第十五話 先生の弱点
第十五話 先生の弱点
朝早く。
レオンの家の扉を叩く音が響いた。
「先生、いますか!」
村の青年が、腕を押さえながら立っている。
「薪を割ってたら斧が滑ってしまって……。」
「見せてくれ。」
レオンはすぐに診察を始める。
傷は深くない。
消毒をして薬を塗り、包帯を巻く。
「数日は重いものを持つな。」
「ありがとうございます!」
青年は何度も頭を下げた。
その様子を、りつかは少し離れた場所から見守っていた。
(やっぱりすごいな……。)
診察中のレオンは、いつも以上に頼もしく見える。
声は落ち着いていて。
判断も早くて。
患者さんもみんな安心した顔で帰っていく。
怖そうなのに、不思議だ。
子どもには怖がられるのに、大人からはすごく頼りにされている。
◇◇◇
昼頃になると、今度は薬師仲間が訪ねてきた。
「レオン。」
年上の薬師、アルバートだった。
穏やかな笑みを浮かべる初老の男性で、レオンが尊敬している数少ない人物の一人だ。
「新しい調合について相談がある。」
「ああ。」
二人は研究室へ入っていく。
りつかはお茶を淹れて運ぶことにした。
「失礼します。」
カップを机へ置く。
「ありがとうございます。」
アルバートが柔らかく微笑んだ。
「君がりつかさんだね。」
「は、はい。」
「先生から話は聞いているよ。」
「えっ?」
思わずレオンを見る。
レオンは少しだけ視線を逸らした。
「異世界の生活に慣れたか、と聞かれたから答えただけだ。」
「そうなんですね。」
りつかは素直に納得した。
アルバートはそんな二人を見て、くすりと笑う。
◇◇◇
しばらく研究の話が続き、りつかは庭へ出て花の手入れを始めた。
その姿が見えなくなると。
アルバートが静かに口を開いた。
「レオン。」
「何だ。」
「君は変わったね。」
「……?」
「昔は研究以外、何にも興味を示さなかった。」
「そうか。」
「でも今は違う。」
アルバートは窓の外を見る。
花壇でしゃがみ込み、小さな花へ話しかけるりつか。
「庭に花が増えた。」
「食卓の料理も豪華になった。」
「研究室には花まで飾るようになった。」
「全部、彼女が来てからだ。」
レオンは黙っていた。
「自覚はあるかい。」
少し間を置いてから。
「ああ。」
静かな返事。
「好きになった。」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
アルバートは目を丸くする。
「認めたんだね。」
「ああ。」
「なら伝えるのかい?」
レオンは首を横へ振った。
「まだ早い。」
「彼女は十六歳だ。」
「この世界へ来て、まだ半年も経っていない。」
「私は保護者のような立場でもある。」
「……だから。」
少しだけ表情を緩める。
「今は笑っていてくれれば、それでいい。」
アルバートは深く息を吐いた。
(本当に恋をしている。)
ここまで穏やかな声で、誰かを想うレオンを見るのは初めてだった。
◇◇◇
帰り際。
玄関でアルバートはりつかへ微笑みかける。
「先生をよろしく頼むね。」
「え?」
りつかはきょとんとした。
「私の方が助けてもらってばかりですよ?」
「ははは。」
アルバートは笑う。
「それでも、君がいるだけで十分なんだ。」
「?」
意味が分からず首を傾げるりつか。
その隣で。
レオンだけが、小さく咳払いをした。
「……帰り道に気を付けて。」
「はいはい。」
アルバートは意味ありげに笑いながら帰っていく。
◇◇◇
馬車へ乗り込んだアルバートは、一人呟いた。
「先生の弱点ができたね。」
以前のレオンには弱点などなかった。
誰よりも冷静で。
誰よりも合理的で。
誰よりも感情に左右されない男だった。
けれど今は違う。
一人の少女が笑えば嬉しくなり。
泣けば心を痛める。
その変化は危うくもあり、同時に、とても人間らしかった。
アルバートは空を見上げ、穏やかに笑う。
「幸せになりなさい、レオン。」
その願いは、風に乗って静かに消えていった。




