表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/48

第二十六話 眠れない理由

第二十六話 眠れない理由


 その日の夕食は、りつかが朝から仕込んでいた野菜のスープだった。


「おかえりなさい。」


 そう言って差し出された湯気の立つ器。


 レオンは一口飲み、小さく息をつく。


「……美味しい。」


「本当ですか?」


「ああ。」


 その一言だけで、りつかは花が咲いたように笑った。


「よかった!」


 白い子猫も「にゃあ」と鳴き、まるで会話に加わるようだった。


 三人で囲む食卓は、たった三日離れていただけとは思えないほど、いつもの空気に戻っていた。


◇◇◇


 食後。


 りつかは旅で使った上着を受け取る。


「洗っておきますね。」


「ありがとう。」


 上着を抱えて廊下へ向かうりつかの後ろ姿を、レオンは自然と目で追っていた。


 その姿が見えなくなってから、ようやく自分が見送っていたことに気付く。


(……何をしているんだ。)


 苦笑が漏れる。


◇◇◇


 その夜。


 研究室には、ランプの明かりだけが灯っていた。


 万能薬の調合記録を開く。


 数式を書き込む。


 薬草の配合を見直す。


 いつもなら時間を忘れて没頭できる作業だった。


 しかし今日は、同じ行を何度も読み返してしまう。


「集中できないな。」


 椅子にもたれ、小さくため息をつく。


 頭に浮かぶのは研究ではなく、昼間の光景だった。


 広場で笑うりつか。


 エリオットと話していた姿。


 そして――


『レオンさん!』


 自分を見つけた瞬間の、あの笑顔。


 思い出すだけで、胸が温かくなる。


 同時に、広場で感じた息苦しさも蘇る。


◇◇◇


 コンコン。


 小さなノックが響いた。


「どうぞ。」


 扉が開き、りつかが顔を覗かせる。


「まだ起きていたんですね。」


「ああ。」


 手には温かい薬草茶のカップ。


「眠れないかなと思って。」


「ありがとう。」


 カップを受け取ると、ほっとする香りが立ち上る。


「旅で疲れてると思うので、今日は早く休んでくださいね。」


 それだけ言うと、りつかはにこりと笑う。


「おやすみなさい。」


「ああ、おやすみ。」


 扉が閉まる。


 部屋はまた静かになった。


 レオンは薬草茶を一口飲む。


「……敵わないな。」


 ぽつりと漏れた言葉は、誰にも聞こえない。


 自分が疲れていることを、言わなくても気付く。


 自分が好きな香りを覚えていてくれる。


 それがどれほど嬉しいことなのか、りつかはきっと知らない。


◇◇◇


 その頃。


 りつかも自室で布団に入っていた。


 白い子猫が枕元で丸くなっている。


「レオンさん、ちゃんと眠れるかな。」


 旅から帰った日は、いつもより疲れているはずだ。


 薬草茶は濃すぎなかったかな。


 スープの味は口に合っていたかな。


 そんなことを考えているうちに、小さく笑ってしまう。


「心配しすぎかな。」


 子猫が「にゃ」と鳴く。


「そうだね。」


 りつかは子猫を優しく撫でた。


「でも、大切な人だから。」


 その言葉に、自分で少し照れてしまう。


 "大切な人"。


 家族とは少し違う。


 恩人という言葉だけでも足りない。


 今の自分には、それが一番しっくりくる表現だった。


◇◇◇


 夜更け。


 レオンはようやく本を閉じた。


 窓の外には、満天の星空。


 その静けさの中で、自分に問いかける。


 ――もし。


 りつかが、誰か別の人と笑い合い。


 誰か別の人の帰りを待つようになったら。


 その想像をした瞬間。


 胸が強く痛んだ。


「……そういうことか。」


 静かな部屋に、小さな声が落ちる。


 薬草の知識はあっても。


 病の原因は見抜けても。


 自分自身の心だけは、ずっと診断できずにいた。


 けれど今なら分かる。


 これは執着でも、保護欲だけでもない。


 もっと単純で。


 もっと厄介な感情。


 レオンは目を閉じ、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。


「私は……。」


 その先の言葉だけは、まだ口にできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ