第2章 7話 真壁湊の草稿
僕がラノベを書いていることを知っているのは、今までひかりだけだった。
正確には、ひかりに隠しきれていなかった、だ。
事件のあと、僕はいつもノートに“最善の終わり方”を書く。その延長で、いつの間にか架空の事件と、そこで前に出る少女の話も書くようになった。
誰にも見せるつもりはなかった。少なくとも、学校の誰にも。
だから昼休みに自分の原稿のコピーを見たとき、最初の一秒は本当に何が起きたのか分からなかった。
表紙にだけ、誰かの字でこう書いてある。
『続きが読みたいです』
「うわ」
ひかりが先に笑った。
「うわ、じゃない」
「面白いことになってる」
「面白くない」
「いや、ちょっと面白い」
「他人事だと思ってるだろ」
「半分は」
回覧されていたのは第一章の途中までだった。主人公みたいな少女と、終わり方を選ぼうとする少年の話。言い訳のしようもなく、僕らを下敷きにしている。
「恥ずかし」
ひかりがぱらぱらとめくる。
「返せ」
「でも、お前、ちゃんと書いてるんだ」
「だから見せてない」
「見せてなくても、書いてるのは事実」
そこへ榊原が駆け寄ってきた。
「すみません真壁先輩、なんか変な噂が」
「もう変な噂じゃなくて現物が回ってる」
榊原はコピーを見て、目を丸くした。
「これ……すごいです」
「褒めなくていい」
「いや、本当に」
その声色が本気で、僕は逆に身構えた。
犯人探しは、いつものような悪意の方向へは進まなかった。
からかいたくて持ち出したやつ。続きを読みたくて友達に見せたやつ。原稿の少女が一ノ瀬ひかりに似ていると気づいて盛り上がったやつ。どれも悪意だけではなく、好奇心や善意が混ざっている。
「これ、殴りにくいな」
ひかりが言う。
「殴る前提やめろ」
「ラノベの主人公ならそうする」
「しないタイプもいる」
僕はコピーの紙質を見た。図書室の裏にある簡易コピー機の紙だ。貸出ノートの記録と照らすと、使用時間は昼休み十分間。そこに入れたのは二人だけ。文芸部員と榊原。
「まさか」
ひかりが先に言う。
「たぶん、まさか」
放課後、図書室の裏で問い詰めると、榊原はあっさり頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……なんで」
怒りより先に、呆れが出た。
「返そうと思ったんです。でも、読み終わったら、すごくて」
「だから配った?」
「一人にだけ見せたんです。そしたら、その人がまた別の人に」
完全な善意だ。悪意のほうがまだ処理しやすい。
「先輩の文章、救われるんです」
榊原は必死に言った。
「事件が終わったあとまで考えてくれる感じがして。僕、あれ読んで、ちゃんと最後まで見る人っているんだって思って」
僕は怒れなかった。
むしろその期待の重さに、息が詰まった。
「どこが、救われるんだ」
僕は原稿の一節を指で叩いた。
「ここ、主人公が全部を背負わないように、隣のやつが動く場面」
「そこです」
榊原は即答した。
「誰かが前に出るだけじゃなくて、そのあとを考える人がいるって、すごく……安心する」
その言葉は嬉しいはずだった。なのに、なぜか怖かった。
ひかりが横から口を挟む。
「安心しすぎるな」
「え?」
「物語は、読者が真似しはじめると危ない」
「……はい」
榊原は素直にうなずく。その素直さがまた怖い。
しばらく沈黙が落ちてから、僕はようやく言った。
「そんなに期待されるほどのものじゃない」
榊原は首を振る。
「でも、僕は」
「榊原」
ひかりが初めて強めに遮った。
「勝手に人のものを広めるのは、感動とは別件」
「……はい」
「分かったなら、先に謝る」
「はい」
榊原はもう一度、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。僕、嬉しくて、線引きを間違えました」
その言い方が妙に耳に残る。線引き。今の僕たち全員に必要な言葉だった。
帰り道、ひかりが原稿の束を僕へ押し返してきた。
「返す」
「最初からそのつもりだろ」
「うん。あと」
「なに」
「でも、お前は書いてるじゃん」
それだけだった。
慰めでも励ましでもない。けれど、変に胸に残る。
「書いてるけど、読まれる想定はしてない」
「じゃあ想定しろ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないから言ってる」
ひかりは前を向いたまま続ける。
「お前が書いてるもの、誰かに効くよ。効くから、扱いを考えろ」
僕は返事をしなかった。
たぶん、その時点でこの話はもう“趣味”では済まなくなっていた。




