第2章 2話 感謝の宛先
文化祭実行委員会の会議は、たいてい最初の十五分だけ活気があって、そのあと急速に全員の目が死んでいく。
予算、備品、当日の導線、参加団体の希望。数字と責任の話が増えるほど、誰も彼も「自分のせいじゃない」を探し始めるからだ。
「いまの空気、犯人出そう」
ひかりがぼそっと言った。
「出したいなら、そういう顔をするな」
「してない」
「してる」
「ラノベの主人公ならそうする」
「主人公、いま完全に獲物見つけた目してるぞ」
榊原蓮は、その日の会議でも一番端の席に座っていた。委員長の名札を前に置き、年上ばかりの委員へ頭を下げながら、資料の束を配っている。おそろしく丁寧で、危なっかしいくらい真面目だった。
会計担当の三年生が、報告書をめくる手を止めた。
「余剰金が五万円、合わない」
その一言で、空気が変わる。
ざわめきの中心に、榊原の名前があっという間に置かれた。委員長なのだから当然だという顔で。
「俺、引き継ぎのときにちゃんと」
「榊原くん、予算帳って誰でも触れたよね」
「委員長印も持ってたんでしょ」
言葉の向きは穏やかでも、中身はもう疑いそのものだった。
会議がいったん散会になったあと、榊原は資料室の前で立ち尽くしていた。
「すみません。僕の管理が甘くて」
そう言って頭を下げるので、ひかりはすぐに眉を寄せた。
「まだお前がやったって決まってない」
「でも、委員長だから」
「その理屈で犯人が決まるなら、世の中の事件は全部校長先生が犯人だろ」
榊原が目を丸くする。ひかりは真顔だった。
僕はひとつ息をついた。
「予算帳を見せて」
「はい」
資料室の机に広げられた予算帳には、修正液の痕と付箋が多すぎた。会計担当の安川、発注担当の二年、企画責任者、各クラス代表。誰もが少しずつ書き込み、少しずつ直している。
「五万円が消えたんじゃない」
僕はページを追いながら言った。
「二万、八千、二千、七千、一万。端数で分けて抜かれてる」
「どうしてそんな面倒なことするの」
ひかりが聞く。
「一回で大きく抜くと、気づかれるから」
榊原の顔がさらに曇った。
「じゃあ、僕が毎回見逃してたってことですか」
「そういうこと」
「真壁」
ひかりが小声でたしなめる。
「言い方」
「事実は曖昧にすると余計に痛い」
聞き込みは、委員長室、家庭科準備室、被服部の物置、三年の教室とばらばらに飛んだ。
不自然だったのは、消えた金額の使われ方がどれも「急場しのぎ」に見えたことだ。大型備品ではなく、振込期限のある講習料、家の光熱費の立て替え、部活遠征のキャンセル料。どれも切羽詰まった使い方だった。
「犯人、ひとりじゃないかも」
僕が言うと、ひかりはすぐうなずいた。
「会計のゆるさを知ってる人たちが、別々に同じ穴を使った」
「でもそれだと、全員出したら文化祭が死ぬ」
「だから止めてるの?」
「止めてる」
「ラノベの主人公ならそうする」
「いや、いまはしないでくれ」
「珍しく弱気」
最初に崩れたのは、二年の発注担当だった。家庭科室の裏で、彼女は泣きながら言った。
「来月、弟の修学旅行費で……絶対戻せると思ったんです」
次に、三年の照明担当が部活費の立て替えを認めた。最後に、実行委員の一人が家の支払いに使ったと白状した。
三人とも、榊原が「最後に何とかしてくれる」と無意識に思っていたらしい。
「だって、委員長だし」
「榊原くんって、怒らないし」
「ほんとにごめん」
榊原は責めることもできず、ただ立っていた。
そこでひかりが一歩前に出る。
「謝る相手、委員長だけで済ませるなよ」
三人が顔を上げる。
「文化祭は、お前らの“あとで返す”の積み重ねで崩れるところだった。委員長に押しつけて終わりじゃない」
言葉はきつい。けれど、それが必要な瞬間もある。
僕はその横から口を挟んだ。
「処分は顧問と実行委員長会議に任せる。ただし、返済計画は今ここで作る。担当も変える。榊原一人に帳簿を戻させない」
「真壁先輩……」
榊原がかすれた声で言う。
「それで、本当に収まりますか」
「収める」
僕は答えた。
「犯人を出すだけじゃ、今後も『委員長が悪い』で終わる。仕組みを変えないと」
その夜、会議室のホワイトボードには、返済日程と担当の再配置が細かく並んだ。
実行委員の一人が、ぽつりとこぼす。
「真壁くんって、なんでそんなに先まで考えるの」
「事件が終わったあとまで含めて事件だからです」
「かっこいいですね」
不意にそう言ったのは榊原だった。
まっすぐな目で、少しだけ笑っている。
「僕、今日ほんとに、全部終わると思ってました。真壁先輩がいてよかった」
その言葉に、胸のどこかが少しだけ揺れた。
感謝は、想像していたより甘かった。
帰り道、ひかりが横から覗き込む。
「いま、ちょっと嬉しかったろ」
「何が」
「感謝されるの」
「されないよりは」
「へえ」
「その顔やめろ」
「自覚あるの、偉いなと思って」
「褒めてないだろ」
「半分は」
校門の前で別れる直前、榊原がもう一度頭を下げた。
「文化祭、ちゃんとやりきります」
その声は明るかった。
だから僕は、その明るさの奥で何かが細く張りつめていることに、まだ気づかなかった。




