第十三話 知らないところで
第十三話 知らないところで
森での出来事から数日が経った。
りつかの暮らしは、以前とほとんど変わらない。
朝起きて。
庭へ水をやり。
薬草を干して。
レオンと食卓を囲む。
穏やかな毎日。
変わったことといえば、一つだけ。
「今日は町へ行こう。」
レオンがそう言った。
「一緒にですか?」
「ああ。」
「やった!」
思わず笑顔になる。
最近は町へ行くことも増えて、少しずつ知り合いもでき始めていた。
……りつかは、まだ気付いていない。
それが偶然ではないことに。
◇◇◇
市場へ着くと、いつものように人で賑わっていた。
「先生!」
八百屋の女性が手を振る。
「今日も仲良しねぇ。」
「こんにちは!」
りつかも笑顔で頭を下げる。
その様子を見ていた八百屋の女性は、小さくレオンへ近付いた。
「先生。」
「何だ。」
「この前の男の子よ。」
「……。」
レオンの視線が静かに向く。
「あの市場のエリオット。」
「最近ね、あの子。」
女性は少し声を潜めた。
「りつかちゃん、可愛いって言ってたわよ。」
その一言だけだった。
レオンの表情は変わらない。
けれど。
空気だけが少し冷えた気がした。
「そうか。」
「……先生?」
「教えてくれて感謝する。」
短く礼を言って歩き出す。
女性はその背中を見送りながら、小さく肩を震わせた。
「やっぱり怖いわ、この人……。」
でも同時に。
(本気なんだ。)
とも思ってしまった。
◇◇◇
少し離れた果物屋の前。
偶然、エリオットがこちらへ気付く。
「あっ。」
明るく笑って手を振った。
「りつか!」
その瞬間だった。
「こんにちは。」
レオンが一歩前へ出る。
穏やかな声。
穏やかな笑顔。
だが、その立ち位置は自然にりつかを背中へ隠す位置だった。
「レオン先生。」
エリオットは少し苦笑する。
「この前はどうも。」
「ああ。」
「りつか、元気?」
本人へ向けられた問い掛け。
しかし返事より先に。
「元気だ。」
レオンが答えた。
「えっ?」
りつかはきょとんとする。
「そ、そうです!」
慌てて頷く。
エリオットは少しだけ笑った。
「本人に聞いたんだけどな。」
「そうだったか。」
レオンは悪びれない。
本人は至って真面目だった。
りつかは心の中で思う。
(レオンさん、ちょっと天然なところあるよね。)
まさか。
天然ではなく。
意図的に会話へ割って入っているとは夢にも思わない。
◇◇◇
「そういえば。」
エリオットが笑う。
「今度、お祭りがあるんだ。」
「お祭り?」
りつかの目が輝く。
「はい!」
思わず身を乗り出す。
「どんなお祭りなんですか?」
「屋台も出るし、夜には灯りも——」
「その日は予定がある。」
レオンが静かに言った。
「え?」
りつかが振り返る。
「そうなんですか?」
「……。」
一瞬。
レオンは考える。
予定など、ない。
だが。
今、この青年と約束を取り付けられるわけにはいかなかった。
「薬草の収穫時期だ。」
嘘ではない。
確かに近い。
少し前倒しになるだけだ。
「そうだったんですね。」
りつかはすぐ納得した。
「じゃあ仕方ないですね。」
「うん……。」
エリオットもそれ以上は言えなかった。
レオンは静かに会釈をする。
「失礼する。」
そのまま、りつかと並んで歩き出した。
◇◇◇
「レオンさん。」
「何だ。」
「お祭り、楽しそうでしたね。」
「ああ。」
「また来年ですね。」
「……そうだな。」
りつかは残念そうだったけれど、怒ってはいない。
それだけでレオンは胸をなで下ろす。
(来年も。)
その言葉が心に残る。
来年も彼女は、この家にいるのだろうか。
来年も、自分の隣で笑ってくれるのだろうか。
その未来を想像しただけで、胸が少しだけ温かくなる。
そして同時に。
(他の男と祭りへ行く姿は見たくない。)
そんな考えが、ごく自然に浮かんでしまった。
レオンは小さく息をつく。
(……困ったな。)
自覚してしまってからというもの。
恋心は日に日に大きくなるばかりだった。
けれど。
隣を歩くりつかは、そんな彼の葛藤など何も知らない。
「レオンさん!」
「見てください!」
露店で見つけた焼き菓子を嬉しそうに指差す。
その笑顔を見た途端。
レオンの思考は、また簡単にほどけてしまうのだった。




