第二十三話 変わらない毎日を
第二十三話 変わらない毎日を
初夏の日差しが、庭の花々をやさしく照らしていた。
りつかは薬草の苗に水をやりながら、小さく鼻歌を歌っている。
その足元では、白い子猫がじょうろから落ちる水を不思議そうに眺めていた。
「ふふ、濡れちゃうよ。」
子猫を抱き上げると、小さな体が腕の中で満足そうに丸くなる。
その様子を、温室から出てきたレオンが見つめていた。
「今日は機嫌が良さそうだな。」
「はい!」
りつかは嬉しそうに頷く。
「お花も元気ですし、この子も元気ですし。」
「それに……。」
少し照れくさそうに笑う。
「毎日が楽しいです。」
その一言だけで。
レオンの胸は、静かに満たされていく。
◇◇◇
午後になると、村長が診療所を訪れた。
「先生、お願いがある。」
「何でしょう。」
「来月、隣町でも診療会を開きたい。」
隣町は山を越えた先にある、小さな集落だった。
「先生にも数日ほど来てもらえないだろうか。」
レオンは少し考える。
困っている人がいるなら、力になりたい。
それが薬師としての使命だ。
「分かりました。」
静かに頷く。
「準備を進めましょう。」
◇◇◇
その日の夕食。
レオンは診療会の話をりつかへ伝えた。
「隣町へ?」
「三日ほどだ。」
「そうなんですね。」
りつかは少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になる。
「たくさんの人が助かりますね。」
「ああ。」
「私も何か準備をお手伝いします!」
迷いのない返事だった。
レオンは嬉しく思う反面、胸の奥に小さな違和感が生まれる。
三日。
たった三日。
それなのに。
りつかと離れて過ごす時間を想像すると、妙に家の中が静かに感じられた。
◇◇◇
夜。
研究室で荷物をまとめながら、レオンは苦笑する。
「三日くらいで……。」
自分に言い聞かせるように呟く。
今までは、一人で数週間山へ入ることも珍しくなかった。
研究に没頭して、時間を忘れることもあった。
なのに今は。
三日という短ささえ、長く感じてしまう。
机の上には、りつかが昼間に淹れてくれた薬草茶のカップ。
もう冷めているのに、どこか温もりが残っている気がした。
◇◇◇
翌朝。
りつかは荷物の中へ、小さな布袋をそっと入れた。
「これは?」
「乾燥させたハーブです。」
「移動中、お湯に入れたら少し疲れが取れるかなって。」
「……。」
レオンは袋を受け取り、優しく撫でる。
「ありがとう。」
「お気を付けて行ってきてくださいね。」
その笑顔は、送り出す人の笑顔だった。
だからこそ。
レオンは一瞬だけ思ってしまう。
――一緒に来てほしい。
すぐに、その考えを振り払う。
(違う。)
診療会は仕事だ。
りつかを連れ回す理由にはならない。
彼女には、この家で安心して過ごしてほしい。
それが一番だ。
◇◇◇
玄関を出る前。
白い子猫がレオンの足元へ駆け寄った。
「にゃあ。」
まるで「早く帰ってきて」と言っているようだった。
レオンはしゃがみ込み、小さな頭をそっと撫でる。
「留守番を頼む。」
子猫は小さく鳴く。
その隣で、りつかも微笑んだ。
「帰ってきたら、おいしいご飯を作りますね。」
何気ない約束。
けれどレオンにとっては、それ以上に嬉しい言葉はなかった。
「……ああ。」
自然と笑みがこぼれる。
「楽しみにしている。」
馬車がゆっくりと走り出す。
レオンは振り返る。
家の前で手を振るりつか。
その肩には白い子猫。
二人の姿が小さくなるまで、レオンは何度も振り返っていた。
胸の奥にある願いは、ただ一つ。
――どうか、この景色が。
帰ってきたときも、変わらずそこにありますように。
その願いを胸に、レオンは隣町への道を進んでいくのだった。




