第2章 4話 正解のない推薦
推薦の内定者リストが流出したのは、昼休みの終わりだった。
最初は、誰かの机に置かれたコピー一枚だけだったらしい。それが写真に撮られ、メッセージアプリで回り、気づけば校内の半分が知っている情報になっていた。
名前の並びは冷酷だ。合格、不合格、保留。本人の努力より、結果のほうが先に教室を歩き始める。
「犯人捜しする?」
ひかりが訊く。
「する」
「即答」
「でも順番がある」
「またそれ」
「いま正しさだけを振りかざすと、推薦取った側も落ちた側も壊れる」
ひかりは少しだけ不満そうに口を尖らせた。
「ラノベの主人公ならそうする」
「いまは、そうしないでくれ」
「毎回それ言うね」
「毎回やりかねないからだろ」
今回いちばん危うかったのは、推薦を取った二年の女子、相馬玲奈だった。
彼女は本来なら喜ばれる側のはずなのに、流出のせいで「親のコネ」「先生のお気に入り」などと陰で囁かれ始めていた。しかも、彼女を守ろうとした友人の発言が、逆に教室を分断している。
僕たちはまず犯人ではなく、傷ついた側から会うことにした。
相馬、推薦を逃した同級生の新庄、そして相馬の友人である成瀬。三人の話を順番に聞く。
「別に、推薦を取れたことを隠したいわけじゃない」
相馬は言った。
「でも、ああいうふうに先にばらまかれると、私が悪いことしたみたいになる」
「なってる」
ひかりが言う。
「周りが勝手に」
成瀬がすぐに反論した。
「玲奈は悪くない。だから私、みんなに『文句あるなら先生に言え』って」
その瞬間、新庄の顔が硬くなった。
「それだよ」
彼は低い声で言う。
「そういう“正しい人の顔”が、一番きつい」
部屋の空気が一気に張りつめた。
推薦とは、たいてい結果より前に空気が壊れる。
取った人間は遠慮を強いられ、取れなかった人間は悔しさを隠すことを強いられる。しかも家庭の事情が混ざると、感情はもっと複雑になる。
新庄は進学塾と家計の都合を話し、成瀬は親から「友達の足を引っ張るな」と言われたと吐き捨てた。相馬は「取れて嬉しいはずなのに、祝われることが怖い」と笑った。
犯人を捜すだけなら簡単だ。でも、この空気は真相が出ただけでは戻らない。
放課後、僕はコピーの質を見た。紙の色、トナーの擦れ、余白。職員室の複合機ではない。図書室横の進路指導室にある旧型のコピー機だ。
「犯人、そこまで難しくない」
ひかりが言う。
「進路指導室に入れるやつ」
「絞れる」
「じゃあ行く?」
「行く前にもう一人」
僕は成瀬を呼び止めた。
「相馬を守りたい?」
僕が聞くと、成瀬は苛立った顔でうなずく。
「当たり前じゃん」
「じゃあ、なんで全体へ喧嘩を売る言い方をした」
「だって、あいつらムカつくし」
「それ、相馬を守ってない。相馬に『守られる側』の札を貼ってるだけだ」
成瀬は黙った。
ひかりが横から続ける。
「守るって、敵を作ることじゃない」
「でも……」
「でも、じゃない。相馬さんが一番嫌なのは、自分のせいで周りが割れることだろ」
その言葉に、成瀬はようやく目を伏せた。
犯人は、思った通り相馬の別の友人だった。
名字は吉瀬。進路指導室の鍵当番で、成瀬ほど派手ではなく、だから誰にも“守っている側”として見られていなかった。
「私がばらまいた」
吉瀬は簡単に認めた。
「だって先に広まれば、玲奈だけを狙った嫌味にならないと思ったから」
「全体にばらまけば、個人攻撃じゃなくなる?」
ひかりが問う。
「……孤立しないと思った」
吉瀬は泣きそうな顔で言った。
「一人だけ知ってる状態のほうが、もっと怖かった」
それは善意だった。歪んだ善意だが、間違いなく善意だった。
だから扱いが難しい。
結局、僕たちは吉瀬を“流出犯”として教室の中央へ引きずり出さなかった。
進路指導部と担任、相馬たち三人だけで話し合いの場を作り、コピーの件はそこへ回収した。教室全体には、資料管理の不備として職員側から注意が出されるに留めた。
卑怯だと言われればそうかもしれない。けれど、誰か一人へ石を集めれば、それで終わる話でもなかった。
「真壁先輩なら、そういう選び方ができるんですね」
帰り際、榊原が言った。
「最善って、こういうことなんだ」
その声は憧れに近かった。
僕は曖昧に笑うしかなかった。
ひかりが校門で僕のノートを奪いかける。
「今日の“最善の終わり方”は?」
「返せ」
「タイトルだけ」
「読ませない」
「けち」
「今日はまだ、書けてない」
「珍しい」
「正解がないから」
ひかりは少しだけ考えてから、珍しくやわらかい声で言った。
「じゃあ、正解じゃなくて、誰がどこで痛むかを書けばいい」
僕はその言葉をノートに写した。
『正解がないときは、傷の分布を書く。』
書いた瞬間、ひかりが満足げにうなずく。
その横で榊原は、また本気の顔でこちらを見ていた。
あの視線が、少しずつ重みを増していることに、僕はまだ甘かった。




