第八章:冷たい計算
深夜。
衛藤ミキは、自室のソファに座っていた。
部屋の照明は落とされ、窓から入る街の明かりだけが、彼女の顔を照らしている。
ミキは、携帯電話の通話履歴を見つめていた。
榊原真。
最後の着信は、彼が殺される数時間前だった。
ミキは、その時の会話を思い出していた。
『ミキ、今さ、北条に会ったんだよ』
榊原の声は、酔っていた。
『北条?何言ってるの、北条は死んだでしょ』
『いや、マジで会ったんだって。今、目の前にいるんだ』
『榊原、あなた酔いすぎよ。早く帰りなさい』
『でも――』
そこで、電話は切れた。
ミキは、その後のことを知らなかった。
だが今、榊原も死んだ。北条に会った、と言って。
ミキの背筋に、冷たいものが走った。
北条隆史は、死んでいる。だが、榊原は北条を見た、と言った。
そして――
殺されたのではないか?北条の姿をした何かに
ミキは立ち上がった。
真田真秀刑事が言っていた言葉が、蘇る。
『何か、得体の知れない生物を使って、被害者を襲っています』
生物。心臓と脳を奪う、生物。そして、死んだはずの人間の姿をとる、生物。
ミキは、リビングに向かった。
そこには、父・衛藤慎一郎が、書類を読んでいた。
「お父様」
ミキが声をかけると、衛藤が顔を上げた。
「ミキ、まだ起きていたのか」
「ええ。少し、お話ししたいことがあって」
ミキは、父の隣に座った。そして、甘えた口調で言った。
「お父様、前にお話ししてた、あの科学者の方、覚えてる?」
「科学者?」
「ほら、奥様とお子さんを交通事故で亡くされた方」
衛藤の表情が、僅かに曇った。
「ああ……芹沢か」
「そう、芹沢さん」ミキは父の顔を見た。「あの方、今どうしてるの?」
「どうして、そんなことを?」
「ただ、気になって」ミキは笑顔を作った。「あの時、お父様が心配してたから」
衛藤は溜息をついた。
「芹沢は……行方不明だ」
「行方不明?」
「ああ。一年ほど前に、研究所を辞めて姿を消した。国家プロジェクトの重要な研究者だったから、警察にも捜索を依頼したが、見つかっていない」
ミキは、その言葉を心に刻んだ。
「そうなんだ……可哀想に」
「本当にな」衛藤が首を振った。「あれほど優秀な研究者だったのに。妻子を失って、心を病んでしまったのだろう」
「ねえ、お父様」ミキが続けた。「芹沢さんって、何の研究をしてたの?」
「細胞の再生技術だ」衛藤が説明した。「人体の組織を再生する研究。失われた臓器を作り出す、画期的な技術だった」
ミキの心臓が、早鐘を打った。
細胞の再生。組織を作り出す。
それは――
生物を作り出すことも、可能なのではないか。
「そう……すごい研究だったのね」
ミキは、努めて平静を装った。
「ああ。もし彼が研究を続けていれば、多くの命が救えただろうに」
衛藤は、再び書類に目を落とした。
ミキは立ち上がった。
「お父様、もう寝るわ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ミキは自室に戻った。
ドアを閉めると、深く息を吐いた。
すべてが、繋がった。
芹沢幸次郎。妻子を奪われた男。細胞再生技術の研究者。そして、行方不明。
彼が、今回の犯人だ。
復讐のために、自分の研究を使って、あの生物を作り出した。
そしてビーストのメンバーを、一人ずつ殺している。
ミキは、窓の外を見た。
どうすべきか。
警察に話すべきか。
いや――
ミキの目が、冷たく光った。警察に話せば、自分の関わりも明らかになる。北条の事件を揉み消すために、秘書を犠牲にすることを提案したのは、自分だ。それが明るみに出れば、父の立場も危うくなる。
ならば――
自分で、解決するしかない。
ミキは、携帯電話を取り出した。連絡先から、二つの名前を選ぶ。
華村凛。
榎本大輝。
ビーストの、残りのメンバー。
ミキは、華村に電話をかけた。
数回のコール音の後、眠そうな声が聞こえた。
「もしもし……ミキ?こんな時間に何?」
「凛、大事な話があるの。明日、会えない?」
「明日?何の話?」
「電話じゃ話せない。榎本も呼ぶわ。昼の十二時、いつもの場所で」
「……分かった。何か、深刻そうね」
「ええ。私たちの命に関わることよ」
ミキは、そう言って電話を切った。
次に、榎本に電話をかける。
「おう、ミキ。どうした?」
「榎本、明日昼、凛と会うの。あなたも来て」
「明日?俺、予定が――」
「予定はキャンセルして」ミキの声が、冷たくなった。「これは、あなたの命に関わることよ」
榎本が、黙った。
「……分かった。行くよ」
「ありがとう。じゃあ、明日」
ミキは電話を切った。そして、窓の外を見つめた。
芹沢幸次郎を見つけ出す。
そして、始末する。
もし、それができなければ――
ミキの唇が、僅かに歪んだ。
華村と榎本を、盾にすればいい。
自分だけは、生き残る。
それが、衛藤ミキの生き方だった。
夜の闇が、彼女の冷たい笑みを包み込んでいた。




