表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/48

第十七話 ただいま

第十七話 ただいま


 その日は朝から雨だった。


 屋根を優しく叩く雨音が、家の中に静かに響いている。


 外へ薬草を採りに行くこともできず、レオンは研究室で調合を続けていた。


 りつかは居間の窓辺で、本を読んでいる。


 時折、ページをめくる音だけが聞こえる。


 静かな時間だった。


◇◇◇


 昼過ぎ。


 お茶を淹れていたりつかは、ふと窓の外を見つめた。


「雨、止みませんね。」


「ああ。」


「前の世界でも、雨の日は好きだったんです。」


 その言葉に、レオンは顔を上げる。


 りつかが、自分から元の世界の話をするのは珍しかった。


「学校から帰る途中に、雨の音を聞くのが好きで。」


 少しだけ懐かしそうに笑う。


「でも……。」


 その笑顔が、少しだけ曇る。


「帰るのは、あまり好きじゃありませんでした。」


 レオンは何も言わない。


 ただ静かに耳を傾ける。


「家にいても、一人でいることが多かったんです。」


「お父さんもお母さんも忙しくて。」


「悪い人じゃなかったんです。」


「でも、みんな忙しくて。」


 ぽつり、ぽつりと話す。


「私が学校であったことを話しても、『あとでね』って言われることが多くて。」


「その『あとで』は、来ないことも多かったです。」


 雨音だけが響く。


 責めるような口調ではない。


 ただ、事実を話しているだけだった。


「だからかな。」


 りつかは苦笑する。


「誰かに迷惑をかけるのが苦手になっちゃって。」


 ――帰りたいです。


 たったその一言が言えなかった森の日を、レオンは思い出す。


 あれは、あの日だけではなかったのだ。


 幼い頃から積み重なってきたものだった。


◇◇◇


「でも。」


 りつかはカップを両手で包み込みながら笑った。


「今は違います。」


「……?」


「ここでは、『おかえり』って言ってもらえるから。」


 レオンは息を止める。


「私も『ただいま』って言える。」


 照れくさそうに笑う。


「それが、すごく嬉しいんです。」


 その一言が。


 レオンの胸の奥へ、ゆっくりと染み込んでいく。


◇◇◇


 その日の夕方。


 雨が少し弱くなった頃だった。


 レオンは温かいスープを器によそう。


「今日は私が運ぶよ。」


 りつかが手を伸ばす。


「熱い。」


「大丈夫です。」


 二人で食卓へ運ぶ。


 いつもの席に座る。


 いつもの景色。


 なのに今日は、どこか特別に思えた。


「いただきます。」


「いただきます。」


 湯気の向こうで、りつかが微笑む。


 レオンはその笑顔を見つめながら、静かに思う。


(この家で。)


(この食卓で。)


(これからも彼女が笑っていられるように。)


 その願いだけは、何があっても守りたい。


◇◇◇


 食事が終わると、りつかは食器を抱えて立ち上がる。


「洗ってきますね。」


「ああ。」


 ぱたぱたと台所へ向かう小さな背中。


 レオンはふと立ち上がった。


「りつか。」


「はい?」


 振り返る。


 その瞬間。


 レオンはほんの少しだけ、柔らかく笑った。


「……おかえり。」


「えっ?」


 りつかは目を丸くする。


「今日はずっと家にいましたよ?」


 思わず笑ってしまう。


「ふふ、不思議なレオンさん。」


 レオンも小さく笑う。


「そうだな。」


 りつかは首を傾げながらも、嬉しそうに笑った。


「じゃあ……ただいま、です。」


 その言葉に。


 レオンは静かに頷く。


「ああ。」


 たったそれだけのやり取りだった。


 けれど。


 二人にとっては、何よりも大切な言葉だった。


 外ではまだ、小さな雨が降り続いている。


 けれど、この家の中だけは、春のような温もりに包まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ