第二十八話 変わらない約束
第二十八話 変わらない約束
恋を自覚した翌朝。
レオンはいつもと同じ時間に目を覚ました。
温室へ行き、薬草の様子を見る。
朝露を払って、枯れた葉を摘み取る。
朝食の準備をしているりつかのために、お湯を沸かす。
何一つ変わらない朝だった。
「おはようございます!」
ぱたぱたと廊下を走る足音。
眠そうな白い子猫を抱えたりつかが、いつもの笑顔で現れる。
「おはよう。」
レオンも穏やかに返す。
胸の中には昨日までとは違う想いがある。
けれど、それを表に出すつもりはなかった。
◇◇◇
朝食のあと。
りつかは薬草の本を抱えて研究室へやって来た。
「レオンさん、このページなんですけど。」
「どれだ。」
「この『銀露草』って、本当に朝露しか吸わないんですか?」
「ああ。」
レオンは本を覗き込み、説明を始める。
りつかは真剣な顔で聞き入り、ときどき一生懸命にメモを取る。
その横顔を見ながら、レオンは心の中で苦笑した。
(近い。)
ほんの少し肩が触れそうな距離。
昨日までなら何も思わなかった。
今日は、妙に意識してしまう。
だからといって離れるのも不自然だ。
結局、平静を装って説明を続けた。
◇◇◇
昼食の準備をしていると、りつかが首をかしげた。
「レオンさん?」
「どうした。」
「今日、少し静かじゃないですか?」
「そうだろうか。」
「うーん……。」
りつかは少し考え込む。
「疲れてるのかなって。」
レオンは思わず笑ってしまう。
昨日、自分が同じようにりつかを気遣っていたことを思い出したのだ。
「心配はいらない。」
「本当に?」
「ああ。」
「ならよかったです。」
その無邪気な笑顔に、胸が温かくなる。
――やはり、この子は何も気づいていない。
◇◇◇
午後。
アルバートが薬を受け取りにやって来た。
りつかは温室へ行っている。
「先生。」
アルバートは薬瓶を受け取りながら、何気なく尋ねた。
「何かいいことでもありました?」
「……なぜそう思う。」
「最近、少しだけ柔らかい顔をするようになりました。」
レオンは返事に困る。
恋をした。
そんなことを口にできるはずもない。
「研究が順調だからだ。」
「ふふ。」
アルバートは笑うだけだった。
もちろん、信じてはいない。
だが、それ以上は聞かなかった。
◇◇◇
夕方。
りつかは庭で子猫と遊んでいた。
花を追いかける子猫。
そのあとを追いかけるりつか。
楽しそうな笑い声が風に乗る。
レオンは窓辺に立ち、その光景を眺めていた。
(このままでいい。)
恋を知ったからといって、何かを急ぐ必要はない。
今のりつかには、安心して笑える毎日が必要だ。
その笑顔を守ることができるなら。
自分の想いは、胸の奥にしまっておけばいい。
もし。
いつか彼女が自分の足で未来を選べる日が来たなら。
そのとき初めて、自分の気持ちを伝えればいい。
それまでは。
薬師として。
保護者として。
この家の主人として。
変わらず隣にいよう。
それが今、自分にできる一番誠実な愛し方だ。
◇◇◇
その日の夜。
りつかは暖炉の前で、本を閉じた。
「レオンさん。」
「何だ。」
「今日も楽しかったです。」
ただ、それだけの言葉。
けれどレオンにとっては、何より嬉しい一言だった。
「ああ。」
静かに頷く。
「明日も、きっと楽しい。」
その約束に、りつかは満面の笑みで頷いた。
「はい!」
その笑顔を見つめながら、レオンは心の中だけで小さく誓う。
――この約束は、何があっても守ろう。
たとえ自分の想いを隠し続けることになっても。
彼女の「明日も楽しい」が続く限り、それで十分だった。




