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第2章 3話 伏線みたいな遺書

文芸部の部誌が配られた翌日、校内の空気は妙に静かだった。

 騒いでいるくせに、誰も大きな声では触れない。そういう沈黙だ。

 問題になったのは、巻末の掌編だった。たった三ページ。題は『欠席届』。最後の一文だけが、いやに生々しかった。

『明日、私がいなくなっても、提出物だけは揃っている。』

 いかにも“遺書っぽい”。だから騒ぎになった。


「文芸部って、こういうの好きだよね」

 ひかりが言う。

「一括りにすると怒られるぞ」

「でもラノベの主人公なら、こういう“わざとらしい不穏”は見過ごさない」

「主人公のジャンルが偏ってる」


 昼休み、文芸部の部室には顧問、部長、編集担当、印刷係、そして何人かの見物人まで集まっていた。

 誰が書いたかは伏せられていたが、部誌の提出順と原稿ファイルの管理から、候補は五人に絞られているらしい。

「作者探しは駄目です」

 部長の梶野が言う。

「文芸部の匿名原稿は慣例ですし、表現の自由も」

「表現の自由で死なれたら、後味が悪いだろ」

 ひかりが真っ直ぐ返す。

 顧問が咳払いした。

「一ノ瀬、言葉」

「すみません。でも、ほんとです」


 僕は部誌と提出表を受け取った。掌編自体は上手い。妙に上手すぎた。比喩が少なく、代わりに提出箱、回収係、職員室前の掲示板といった現実の物の名前ばかりが並ぶ。空想ではなく、実景を書いている文章だ。

「この作者、文芸部員じゃないかも」

 僕が言うと、ひかりが目を細める。

「どうして」

「言葉を飾らない。読ませたいんじゃなくて、気づいてほしい文だ」

「救難信号」

「たぶん」

 ひかりが部室を見回した。

「じゃあ、部誌に紛れ込ませられる立場の誰か」


 提出履歴を見る。原稿が最後に差し替えられたのは、放課後五時十二分。部誌編集の締切直前だ。その時間、部室にいたのは部長、印刷係、顧問。そして、文化祭のポスター制作で部室前を出入りしていた榊原も目撃していた。

「僕、原稿を届けに来た子を見ました」

 榊原が言う。

「文芸部員じゃなくて、たしか二年の……図書委員の」

 名前を辿るように、彼は少し考える。

「白石さん」

 図書委員の白石澄香。成績優秀で、存在感の薄い生徒だ。欠席も少ない。いわゆる“問題を起こしそうに見えない”側の人間だった。


 僕たちは図書室へ向かった。白石は返却棚の前で、何事もない顔で本を並べていた。

「部誌の掌編、あなた?」

 ひかりが直球で聞く。

 白石は首を傾げた。

「違うと言ったら、信じますか」

「半分」

「正直ですね」

「ラノベの主人公ならそうする」

「それ、免罪符なんですか」

「違う。生き方」

 白石はそこで、少しだけ笑った。笑い方がうまい人間のそれではなく、失敗しないために作られた表情だった。


 会話を続けるうちに、白石の発言は妙に整いすぎていると気づく。誰かに読まれる前提で話しているみたいに。

「あなた、自殺したいわけじゃない」

 僕が言うと、白石の指が一瞬止まった。

「でも、消えたいとは思った」

 彼女は否定しなかった。

「誰かに見つけてほしかったんです。きっと」

「誰に?」

 ひかりが聞く。

 白石は黙る。それから、図書室の窓の方を見た。

「誰でもよかった。……たぶん、誰でもよくなかったけど」

 言葉が揺れていた。


 顧問への聞き取りで、提出された掌編には赤字がほとんど入っていないと分かった。珍しいことらしい。完成度が高いからではない。手を入れると壊れそうだったからだと、顧問は言った。

「書き手は、比喩で逃げていませんでした」

 顧問の声は静かだった。

「だから私は、これは文学作品というより、訴えに近いと感じたんです」

「なのに載せた」

 ひかりが言う。

「ええ。私の判断ミスです」

 その認め方に、僕は責める気になれなかった。見抜いていても、どう扱えばいいか分からない種類の文章だったのだ。


 最終的に、白石は保健室の教師と顧問、そして図書委員の担当教諭を交えて話すことになった。

 家庭の事情だった。たいしたことではないと、本人は繰り返した。けれど“たいしたことではない”に押しつぶされる瞬間があると、僕は知っている。

「私、死にたいわけじゃないんです」

 白石は最後までそう言った。

「ただ、消えたいと思ったときに、それを誰にも見逃されたくなかった」

 ひかりはその言葉を聞いてから、珍しくすぐには喋らなかった。

 代わりに僕が言った。

「見逃さない人を、今から増やしましょう」

 保健室の先生がうなずき、顧問も続いた。

 事件として消費される寸前で、ようやくそれは“保護”の話へ変わった。


 帰り、僕はいつものノートを開いた。

『誰かの絶望を、事件にする前に終わらせる。』

 そう書きつけると、いつの間にか隣にいた榊原が覗き込んだ。

「真壁先輩って、終わり方まで考えるんですね」

「見たのか」

「すみません」

 でもその目は、本気で感心していた。

「そういうの、すごいです。僕、どうしても“今困ってる人”しか見えなくなるから」

「それは大事なことだよ」

 ひかりが言う。

「でも、そこで止まると、次の一歩で人を落とす」

「……はい」

 榊原はまっすぐうなずいた。

 素直すぎる。だからこそ、教える側の言葉は毒にもなる。

 そのことを、この時の僕はまだ抽象的にしか理解していなかった。

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