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第3章 第10話 学校全体が、誰かの脚本になる

 創立記念祭の準備が本格化すると、学校全体が誰かの脚本みたいに見えてきた。


 校舎一階の展示スペースには、白いパネルが運びこまれ、相談事例の抜粋や部活再編の年表が貼られていく。写真部は“再起”、美術部は“修復”、吹奏楽部は“継承”、進路相談は“決意”。見出しだけ見れば立派だ。中身を知っている人間からすると、どれも勝手にラベルを貼られた記憶だった。


 僕とひかりは朝のうちに展示室へ入った。まだ開場前で、ペンキと紙の匂いが混ざっている。

「最低だ」

 ひかりが最初に言う。

「どこが」

「全部。人の痛みに副題つけるな」


 たしかに、星名のやり方は一貫していた。事実を消すのではない。都合のいい意味へ整理して、見せる順番を決める。そうすれば誰もが“理解した気になる”。理解した気になったものは、学校にとって扱いやすい。


 理人がパネルの裏から出てきた。

「来ると思ってました」

「止めないの」

 ひかりが言う。

「もう、僕ひとりの話じゃないです」

 理人は疲れた顔で資料を差し出した。展示構成表、当日導線、コメント募集コーナーの設置案。その中に、真帆のケースまで“支援により再起した事例”として紛れ込んでいた。

「星名、頭おかしい」

 ひかりの声が低くなる。

「白石さん本人の名前は出してません」

 理人が言う。

「だからいいって話じゃない」

「でも、教師側はこれで押し切るつもりです。『個人名がないなら問題ない』って」

 ひどく学校らしい理屈だった。


 午前中の授業を抜けるわけにもいかず、僕らは昼休みまで待った。

 そのあいだ、教室では記念祭の話題ばかり飛ぶ。『今年の展示、なんか良さそう』『うちの学校って面倒見いいよね』。

 その言葉が増えるほど、展示は成功へ近づく。成功するほど、誰かの本当のしんどさは見えなくなる。


 昼休み、僕は教師側の窓口になっている上条を訪ねた。

「展示、止めないんですか」

「法的には問題が少ない」

「法的に、ね」

「個人が特定されないよう調整してある」

「特定される側の体感はどうでもいい?」

 上条は眉を寄せる。

「どうでもよくはない」

「でも止めない」

「今ここで止めると、もっと大きく荒れる」

 結局そこだ。教師は“より大きい混乱”を避けるためなら、今目の前の痛みを薄い紙みたいに扱う。


 職員室を出ると、ひかりが壁にもたれて待っていた。

「どう」

「予想通り」

「じゃあ、壊す?」

 その言い方がひどく危うかった。ひかりは今、本気で物理的に止めることまで考えている。

「まあ待て」

「また?」

「壊したあと、何を残すか考えろ」

「今は残すより先に止めるほうが大事」

「止めて、そのあと真帆や理人がどう見られる」

「……」

「“一ノ瀬が暴れて記念祭を潰した”で終わったら、今度はそっちの物語が貼られる」

 ひかりは唇を噛んだ。納得はしていない。でも、僕の言っていることが現実だとも分かっている。

 その顔が、最近いちばんつらい。


 午後、展示素材の一部が匿名で拡散された。

 SNSの裏アカで、パネル写真が回り始める。『これ白石のことじゃない?』『吹奏楽の件、美談になってるの怖』。

 展示前に、展示が“ネタ”になる。

 星名はそれすら見越していたかもしれない。外へ先に流れれば、学校側は「今さら止められない」と言いやすくなる。

「最悪の運び方だな」

 僕が言うと、ひかりはスマホ画面を閉じた。

「湊」

「なに」

「お前、ほんとにまだ“残し方”から考えるの」

「……」


 すぐ返せなかった。

「正直、今ちょっと揺らいでる」

「珍しい」

「珍しいよ」

 僕は息を吐く。

「消したい。全部」

「うん」

「でも、消したら、今度は“何もなかった”になる」

「うん」

「それも嫌だ」

 ひかりはしばらく黙ってから、小さく言う。

「じゃあ、役だけ壊す」

「役?」

「うん。白石さんを白石さんじゃなく“再起の象徴”にしてる部分。理人を“善意の相談係”にしてる部分。浅く泣いて深く使うやつ全部」

 その言い方に、僕は少しだけ息を整えた。全部を壊すか残すかじゃない。貼られた役だけを返す。まだ方法になるかはわからない。でも、考える価値はあった。


 放課後、展示室で星名と対峙した。彼女は脚立の上からパネルを調整していた。

「SNSで回ったね」

 僕が言う。

「回るでしょうね」

 動じない。

「想定内?」

「ほぼ」

「それでもやる」

「今止めるほうが危険だから」

「便利な言葉だな」

「真壁くんが一番使ってきた言葉でしょ」


 そこで、ひかりが前へ出る。

「お前さ」

「なに」

「ほんとに、人を材料だとしか思ってないの?」

 星名は脚立を降りた。床に足がつく音が小さい。

「違うわ」

「じゃあ何」

「材料にしないと、学校は人を守れない場面がある」

 平然と言う。

「理想論で放っておくと、弱い人から消える。だから先に意味を与える。役を作る。見える位置に置く。そうしないと、誰も動かない」

「動いた結果、本人が苦しくても?」

「動かないよりはまし」

 僕はそこで口を挟む。

「その“まし”を、誰が決める」

「決める人がいないなら、決めるしかない人が決める」

「それがお前」

「そう」

 言い切る。そこにためらいがないのが、たぶん一番危険だった。


 理人はその会話を少し離れた場所で聞いていた。やがて耐えられなくなったように近づく。

「星名さん、それは……最初にやりたかったことと違う」

「理人、最初にやりたかったことを大きくすると、こうなるの」

「違う。僕は、困ってる人が少し言いやすくなればと思って」

「だから、学校全体が言いやすくなる形へ広げただけ」

 理人は黙る。広げた結果、誰が押しつぶされるかを、まだ彼は全部は引き受けられない。


 夜、ひかりと二人で展示資料をもう一度見直した。教室の窓際、誰もいない放課後。蛍光灯だけが白い。

「これ、消せる?」

 ひかりが聞く。

「消すのはできる」

「でも」

「でも、そのあとで“学校に問題はありませんでした”が勝つ」

「じゃあ、逆に出す?」

「そのままは無理」

「じゃあ何」

 問いばかりだ。でも今は、それでよかった。答えを急ぐと、また誰かの役が先に決まる。


 僕はノートを開いた。久しぶりに、結末案の見出しを書く手が震えた。三本の線を引く。一つ目、展示を物理的に止める。二つ目、教師へ持ち込み管理責任で潰す。三つ目、展示の中へ当事者自身の“その後”を割り込ませる。どれも荒れる。けれど三つ目だけが、物語を丸ごと否定せずに役を壊せるかもしれない。

 ひかりが覗き込む。

「また三択」

「癖」

「きらい」

「知ってる」

「でも、今回は最後まで一人で選ぶな」

「……うん」

 その言葉だけで、少しだけ呼吸が戻る。


 展示室のパネルは、近くで見ると余計に質が悪かった。遠目には綺麗な年表だ。

 けれど近づくと、削られた言葉、切り取られた表情、当人がまだ引き受けていない意味づけがびっしり貼りついている。吹奏楽部の件は“継承”。進路漏洩は“決意”。白石真帆の欄には“支え合い”。どれも間違っていないのに、だからこそひどい。


 僕は一枚一枚の脚注へ目を落とした。引用元、匿名証言、再構成。星名は証拠を消していない。むしろ残している。残したうえで、解釈の置き方だけを先回りしている。

「湊」

 ひかりが、吹奏楽のパネルの前で言った。

「これ見て」

 そこには二人のソロ分割練習の写真が使われていた。笑顔の一枚。あの日の緊張も、譲る譲らないの痛みも、全部削れて、ただ“綺麗に受け継いだ先輩と後輩”になっている。

「殴りたい」

「だめ」

「一回だけ」

「一回でもだめ」

 それでも僕は少しだけ、ひかりを止める声が弱かった。

 見ていて腹が立つ。怒る場所が増えるほど、湊の中では逆に手が冷たくなる。


 理人は会場図を抱えたまま立っていた。逃げたいのに逃げられない顔だ。

「外せなかった」

「うん」

「僕、これ、最初は“いい記録”になると思って」

「うん」

「でも今、白石さんの欄だけ見ても、息が詰まります」

 その“息が詰まる”が出たなら、まだ人間だ。ひかりは理人へ資料を押し返した。

「じゃあ、お前は今日から止める側だ」

「でも僕が言っても」

「聞かれなくても言え」

 理人は頷く。その頷き方は頼りない。でも、誰かに配られた役じゃなく、自分で選ぶ頷き方だった。


 星名と向き合ったのは、そのあとだった。会場の一番奥、暗幕の裏。誰も見ていない位置を、この人はちゃんと確保している。

「気に入りませんか」

 第一声がそれだった。

「気に入るわけない」

 ひかりが返す。

「でも否定しきれないでしょう」

 星名は僕を見る。

「真壁先輩がしてきたことも、結局は“よりましな終わり方”の編集だ」

 その言葉は正しい。だから嫌だった。

「そうだよ」

 僕は答える。

「だからこそ分かる。これ、終わり方だけ先に置いてる」

「何が悪いの」

「終わったあとに残る人を、外へ追い出してる」

 星名は少しだけ首を傾げた。たぶん本当に、その発想が薄い。

「外へ追い出す?」

「うん。綺麗に並んだ瞬間、その人は“語られた人”になる。まだ苦しい当人が、もう当事者じゃなくなる」

 ひかりが横から言う。

「材料って、そういうこと」

星名は一瞬眉を寄せたが、何も言わなかった。


 その夜、僕は久しぶりにPCを開いた。けれど物語の文は出ない。会場図、パネル番号、マイク位置、誰がどこに立てば“役”を外せるか。そんな実務だけが頭に並ぶ。書くことが好きだったはずなのに、今は書くより配置が先に来る。そこに、自分の危うさをはっきり見た。

 展示撤去を求めるか、資料の見せ方を変えるか。放課後の空き教室で、僕らは珍しく理人も入れて三人で案を出した。理人は紙の端へびっしりメモを書き、ひかりは机を指で叩き、僕は順番を並べた。

「全部壊す」

 ひかりが言う。

「それだと教師が“外部からの妨害”にできます」

 理人が返す。

「部分的に差し替える」

 僕が提案する。

「それだと本体が残る」

 ひかりが否定する。


 平行線だった。でも、その平行線のまま終わらなかったのは理人がいたからかもしれない。理人は自分の始めたことがここまで膨らんだ責任で、もう“綺麗な策”に酔えなくなっていた。

「……役を返す、はどうですか」

 理人が言う。

「え」

「資料を壊すんじゃなくて、資料の中の人に喋ってもらう」

 それは、僕らがぼんやり考えていたものに一番近かった。理人がそれを口にしたこと自体が大きい。模倣者だったやつが、初めて自分の言葉で出口を言う。

 ひかりはしばらく黙ってから、短く言った。

「採用」

 その即答に、理人が一瞬だけ泣きそうな顔をした。許されたんじゃない。ただ、まだここで役に立てると認められたのだ。その違いを、僕はたぶん昔より少しだけ正確に見られる。


 打ち合わせの終盤、空き教室の窓の外ではサッカー部がまだ走っていた。日が落ちても同じコースを何周もする。その単純さが少し羨ましかった。こっちは走る前に、走ったあとの物語まで考えてしまう。

 ひかりが突然言う。

「羨ましい?」

「少し」

「わたしは嫌」

「なんで」

「だって、考えなくていいほうに流れると、戻れなくなる」

 その返しが、ひかりらしくて少しだけ安心した。単純さを羨むことはあっても、そこへ本気では戻りたくない。その感覚だけは、まだ同じだった。


 空き教室を出る頃には、窓の外がすっかり暗かった。考えはまとまっていない。でも、まとまらないまま同じ場所へ残っていること自体は、前より少しだけ強かった。

 理人が最後に『僕、逃げません』と言ったのが、思ったより効いた。逃げないと口にしたやつがいるなら、こちらももう少しやれる。


 家に帰って、PCを開く。ノートではなく、原稿ファイルの方だ。書きかけの小説のタイトルが、白い画面の上に浮いている。指を置く。けれど、何も進まない。書いたものが読まれ、使われ、運用される。今はそれが怖い。

 それでも、ファイルを閉じる前に一行だけ打った。

『学校全体が、誰かの脚本になるとき、いちばん先に消えるのは“その後”だ。』

 保存はできなかった。


 明日、たぶん決める。そう思って画面を閉じた。 遅くても。 今度は。


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