン。
皿は床に落ちていなかった。
レオンが片手で受け止めていた。
「えっ……!」
「危ない。」
そのまま皿を静かに流しへ戻す。
「怪我は。」
「だ、大丈夫です……。」
「そうか。」
まるで呼吸をするような自然さだった。
私は呆然としてしまう。
「すごい……。」
「騎士の家で育ったからな。」
「だから運動神経がいいんですね。」
レオンは少しだけ苦笑した。
「今は薬師だ。」
「でも、かっこよかったです。」
ぽろりと本音が零れる。
レオンの動きが止まった。
「……。」
「あっ!」
しまった。
思ったことをそのまま言ってしまった。
「その、えっと……。」
慌てる私を見て、レオンは咳払いを一つした。
「夜になる。」
「え?」
「温室へ行こう。」
話題を変えられてしまった。
◇◇◇
夜。
昼間とはまるで違う温室が広がっていた。
月明かり。
静かな空気。
そして。
昼間閉じていた白い花が、一斉に咲いていた。
「……すごい。」
幻想的だった。
まるで星空が地上へ降りてきたみたい。
「綺麗ですね。」
「ああ。」
返事が遅い。
私は花に夢中で気付かなかった。
レオンは花ではなく。
花を見て微笑む私を見つめていたことに。
(……綺麗だ。)
思った瞬間、自分で驚いた。
花ではない。
彼女が。
綺麗だと思ってしまった。
胸が妙に騒ぐ。
息が浅くなる。
原因が分からない。
こんな感覚は、生まれて初めてだった。
「レオンさん?」
名前を呼ばれ、はっと我に返る。
「どうしました?」
「……いや。」
静かに首を振る。
「花が綺麗だと思っていた。」
それは嘘ではない。
けれど、本当でもなかった。
彼の胸に芽生えたその感情には、まだ名前がついていなかった。




