第三十八話 ひとりで歩ける道
第三十八話 ひとりで歩ける道
冬の澄んだ朝。
診療所には朝早くから患者が訪れ、レオンは慌ただしく診察を続けていた。
その合間に、アルバートが一枚の紙を差し出す。
「先生、今日の薬草市ですが……。」
「ああ。」
レオンは紙へ目を通す。
この季節にしか採れない希少な薬草が届く日だ。
本来なら自分が受け取りに行く予定だった。
しかし、診療所を空けるわけにはいかない。
「私が行きましょうか?」
そばで話を聞いていたりつかが、おずおずと手を挙げた。
「薬草なら見分けられますし、受け取るだけですよね?」
レオンは少し考える。
以前なら迷わず断っていただろう。
まだ一人では心配だから、と。
けれど今のりつかは違う。
村の人たちとも顔見知りになり、自分の考えを少しずつ言葉にできるようになった。
何より、彼女自身が「やってみたい」と言っている。
「……頼んでもいいか。」
その一言に、りつかの表情がぱっと明るくなった。
「はい!」
◇◇◇
出かける前。
レオンは薬草の一覧を書いた紙を手渡す。
「この印が付いているものだけ受け取ればいい。」
「分からないことがあれば、無理に判断しなくていい。」
「アルバートに聞いてください。」
「はい。」
りつかは真剣に頷く。
その姿を見て、レオンは自然と口元を緩めた。
「焦らなくていい。」
「ゆっくりで構わないから。」
「気を付けて行っておいで。」
その言葉は、まるで家族が送り出すような優しい響きを持っていた。
「行ってきます!」
玄関を出るりつかの後ろ姿を見送りながら、レオンは小さく息を吐く。
(大丈夫。)
そう思えた自分に、少しだけ驚いていた。
◇◇◇
薬草市は村の広場で開かれていた。
色とりどりの薬草が並び、乾燥させた葉や花の香りが冬の空気に溶け込んでいる。
「こんにちは。」
「レオン先生のところのお嬢さんだね。」
薬草農家の老夫婦が笑顔で迎えてくれた。
「先生にはいつも助けられてるよ。」
「今日はお使いかい?」
「はい。」
りつかは少し緊張しながらも笑顔で答える。
「頼まれた薬草を受け取りに来ました。」
「しっかりしてるねえ。」
優しい言葉に、りつかの肩の力が少し抜ける。
一覧と薬草を見比べ、一つひとつ丁寧に確認していく。
「これで全部です。」
「ありがとうございました。」
深く頭を下げると、老夫婦も嬉しそうに手を振ってくれた。
「先生によろしくね。」
◇◇◇
診療所では。
患者の診察を終えたレオンが、ふと窓の外へ目を向けた。
雪は降っていない。
空も穏やかだ。
それでも、何となく広場の方角を見てしまう。
「先生。」
アルバートが小さく笑う。
「心配ですか?」
レオンは少し考えてから答えた。
「……心配というより。」
「帰ってきたら、話を聞くのが楽しみなんだ。」
アルバートは思わず目を丸くした。
以前のレオンなら、「仕事が終わったら研究の続きをしよう」と考えていただろう。
今は違う。
誰かの「おかえり」を待つ時間が、日常になっている。
アルバートはその変化が嬉しくて、静かに微笑んだ。
◇◇◇
夕暮れ前。
「ただいま戻りました!」
玄関の扉が開く。
冷たい空気と一緒に、りつかの明るい声が響いた。
「おかえり。」
レオンは自然にそう返していた。
薬草の入った籠を受け取りながら尋ねる。
「どうだった?」
「ちゃんと受け取れました!」
りつかは嬉しそうに今日の出来事を話し始める。
老夫婦のこと。
珍しい薬草を見たこと。
市場で見つけた冬の花のこと。
楽しそうに話すその姿を見ながら、レオンは静かに耳を傾ける。
その時間が、何より愛おしかった。
◇◇◇
夜。
暖炉の前でノアを撫でながら、りつかはぽつりと呟く。
「今日、一人で行けました。」
少し照れくさそうに笑う。
「前の私なら、きっと怖くて……『無理です』って言っていたと思います。」
レオンは穏やかに頷いた。
「ああ。」
「でも君は、ちゃんと行って、ちゃんと帰ってきた。」
「よく頑張った。」
その一言が嬉しくて、りつかは少しだけ目を潤ませる。
「……ありがとうございます。」
暖炉の火が、二人を優しく照らす。
外は冬の寒さに包まれていても、この家には変わらない温もりがあった。
そして二人はまだ知らない。
今日、村でりつかを見かけた一人の青年が、彼女の笑顔を忘れられずにいることを。
その小さな出来事が、静かに二人の未来を動かし始めていた。




