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第3章 第6話 星名環は、人を材料だと思っている

 星名環は、人を材料だと思っている。


 最初にそう言ったのはひかりだった。

 放課後の生徒会室前で、星名が合同展示のラフを差し替えた直後だ。ポスターの担当、机の配置、責任者の名前、反省文の掲示位置。全部が綺麗に整いすぎていた。


「材料」

 僕が聞き返すと、ひかりは資料の端を指で叩いた。

「この人がここで失敗して、この人が支えて、この人がまとめました、って顔」

「物語になってる」

「しかも本人たちより先に」

 合同展示は、文化部がそれぞれ制作過程を見せる企画だった。美術部の搬入遅れ、写真部のデータ紛失、演劇部の脚本差し替え、文芸部の締切破り。毎年どこかで小さな事故が起きる。

 今年は、その“事故”まで含めて展示しようという案になっていた。失敗から学んだこと、乗り越えたこと、支え合ったこと。

 聞こえはいい。

 問題は、その素材の集め方だった。


 美術部の一年、千葉が泣きそうな顔で僕らの教室に来た。

「展示、私の名前で出るらしいんです」

「何が」

 ひかりが聞く。

「『搬入ミスから立て直した一年生』って」

 最悪だった。千葉は搬入日を勘違いして、一度作品を持って来られなかった。

 そのあと先輩が総出で手伝い、何とか間に合わせた。

 たしかに“立て直した”話には見える。見えるだけで、本人にとってはただ失敗した記憶だ。


「出たくない?」

 僕が聞く。

「……はい」

「言った?」

「先輩には、うまく言えなくて」

「星名には」

「“同じ失敗をする子を減らせる”って言われました」

 善意で押し切るときの常套句だ。


 生徒会室へ行くと、星名はちょうどコピー機の前にいた。トナーの匂いが、妙に刺々しかった。

「千葉さんの件」

 僕が切り出す。

「なに」

「本人が出したくないって」

「そう」

 あまりに素っ気なく返す。


「それなら外せば」

 ひかりが言うと、星名は少し首を傾げた。

「外して、何が残るの」

「本人」

「それは展示の外でしょ」

 その一言で、僕は本気でぞっとした。星名にとって、人はまず“見せる素材”と“見せない余白”に分かれている。

「展示の外に落ちる人間を、なんだと思ってる」

 ひかりの声が鋭くなる。

「生きてる人」

 星名は平然と言う。

「だから、展示に入れる部分だけ借りるの」

「借りる?」

「全部は奪ってない」

「その言い方で通ると思うなよ」

 ひかりが机に手をついた。星名はそこで初めて、少しだけ目を細める。

「一ノ瀬先輩、自分だって人の人生の“事件になる部分”だけ切り出してきたでしょう」

 痛いところをついてくる。ひかりが一瞬黙り、僕が割って入った。

「今はその話をしてない」

「してるのよ」

 星名は僕を見た。

「真壁くんはもっとわかるでしょう。結末案って、要するにどこを残してどこを削るかのメモなんだから」

 そこまで知っているのか。背筋が冷える。星名が持っているのは、単なる噂ではない。もっと近い。

「誰から聞いた」

「聞いたんじゃない」

「見たのか」

「見せられたのかもしれないし、落ちてたのかもしれないし、似た書き方を何度も見たのかもしれない」

 意図的に曖昧にする。否定しないくせに、確定もさせない。こういうやり方も、調整会の技術なのだろう。


 その夜、美術部の搬入確認会議に同席した。千葉は何度も『私のせいで迷惑をかけたので、先輩たちが良ければ』と言いかけた。そこでひかりが遮る。

「“迷惑をかけたので”のあとは禁止」

「え」

「そこから先、だいたい自分を削る話になるから」

 先輩たちは面食らったが、千葉は少しだけ息を吐いた。

「……出したくないです」

 やっと言えた。会議は一瞬止まる。だがそこで、美術部長の三村が言った。

「それなら別の形にしよう。失敗した本人の名前を出すんじゃなくて、作業フローの修正として見せればいい」

 その一言で、やっと“千葉を展示する”以外の発想が出る。出てしまえば簡単なのに、最初はなぜか、人を材料にする方向へ先に走る。

 僕はその瞬間、星名の強さがわかった。彼女は人を材料にしたくてしているだけじゃない。人を材料にしたほうが、話が早いと知っている。

 そして学校は、話が早いほうを好む。


 翌日、陸上部で記録改竄疑惑が出た。タイム表の書き換え。推薦を狙う生徒にとっては致命傷だ。星名はすぐに動き、調整会のルートで関係者を絞った。

 犯人にされたのは、一年の川辺。過去に虚言癖があり、誰もが少しだけ疑いやすい生徒だった。


 ひかりが怒る。

「早すぎ」

「でも状況証拠は揃ってる」

 生徒会の二年が言う。

「揃いすぎてる」

 僕はタイム表のコピーを見ながら答えた。川辺の筆圧に似せてはあるが、わざとらしすぎる。しかも、発見の順番が整いすぎていた。

 改竄に最初に気づいたのは、ちょうどその場にいると都合のいい部員たちばかり。

 誰かが“川辺がやった”という物語を先に準備している。

 ひかりは職員室前の廊下で川辺を捕まえた。

「やってないよね」

「……やってない」

「ならなんで言い返さない」

「言っても、また“いつもの”って言われる」

 そこでひかりは言葉を失いかけた。

 星名のやり方は、過去の役割を使っている。

 『虚言癖』『迷惑をかけた子』『頑張る象徴』。一度貼られた役は、次の事件で何度でも使い回せる。

 改竄の真犯人は別にいた。部の中心で、推薦を守りたい三年の一人。

 川辺なら疑われやすいと知っていた。

 調整会はそれを見抜けなかったのではない。川辺が被疑者にちょうどよかったから、見えても止めなかった。

「これでも、効率がいいって言う?」

 僕が星名に聞くと、彼女は一瞬だけ口を閉じた。

「……見落としはある」

「見落としじゃない」

 ひかりが言う。

「“誰が材料にしても壊れにくいか”で選んだ」

 星名はそこで初めて、少しだけ不快そうな顔をした。

「壊れにくいなんて、誰が言ったの」

 その言い方が、逆に答えだった。


 帰り際、理人が僕に言った。

「星名さん、最近強すぎるんです」

「知ってる」

「僕は最初、誰かが少し言いやすくなる手伝いがしたかっただけで……」

「手伝いがシステムになると、こうなる」

「止められますか」

「止めるだけじゃ足りない」

 自分で言いながら、答えがまだ見えていないのがわかった。ひかりは隣で黙っていた。珍しく、何も言わないことが一番正しいと判断したみたいに。


 星名に呼ばれたのは、生徒会室の隣にある小さな資料室だった。

 創立記念祭の過去資料、新聞部の切り抜き、文化祭パンフレットの束。人の失敗と達成が、何年分も背表紙になって並んでいる。

 星名はその真ん中で、埃を払うみたいに一冊のファイルを差し出した。

「見ますか」

「見たくない予感しかしない」

「でも見るでしょう」

 そういう言い方をする。相手の反応まで、先に形にして置いてくる。

 

 中には、去年の小さなトラブル記事が切り貼りされていた。部活の内輪揉め、欠席の増えた生徒、進路変更の相談、匿名アンケートの抜粋。どれも、事実としては間違っていない。

 問題は、その並べ方だ。先に見出しがあり、その下に証拠が従っている。

 最初から“そういう物語”へ向かうように並んでいる。


「人を材料だと思ってる」

 ひかりが言ったのは、その三冊目を閉じたあとだった。

「雑な言い方ね」

 星名は笑う。

「でも半分は当たりでしょう」

「半分?」

「もう半分は、人を材料にしないと学校は動かない、です」

 僕はそこで初めて、こいつが本気でそう思っていると理解した。冷たいのではなく、冷たくなるほうが合理的だと信じている。

「失敗をそのまま置くと、ただの傷で終わる。意味を与えると、次の誰かの注意になる」

 星名は続ける。

「孤立をそのまま置くと、ただの苦しみで終わる。配役して位置を与えると、周囲はやっと動く」

「だから、本人より先に物語を作る」

 僕が言うと、星名は少しだけ嬉しそうに頷いた。

「真壁先輩は理解が早い」

 その瞬間、ひかりが資料ファイルを閉じた音がやけに大きく響いた。


 帰り道、ひかりは最初から機嫌が悪かった。けれど怒鳴らない。怒鳴るより手前で、ずっと考えている顔だった。

「湊」

「なに」

「わかる顔するな、って前にも言ったよね」

「言った?」

「言った」

 否定しきれないのがいちばん嫌だった。


「全部は違わないって思った」

 僕が言うと、ひかりは歩く速度を少しだけ緩めた。

「思うのは勝手」

「うん」

「でも、そこで止まるな」

 それだけ言って、また前を向く。その言い方は責めているのとも違った。たぶん、見張っている。お前があっちへ行きすぎたら止める、という意味で。

 恋愛ならもっとややこしくない言葉を使うんだろう。僕らはそういうふうに進めない。代わりに、こういう不器用な監視の仕方を覚えていく。


 翌日の昼、美術部の展示担当だった一年が僕らのところへ来た。星名が割り振った“失敗から学ぶ展示”の対象になった子だ。

「真壁先輩」

「ん」

「昨日、資料見ました?」

「見た」

「なら分かると思うんですけど、私、別に“失敗した人”として残りたいわけじゃないです」

 その言葉が、資料室の理屈を一発で壊した。材料にされる側は、意味づけより前に、ただ嫌なのだ。嫌だと口にするまでに時間がかかるだけで。

「手伝う」

 ひかりが先に言った。

「今からでも、その見出しはひっくり返せる」

 その力強さに、一年の子は少しだけ息を吐いた。誰かに配役される前に、自分の名前へ戻る。そのきっかけを作れるなら、まだ遅くないと思いたかった。


 翌週、展示の試作が廊下へ並んだ。美術部の失敗作の横に、改善後の完成作。写真部の消えたデータの横に、再撮影で笑う顔。全部が“前向きな再編集”になっている。通りかかった一年たちは素直に感心していた。

「わかりやすい」

「すごい」

「学校っぽい」

 その感想が、星名の強さだった。彼女のやり方は、見た瞬間に意味が分かる。分かるから、人は深く考えなくなる。

 ひかりはそのパネルの前に立ち止まり、指でタイトルをなぞった。

「再生、ね」

「便利な言葉だ」

「便利すぎる」

 そこへ材料にされた一年の子が来て、自分の写真の前で立ち止まった。

「これ、私なんですよね」

「うん」

「なんか、もう大丈夫だった人みたい」

 その一言が重かった。まだ全然終わっていない当人だけが、展示のほうに置いていかれている。星名はたぶん、その置き去りを“編集上の誤差”として扱える。そこが僕にはいちばん怖い。


 資料室を出たあと、僕はしばらく校舎のガラスに映る自分の顔を見ていた。星名の理屈を理解した瞬間の顔だ。理解と同意は違う。違うはずなのに、理解した時点で少し足を取られる。その鈍さを、ひかりはたぶん横で見ている。

「置いてくよ」

 先に歩き出したひかりが言う。

「置いてかれない」

「なら早く」

 呼ばれ方が雑で助かった。難しいことを考えたまま、一人にしない言い方だった。


 星名の理屈は綺麗だった。綺麗だから、人を削った跡が目立たない。そこが一番、僕には気持ち悪かった。


 帰り道、ひかりは『ああいうやつが一番危ない』とだけ言った。星名のことでもあり、理解しかけた僕のことでもあるのがわかった。


 家に帰って、ノートを開く。今日はずいぶん書くのに時間がかかった。

 ――人を材料だと思うのは残酷だ。

 ――でも、人を材料だと思わないと間に合わない現場があると知ってしまうと、残酷は技術になる。

 そこまで書いて、ペンを置く。次の一行は、なかなか出なかった。やっと絞り出した言葉は、ひどく嫌だった。

 ――だからこそ、技術に酔った時点で終わる。


 深夜、ひかりから電話が来た。珍しい。

「起きてた?」

「起きてる」

「今の星名、わたしが嫌いなタイプの完成形だ」

「うん」

「でも、あれを“全部違う”って言えない自分も嫌い」


 少し黙ってから、僕は言う。

「言えなくていい。見逃さなきゃいい」

 受話器の向こうで、小さく息を吐く音がした。

「……それは、お前が言うとずるい」

「なんで」

「だって正しいから」

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