第三十一話 小さな仲直り
第三十一話 小さな仲直り
翌朝。
食卓には、少しだけ気まずい空気が流れていた。
「お、おはようございます。」
「おはよう。」
いつもと同じ挨拶。
いつもと同じ朝食。
なのに、りつかはレオンの顔をまともに見られない。
(昨日のこと思い出しちゃう……。)
パンをちぎりながら、耳まで赤くなる。
一方のレオンは、普段通りを装っていた。
……装っているだけで、昨日の「新婚さん」という言葉は、まだ頭から離れていない。
だからこそ、何も触れない。
りつかが余計に恥ずかしい思いをしないように。
それが彼なりの気遣いだった。
◇◇◇
朝食を終え、りつかが食器を運ぼうと立ち上がる。
そのとき。
「にゃっ!」
白い子猫が元気よく駆け出した。
「あっ!」
勢いよく飛びついた先は、りつかのスカートの裾。
布にじゃれて、夢中で前足を動かす。
「こらこら。」
しゃがんで抱き上げようとする。
しかし子猫は「遊んで!」と言わんばかりに逃げ回った。
「待って~!」
りつかも思わず笑いながら追いかける。
研究室の前を通り、
暖炉の前を回り、
最後にはソファの陰へ。
そのまま勢いよく飛び込もうとして――
「きゃっ!」
足を滑らせた。
転ぶ。
そう思った瞬間。
ふわり、と身体が支えられる。
「危ない。」
低く落ち着いた声。
気づけば、レオンの腕の中だった。
◇◇◇
「だ、大丈夫か。」
「は、はい……。」
二人とも固まる。
りつかはレオンの胸へ軽く寄りかかる形になっていた。
近い。
昨日よりも、ずっと近い。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて離れようとする。
しかし慌てすぎて、またふらついた。
「だから慌てなくていい。」
レオンは苦笑しながら、もう一度そっと支える。
「怪我がなくて良かった。」
その声があまりにも優しくて。
りつかの緊張が少しずつほどけていく。
「ありがとうございます……。」
小さく笑うと、レオンも安心したように頷いた。
◇◇◇
その足元では。
原因を作った白い子猫が、何事もなかったように毛づくろいをしている。
「……。」
「……。」
二人で見つめる。
そして。
どちらからともなく吹き出した。
「この子のせいですね。」
「そうだな。」
笑い声が重なる。
さっきまでの気まずさは、もうどこにもなかった。
◇◇◇
昼過ぎ。
りつかは庭で子猫を抱っこしていた。
「びっくりしたね。」
子猫は「にゃ」と鳴きながら、腕の中で丸くなる。
レオンも隣へやって来た。
「さっきはすまなかった。」
「え?」
「もっと早く抱き上げれば良かった。」
「違いますよ!」
りつかは慌てて首を振る。
「レオンさんは助けてくれたじゃないですか。」
「だから。」
にこっと笑う。
「ありがとうございます。」
その一言だけで十分だった。
レオンは静かに微笑み返す。
「ああ。」
◇◇◇
夕暮れ。
暖炉の前。
子猫は二人の間で気持ちよさそうに眠っていた。
「この子。」
りつかが優しく撫でる。
「もしかしたら、わざとだったのかな。」
「わざと?」
「私たちが変な空気だったから。」
レオンは思わず笑ってしまう。
「猫にそこまで分かるだろうか。」
「分かる気がします。」
りつかは真剣な顔で頷いた。
「この子、優しいですから。」
その言葉を聞いて、レオンは眠る子猫を見る。
もし本当にそうなら。
今日一番感謝する相手は、この小さな家族かもしれない。
暖炉の火が静かに揺れる。
二人の間には、昨日までと同じ穏やかな空気が戻っていた。
いや――。
昨日よりほんの少しだけ、お互いを意識するようになった分だけ、温かな空気になっていたのかもしれない。




