第二十四話 待つ時間
第二十四話 待つ時間
レオンを乗せた馬車が見えなくなってから、りつかはしばらく家の前に立っていた。
「……もう見えないね。」
肩に乗った白い子猫へ話しかける。
「にゃあ。」
返事をするように、小さく鳴く。
りつかは微笑み、玄関の扉を開けた。
「さあ、お留守番しようか。」
◇◇◇
朝は、思っていたより忙しかった。
温室の窓を開けて。
薬草へ水をやり。
診療所の掃除をする。
レオンが出発する前に、一つ一つ丁寧に教えてくれていたおかげで、困ることはなかった。
「ここまで終わり!」
思わず両手を伸ばす。
子猫も真似をするように前足を伸ばして、大きなあくびをした。
「ふふっ。」
笑い声が、静かな家に響く。
けれど、そのあと。
ふっと気付く。
いつもなら、この時間。
「りつか。」
研究室から、レオンが声を掛けてくれる。
薬草を見分ける問題を出してくれたり。
新しい本を貸してくれたり。
そんな声が今日はない。
「……静か。」
思わず呟く。
家は昨日と何も変わらないのに。
少しだけ広く感じた。
◇◇◇
昼過ぎ。
診療所へ、顔見知りのおばあさんがやって来た。
「あら、先生は?」
「今日は隣町へ診療に行っているんです。」
「そうだったねぇ。」
おばあさんは優しく笑った。
「先生がいないと寂しいね。」
「……はい。」
りつかは、自然に頷いていた。
その返事に、自分でも少し驚く。
以前なら。
誰かと離れることに、こんな気持ちにはならなかった。
けれど今は違う。
たった一日会えないだけで、胸のどこかが少しだけ寂しい。
◇◇◇
夕方。
夕食の支度を始める。
今日はレオンがいないから、簡単なものでいい。
そう思っていた。
それなのに。
気付けば、いつものように二人分のスープを作っていた。
「あ……。」
お玉を持ったまま、立ち尽くす。
「……またやっちゃった。」
一人なのに。
癖で二人分。
その時。
「にゃ。」
子猫が足元へ来て、見上げていた。
「そうだね。」
りつかは苦笑する。
「一人じゃなかった。」
小皿へ少しだけミルクを入れる。
子猫は嬉しそうに飲み始めた。
「でもね。」
りつかは小さく笑う。
「やっぱり、レオンさんがいた方がいいな。」
その言葉を聞いた子猫は、飲むのをやめて、りつかの足へ身体を寄せた。
◇◇◇
夜。
暖炉の火を眺めながら、本を開く。
けれど。
文字が頭に入ってこない。
つい、玄関の方を見てしまう。
もちろん、帰ってくるはずはない。
三日後だと分かっている。
それでも。
「おかえりなさい。」
その言葉を言えない夜が、こんなにも長く感じるなんて思わなかった。
りつかは毛布へくるまる。
子猫も隣へ丸くなる。
静かな部屋。
聞こえるのは暖炉の薪がはぜる音だけ。
「レオンさん。」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
少しだけ寂しくて。
でも、不思議と不安ではなかった。
きっと帰ってきてくれる。
その安心が、この家にはあったから。
◇◇◇
その頃。
隣町の宿。
診療を終えたレオンは、机に向かっていた。
研究記録を書こうとペンを持つ。
しかし、ふと手が止まる。
(今頃、夕食だろうか。)
そんなことを考えてしまう。
食事はきちんと摂っただろうか。
本を読みながら眠っていないだろうか。
子猫は夜になると毛布へ潜り込むから、驚いていないだろうか。
考え始めると、次々に浮かぶ。
「……重症だな。」
誰もいない部屋で、小さく苦笑した。
万能薬の研究をしていても。
薬草に囲まれていても。
心は自然と、あの小さな家へ帰ってしまう。
窓の外には、同じ月が浮かんでいた。
レオンはそっと空を見上げる。
(あと二日。)
その二日が、こんなにも長く感じるのは初めてだった。




