第四十六話 私の答え
第四十六話 私の答え
翌朝。
春の雨は上がり、庭には雫をまとった草花が朝日にきらめいていた。
りつかは一人、温室へ向かう。
小さな薬草の芽を見つめながら、母の日記の言葉を思い返していた。
«『故郷とは、生まれた場所だけではありません。』»
«『心から「ただいま」と言える場所も、故郷になるのです。』»
その言葉は、もう何度も読み返した。
読むたびに、胸の中に浮かぶ景色は決まっている。
暖炉のある診療所。
薬草畑。
ノア。
村のみんな。
そして――レオン。
◇◇◇
昼頃。
アルバートが診療所を訪れた。
薬の受け取りを終えると、りつかへ優しく声をかける。
「少し顔色が違いますね。」
「そうでしょうか?」
「何か悩み事ですか?」
りつかは少し迷ってから、小さく頷いた。
「もし……。」
「生まれた場所へ帰れるかもしれないと言われたら、アルバートさんならどうしますか?」
アルバートは少し驚いたものの、すぐ穏やかに笑った。
「難しい質問ですね。」
少し考え、窓の外へ目を向ける。
「私は、この村で生まれました。」
「だから故郷はここです。」
「でも、もし別の土地で大切な家族ができて、その場所で笑って暮らしていたなら……。」
一拍置いて続ける。
「きっと私は、『帰る』ではなく『残る』を選びます。」
「人は、場所ではなく、人との繋がりで居場所を作るものだと思いますから。」
その言葉は、りつかの胸へ静かに染み込んだ。
◇◇◇
夕方。
レオンは薬草畑で作業を終え、診療所へ戻ろうとしていた。
すると、りつかが小走りで近づいてくる。
「レオンさん。」
「どうした?」
息を整えたりつかは、真っ直ぐレオンを見つめた。
「私……。」
少しだけ緊張した笑顔。
「答えが出ました。」
レオンは静かに頷く。
急かすことなく、その続きを待った。
「もし、本当に帰れる日が来ても。」
りつかは春風に揺れる髪を押さえながら言う。
「私は、この世界に残りたいです。」
レオンの瞳がわずかに揺れる。
「ここには、大切な人たちがいます。」
「村のみんなも。」
「アルバートさんも。」
「ノアも。」
そして。
少し頬を赤く染めながら、最後の一人の名前を口にした。
「……レオンさんも。」
その名前は、とても優しかった。
◇◇◇
レオンは何も言えなかった。
胸の奥がいっぱいになる。
嬉しい。
それ以上に、安心した。
けれど、その安心を表に出すことはしない。
「そうか。」
穏やかに微笑む。
「君が自分で決めた答えなら、それが一番だ。」
「はい。」
りつかも笑った。
その笑顔は、初めてこの世界へ来た頃とはまるで違う。
もう、不安そうな少女ではない。
自分の居場所を、自分の意思で選んだ一人の女性の笑顔だった。
◇◇◇
二人は並んで診療所への道を歩く。
途中、ノアがどこからともなく駆け寄ってきた。
「にゃあ!」
りつかの足元へ飛びつき、そのまま今度はレオンの肩へ。
「はは。」
珍しくレオンが声を出して笑う。
「ノアも嬉しいみたいですね。」
「そうだな。」
春風が優しく吹き抜ける。
その穏やかな空気の中で、りつかはふと思う。
(この人と歩く帰り道が、一番好き。)
その瞬間、胸の奥で何かがすっと繋がった。
ずっと家族だと思っていた。
大切な人だと思っていた。
でも、それだけでは足りない。
(私……。)
横を歩くレオンを見つめる。
穏やかな横顔。
少し不器用だけれど、誰よりも優しい人。
自然と笑みがこぼれる。
(レオンさんのことが、好きなんだ。)
初めて、自分の気持ちに名前がついた。
けれど、その想いはまだ胸の中だけにしまっておく。
今はただ、この穏やかな帰り道を大切に歩きたかった。




