第三十五話 少しだけ甘えてもいいですか
第三十五話 少しだけ甘えてもいいですか
雪が降り始めてから数日。
朝の冷え込みは、ますます厳しくなっていた。
りつかは診療所の窓を拭きながら、小さくくしゃみをする。
「くしゅん……。」
「寒いか。」
薬棚を整理していたレオンが顔を上げる。
「だ、大丈夫です。」
慌てて笑ってみせる。
けれど、その笑顔は少しだけぎこちなかった。
◇◇◇
昼過ぎ。
診療所へ来た患者が帰ると、レオンは静かに声をかけた。
「りつか。」
「はい?」
「少し座りなさい。」
「え?」
「顔色が少し悪い。」
りつかは驚いて自分の頬に触れる。
「そうですか?」
「ああ。」
レオンは薬師としての真剣な目をしていた。
「熱は……ないですね。」
額へ手を当てる。
その仕草はあまりにも自然で、りつかも身を任せてしまう。
「少し疲れているだけでしょう。」
「ここ数日、雪でも外へ出ていたから。」
りつかは申し訳なさそうに俯いた。
「私、役に立ちたくて……。」
その一言に、レオンはゆっくり首を振る。
「君は十分役に立っている。」
「でも。」
「無理をして体調を崩したら。」
少しだけ困ったように笑う。
「私が困る。」
◇◇◇
その言葉に、りつかは目をぱちぱちと瞬かせた。
「レオンさんが……?」
「ああ。」
レオンは当たり前のように頷く。
「君が笑っていてくれた方が、この家は明るい。」
「だから。」
「無理だけはしないでほしい。」
りつかの胸が、じんわりと温かくなる。
自分が頑張れるかどうかではなく。
自分が元気でいることを望んでくれる人がいる。
そんな経験は、いつ以来だろう。
◇◇◇
夕方。
薬草を運ぼうとしていたりつかは、大きな木箱の前で立ち止まった。
少し重そうだ。
「……。」
今までの自分なら。
一人で運ぼうとしていた。
迷惑をかけたくないから。
でも今日は違った。
少しだけ勇気を出して。
「レオンさん。」
「どうした。」
「あの……。」
恥ずかしそうに笑う。
「手伝っていただいても、いいですか?」
一瞬だけ静寂が流れる。
そしてレオンは、穏やかに微笑んだ。
「もちろんだ。」
それだけ言って木箱を軽々と持ち上げる。
「どこへ運べばいい。」
「こっちです!」
二人で並んで歩く。
木箱は重いはずなのに。
りつかの足取りは、不思議なくらい軽かった。
◇◇◇
夜。
暖炉の前でノアを撫でながら、りつかはぽつりと呟く。
「私。」
ノアが顔を上げる。
「少しだけ、変われたのかもしれない。」
誰かに頼ること。
助けてと言うこと。
それは弱さではなく、信頼なんだと。
今日、初めて思えた。
その向こうで、本を読んでいたレオンは顔を上げる。
「何か言ったか。」
「ううん。」
りつかは首を振り、柔らかく笑った。
「なんでもありません。」
でも心の中では、そっと思う。
(レオンさんだから、お願いできた。)
(レオンさんだから、安心して頼れた。)
まだ、それが恋だとは気づいていない。
けれど、小さな種は確かに芽吹き始めていた。
雪解けを待つ春の芽のように、静かに、優しく。




