第2章 8話 善意の編集
榊原蓮が「相談しやすい先輩」として校内で定着したのは、たぶん文化祭の成功と、例の予算帳事件のあとからだ。
本人は否定するが、人は自分を助けてくれた誰かの真似をしたくなる。まして相手が純粋なら、なおさらだ。
榊原は気づけば、失恋した後輩の聞き役になり、退部したい運動部員の仲裁をし、親と進路で揉めている同級生の橋渡しまでしていた。
「便利屋だな」
僕が言うと、ひかりは首を振る。
「違う。自己犠牲の初心者」
「最悪な表現」
「でも当たってる」
当たっていた。
最初に持ち込まれたのは、吹奏楽部の退部騒動だった。
部長が強すぎて辞めたい一年と、部を守りたい二年。榊原は両方の話を聞いて、丸く収めようとしている。
「真壁先輩なら、どうしますか」
彼は僕にそう尋ねた。
その聞き方がもう危うい。自分の判断ではなく、“正解の型”を借りにきている。
「誰も悪者にしない着地を探す」
僕は答えた。
「でも、辞めたい側の逃げ道は確保する」
榊原は真剣にうなずいた。
その真剣さを、僕はまだ誇らしく思っていた。
次は失恋の揉め事だった。告白を断った女子が悪者にされている。榊原は双方へ同じくらい優しく、同じくらい理屈っぽく話して、最終的に“誰も責めない”ところまで持っていく。
「似てる」
ひかりが小さく言う。
「何が」
「お前に」
「光栄だな」
「褒めてない」
その横顔は、少しだけ険しかった。
決定的だったのは、家庭トラブルの橋渡しだった。
父親と進学方針でぶつかった生徒へ、榊原は僕が以前口にしたことのある言い回しをそのまま使った。
『いま勝つことより、次の会話が続く終わり方を選んだほうがいい』
たしかに正しい。たしかに有効だ。たしかにその場は収まる。
だからこそ、僕はその言葉が別の口から出た瞬間、少しだけぞっとした。
中庭のベンチで、ひかりが缶ジュースを揺らしながら言う。
「榊原、自分で考える前に、お前の文法に入ってる」
「文法って」
「人の痛みの処理手順」
言い得て妙だった。
「でも、役に立ってる」
「役に立つことと、依存先になることは別」
「そこまで深刻か?」
ひかりはそこで初めて、少し苛立った顔をした。
「湊、お前、自分が“答えの置き場”になってるのに鈍すぎる」
その言葉が少し胸に刺さる。
僕だって万能じゃない。けれど、万能でないと分かってもらう技術を持っているかというと、怪しかった。
その日の最後に、榊原はノートを見せてきた。びっしりと箇条書きが並んでいる。
『誰かの幸せのためなら、自分は少し減ってもいい』
僕はそれを見て、胸のあたりが冷たくなった。
「これ、どこで書いた」
「最近、考えてたことです」
「消せ」
思わず強く言っていた。
榊原は驚いた顔をする。
「え」
「それは違う」
「でも、真壁先輩も」
「僕はそんなこと言ってない」
本当だろうかと、自分で少しだけ思う。
直接は言っていなくても、そう読める背中を見せていたのかもしれない。
「先輩が、いつも誰かのために動くから」
榊原が言う。
「僕も、そういうふうになりたいだけで」
「なるな」
ひかりが強く言った。
「少なくとも“減る前提”でなるな」
榊原は困ったように笑った。
「すみません。僕、うまくできてないですね」
その言い方が、すでに危うかった。
“自分を削ること”を改善点だと思っている顔だった。
夜、家に帰っても、そのノートの一文が頭から離れなかった。
僕は自分のメモをめくり返し、これまで榊原へ渡した言葉を数えた。
どれも単独では間違っていない。たぶん。
でも、積み重なれば別の意味になる。
文章がそうであるように、助言も文脈を失えば刃物になるのだと、そのとき初めてはっきり感じた。




