第三十二話 名前という贈り物
第三十二話 名前という贈り物
ある晴れた日の午後。
白い子猫は庭を元気よく走り回っていた。
花壇の間を駆け抜け、蝶を追いかけ、ころんと転がる。
「ふふっ。」
りつかは思わず笑う。
「元気だね。」
子猫は「にゃ!」と返事をするように鳴いた。
その様子を窓辺から眺めていたレオンが、小さく口を開く。
「そういえば。」
「まだ名前がなかったな。」
「あっ……!」
りつかは目を丸くした。
「本当だ!」
拾ってから毎日一緒にいるのに。
自然すぎて、名前を付けることを忘れていた。
◇◇◇
「どんな名前がいいでしょう。」
りつかは芝生へ座り込み、子猫を抱き上げる。
「白いから……。」
「しろ?」
「ゆき?」
「うーん……。」
首をかしげる。
どれも可愛い。
でも、何か違う。
「レオンさんは?」
「私か。」
レオンも少し考える。
薬草ならすぐ名前が浮かぶのに。
子猫の名前は意外と難しい。
「君が付けた方が、この子も喜ぶ。」
「ええー。」
りつかは困ったように笑った。
「一緒に考えましょう。」
◇◇◇
二人で考えている間も。
子猫は膝の上でごろごろと喉を鳴らしている。
ふわふわの白い毛。
陽の光を浴びて、まるで小さな雲のようだった。
「……あ。」
りつかの表情がぱっと明るくなる。
「『ノア』ってどうでしょう?」
「ノア?」
「昔読んだ絵本に出てきた子猫の名前なんです。」
「"安心できる場所"って意味があるって書いてあって。」
レオンは静かに繰り返す。
「安心できる場所……。」
その言葉が、胸に優しく響いた。
この家も。
りつかにとって、そんな場所になれたらいい。
「いい名前だ。」
「本当ですか!」
「ああ。」
レオンは子猫の頭を優しく撫でる。
「今日から君は、ノアだ。」
「にゃあ。」
返事をするような鳴き声。
二人は顔を見合わせて笑った。
◇◇◇
その日の夕方。
アルバートが薬を受け取りに来る。
「おや。」
足元へ寄ってきた子猫を見て微笑む。
「名前が決まったんですね。」
「はい!」
りつかは嬉しそうに答える。
「ノアです!」
「いい名前ですね。」
アルバートはしゃがみ込み、ノアの頭を撫でる。
「先生が付けたんですか?」
「いいえ。」
レオンが答える前に、りつかが笑った。
「二人で考えたんです。」
その一言に。
アルバートは少しだけ目を細めた。
「なるほど。」
何気ない言葉。
でも、そこには"家族"の響きがあった。
◇◇◇
夜。
暖炉の前。
ノアはレオンの膝の上で丸くなって眠っていた。
「もう完全にレオンさんのこと大好きですね。」
りつかがくすくす笑う。
「最初は『子どもや動物には怖がられる』って言っていたのに。」
「不思議です。」
レオンも眠るノアを見下ろす。
「私も不思議だ。」
ノアは安心しきった顔で眠っている。
まるで、最初からここが自分の家だったかのように。
「でも。」
りつかは優しく微笑む。
「ノアはちゃんと分かってるんですよ。」
「レオンさんが、とても優しい人だって。」
その言葉に、レオンは少しだけ照れたように視線を逸らした。
「……買いかぶりすぎだ。」
「そんなことありません。」
りつかは迷いなく首を振る。
「私が保証します。」
その一言は、どんな勲章よりも。
どんな賞賛よりも。
レオンの心を静かに満たしてくれた。
暖炉の火が、三人を優しく照らしている。
人と、人と。
そして一匹。
少しずつ家族になっていく時間が、今日も穏やかに流れていた。




