第二十五話 ただいまの前に
第二十五話 ただいまの前に
三日目の午後。
診療会を終えたレオンは、予定より少し早く村へ戻ることができた。
馬車を降りると、懐かしい風が頬を撫でる。
(帰ってきた。)
その一言だけで、自然と足取りが軽くなる。
早く家へ帰ろう。
りつかはどんな顔で迎えてくれるだろう。
子猫はまた足元へ駆け寄ってくるだろうか。
そんなことを考えながら、森の小道を歩いていた。
◇◇◇
一方その頃。
りつかは村長から頼まれた薬草を届けるため、村外れの集会所へ向かっていた。
「もうすぐ着くかな。」
帰り道には、小さな広場がある。
そこへ差しかかったときだった。
「あれ?」
聞き覚えのある声。
「りつか!」
振り返ると、エリオットが手を振って駆け寄ってくる。
「こんにちは!」
「久しぶり!」
人懐っこい笑顔は相変わらずだ。
「先生は帰ってきた?」
「今日戻る予定なんです。」
「そっか。」
エリオットは少し嬉しそうに笑う。
「なら安心だ。」
「安心?」
「先生がいない間、何か困ってないかなって気になってさ。」
その言葉に、りつかは照れたように笑った。
「ありがとうございます。」
「でも、村のみなさんが助けてくれたので大丈夫でした。」
「それなら良かった。」
二人はそのまま少しだけ立ち話を始めた。
祭りの話。
最近採れた珍しい薬草の話。
他愛もない会話だった。
◇◇◇
その頃。
家まであと少しという場所で、レオンは広場を見渡した。
そこに見えたのは。
笑顔で話すりつか。
そして、そのすぐ隣に立つエリオット。
距離は近い。
楽しそうに笑っている。
その瞬間。
レオンの足が止まった。
胸の奥で、何かがざわつく。
理性が「ただ話しているだけだ」と告げる。
けれど。
心は違った。
(……嫌だ。)
その感情に、自分自身が一番驚く。
りつかが笑うことは嬉しい。
村の人と仲良くなることも嬉しい。
そう思っていたはずなのに。
今だけは。
その笑顔を、自分以外に向けていることが苦しかった。
◇◇◇
エリオットが何かを言って笑う。
りつかも楽しそうに笑い返す。
その光景を見た瞬間。
レオンの身体は、考えるより先に動いていた。
「りつか。」
穏やかな声。
けれど、その声を聞いた瞬間。
りつかの顔がぱっと明るくなる。
「レオンさん!」
次の瞬間には、小走りで駆け寄ってきた。
「おかえりなさい!」
満面の笑み。
その笑顔を見た途端。
胸を締めつけていた黒い感情が、ふっとほどける。
「ああ。」
レオンも自然に笑った。
「ただいま。」
◇◇◇
「診療会、お疲れさまでした!」
「ありがとう。」
「ちゃんとご飯食べましたか?」
「ああ。」
「本当ですか?」
「……たぶん。」
「もう!」
りつかはくすくす笑う。
「帰ったら温かいスープ作ってありますからね。」
「楽しみにしていた。」
その言葉に、りつかは少し照れたように笑った。
二人は並んで歩き始める。
その背中を、エリオットは静かに見送っていた。
◇◇◇
「やっぱりなぁ。」
エリオットは苦笑する。
さっきまで話していたりつかは、もちろん楽しそうだった。
でも。
レオンが現れた瞬間の笑顔は、少しだけ違った。
安心しきった笑顔。
心から「帰ってきてくれて嬉しい」と思っている顔。
「勝てないか。」
ぽつりと呟く。
恋人ではない。
家族でもない。
それでも。
二人の間には、自分が入り込めないほど穏やかで温かな空気が流れていた。
エリオットは空を見上げ、小さく笑う。
「先生。」
「ちゃんと大事にしてくださいよ。」
その願いは、誰にも聞こえなかった。
◇◇◇
家へ帰る道。
りつかは隣を歩くレオンへ微笑む。
「おうち、やっぱり落ち着きますね。」
「ああ。」
レオンは静かに頷く。
そして、誰にも気付かれないように胸へ手を当てた。
(危なかった。)
ほんの数分前まで胸を支配していた感情。
あれは嫉妬だったのだろうか。
いや。
もっと深い。
もっと静かで。
もっと重たい。
――この子が、自分の知らない場所へ行ってしまうかもしれない。
その想像だけで、息が苦しくなった。
レオンは小さく目を閉じる。
(これは……想像以上に厄介だ。)
万能薬よりも難しい問題に出会ってしまったことを、彼はまだ誰にも打ち明けられなかった。




