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第十四話 帰りたい場所

第十四話 帰りたい場所


 季節は少しずつ夏へ近づいていた。


 庭に植えた花は色鮮やかに咲き、温室の薬草も青々と葉を広げている。


 朝食を終えたあと、レオンは温室へ向かった。


「りつか。」


「はい!」


「今日は希少種の植え替えをする。」


「私もお手伝いします!」


 すっかり聞き慣れた返事に、レオンは自然と口元を緩めた。


「では、この苗を持ってきてくれ。」


「分かりました!」


 りつかは大事そうに苗を抱え、小走りでやってくる。


「これで合ってますか?」


「ああ。」


 二人で並んで土を耕し、苗を植える。


 最初はぎこちなかった作業も、今では息が合うようになっていた。


「前より上手になった。」


「本当ですか!」


 ぱっと咲くような笑顔。


 レオンは思わず見入ってしまう。


 最近は、この笑顔を見るだけで心が穏やかになる。


 ……もう、それを否定する気もなかった。


◇◇◇


 昼過ぎ。


 二人が庭で休憩していると、一羽の白い小鳥が花壇へ降り立った。


「わぁ……。」


 りつかが目を輝かせる。


 そっと近付く。


 小鳥は逃げない。


「かわいい……。」


 恐る恐る指先を伸ばすと、小鳥はその指をつついてから、ちょこんと肩へ飛び乗った。


「えっ!」


 思わず笑みがこぼれる。


「レオンさん、見てください!」


 振り返る。


 レオンも静かに歩み寄る。


 その瞬間。


 小鳥はレオンを見るなり、


 ばさっ!


 勢いよく飛び去ってしまった。


「……。」


「……。」


 一瞬の静寂。


 それから。


「ふふっ……!」


 りつかは吹き出した。


「ご、ごめんなさい……っ。」


 笑いを堪えきれない。


「また逃げちゃいましたね。」


「……そうだな。」


 レオンは少しだけ肩を落とす。


「昔から動物には縁がない。」


「でも私は好きですよ。」


 りつかは笑いながら言った。


「その顔。」


「……。」


「安心しますから。」


 まただ。


 何気なく、とんでもないことを言う。


 レオンは返事ができなかった。


 彼女は知らない。


 その一言で、一日中機嫌が良くなってしまう人が目の前にいることを。


◇◇◇


 夕方。


 町へ買い物へ出た帰り道。


 二人は森へ続く小道を歩いていた。


「レオンさん。」


「何だ。」


「私、最近思うんです。」


「……?」


 りつかは空を見上げる。


 茜色に染まる雲。


 風に揺れる木々。


 見慣れた帰り道。


「最初は、この世界に来るのが怖かったです。」


「……ああ。」


「毎日泣きそうでした。」


 レオンは黙って耳を傾ける。


「でも。」


 りつかは照れくさそうに笑った。


「今は、この道を見るとほっとするんです。」


「……。」


「家に帰るんだって思えるから。」


 家。


 その一言が、レオンの胸へ深く落ちる。


「レオンさんが『おかえり』って言ってくれる家。」


 小さく笑う。


「だから、帰るのが楽しみなんです。」


 レオンは足を止めた。


「レオンさん?」


 振り返るりつか。


 夕日に照らされる笑顔が、あまりにも眩しい。


 彼はゆっくりと息を吸う。


(危ない。)


 今この瞬間なら。


 「好きだ」と言ってしまいそうだった。


 だから。


 ただ静かに微笑む。


「……それなら良かった。」


 それだけしか言えない。


 それで十分だ。


 今はまだ。


 彼女が安心して笑ってくれる毎日を守ることが、自分の一番の願いだから。


◇◇◇


 その夜。


 研究室で記録を書いていたレオンは、ふと手を止めた。


 新しいページを開く。


 研究記録ではない。


 日記でもない。


 誰にも見せるつもりのない、一冊の小さなノート。


 そこへ静かに書き記す。


 『彼女が、この家を「帰る場所」と言ってくれた。』


 少し間を置いて、もう一行。


 『……嬉しかった。』


 たった六文字。


 それだけを書くために、レオンは何度もペンを持ち直した。


 万能薬の調合法なら迷わず書ける。


 難解な研究論文も書ける。


 けれど。


 自分の気持ちを書くことだけは、誰よりも不器用だった。

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