第三十三章:失われた光
警視庁本部、留置場。独房の中で、芹沢幸次郎は壁に背を預けて座っていた。
窓から差し込む、冬の弱い陽射し。芹沢は、目を閉じていた。
そして――
過去を、思い出していた。
大学時代。
キャンパスの桜並木を、三人で歩いていた。
芹沢幸次郎。ゆり子。そして、甲本隆。
「芹沢、今日のレポート終わった?」
甲本が、明るい声で尋ねた。
「ああ、何とかな」
芹沢が笑って答える。
「すごいですね、芹沢さん」
ゆり子が、優しく微笑んだ。
「私、まだ半分も終わってません」
「大丈夫だよ、ゆり子さん。俺が手伝うから」
甲本が胸を張った。
「ありがとうございます、甲本さん」
三人は、笑い合っていた。苦楽を共にした日々。試験前の徹夜。文化祭の準備。研究室での議論。すべてが、輝いていた。
そして――
芹沢とゆり子が結婚する日。結婚式場で、甲本がスピーチをしていた。
「芹沢とは、大学一年の時からの付き合いです」
甲本が、笑顔で語る。
「最初は、真面目すぎて近寄りがたい奴だと思ってました」
会場に、笑い声が広がる。
「でも、話してみたら、すごく優しくて、頼りになる男だった」
甲本の目が、芹沢を見た。
「そして、ゆり子さんと出会って、芹沢はさらに変わった」
甲本が続けた。
「もっと優しく、もっと明るくなった」
甲本の声が、温かかった。
「二人には、本当に幸せになってほしい」
甲本が、グラスを掲げた。
「芹沢、ゆり子さん、おめでとう!」
拍手が、会場に響いた。
芹沢とゆり子は、手を繋いで立っていた。
そして――
優太が生まれた日。病院で、甲本が赤ん坊を抱いていた。
「おお、可愛いなあ」
甲本が、優太を見つめている。
「ほら、優太。こっち見て」
甲本の指に、優太の小さな手が触れた。
「おお、握った!」
甲本が感動した声を上げる。
「甲本、お前が父親みたいだな」
芹沢が笑った。
「いいじゃないか。俺、優太のこと我が子みたいに可愛がるぞ」
甲本が宣言した。
そして、実際にそうだった。
優太の誕生日には、必ずプレゼントを持ってきた。一緒に遊園地に行ったり、動物園に行ったり。甲本は、優太を本当に愛していた。
そして――
あの日。
ゆり子と優太が、事故で亡くなった日。葬儀場で、甲本は泣いていた。声を上げて、泣いていた。
「なんで……なんでこんなことに……」
甲本の声が、震えていた。
「ゆり子さん……優太……」
甲本の涙が、止まらなかった。芹沢も、泣いていた。二人は、同じように悲しんでいた。
だが――
その後。
芹沢が復讐を決意した時。
甲本は、反対した。
「芹沢、やめろ」
甲本が、必死に止めた。
「復讐なんて、ゆり子さんも優太も望んでいない」
「分かってる」
芹沢が答えた。
「でも、俺には他に何もできない」
「そんなことない」
甲本が芹沢の肩を掴んだ。
「お前は、これからも生きていくんだ。二人の分まで」
「生きる……?」
芹沢が、虚ろな目で甲本を見た。
「何のために?」
「二人を忘れないためだよ」
甲本が答えた。
「ゆり子さんと優太のことを、ずっと覚えているために」
だが――
芹沢は、聞かなかった。復讐の道を選んだ。そして、甲本と袂を分かった。
芹沢は、目を開けた。
独房の天井が、視界に入る。
「これで、良かったんだろうか……」
芹沢が、呟いた。
復讐を遂げた。ビーストのメンバーを、全員殺した。
だが――
心は、晴れなかった。
むしろ、暗闇が深まっていくようだった。
その時。
独房のドアが開いた。
「芹沢さん」
真秀の声が、聞こえた。
芹沢が顔を上げる。そこには、真田真秀が立っていた。
「取り調べです。来てください」
芹沢は、立ち上がった。
手錠をかけられ、真秀に連れられて取調室に向かった。
取調室。
芹沢と真秀が、テーブルを挟んで座った。真秀は、資料を開いた。
そして――
静かに口を開いた。
「芹沢さん、エイリアンが倒されました」
芹沢の目が、見開かれた。
「何……?」
「栃木県で、p2hmとの戦闘で倒されました」
真秀が続けた。
「倒したのは……甲本隆さんです」
芹沢の体が、震えた。
「甲本が……?」
「はい」
真秀が頷いた。
「甲本さんは、PASに乗ってエイリアンと戦いました」
真秀の声が、重くなる。
「そして……その戦闘で、甲本さんは亡くなりました」
芹沢の顔が、蒼白になった。
「嘘だ……」
芹沢の声が、震えた。
「嘘だと言ってくれ……」
「本当です」
真秀が、真っ直ぐに芹沢を見た。
「甲本さんは、最後まであなたを止めようとしていました」
真秀が続けた。
「甲本さんの母親が言っていました。『芹沢を救えるのは、俺しかいない』と」
芹沢の目から、涙が溢れた。
「甲本……」
芹沢の声が、嗚咽に変わった。
「すまない……すまない……」
芹沢は、顔を手で覆った。
肩が、激しく震えている。
「お前まで……お前まで、俺のせいで……」
芹沢の嗚咽が、取調室に響いた。真秀は、黙ってそれを見ていた。
やがて――
芹沢が顔を上げた。涙と鼻水で、顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「真田刑事……」
芹沢が、か細い声で言った。
「教えてくれて……ありがとう……」
真秀は、頷いた。
「でも……」
芹沢が続けた。
「この事件は、まだ終わっていません」
真秀の目が、鋭くなった。
「どういうことですか?」
「あのエイリアン……」
芹沢が言った。
「別の人物によって、また作られます」
真秀の背筋に、冷たいものが走った。
「別の人物……?」
「ええ」
芹沢が頷いた。
「私の協力者……いや、もう協力者ではありません」
芹沢の目が、真秀を見た。
「彼は、私を利用していたんです」
「誰ですか?」
真秀が身を乗り出した。
「名前を教えてください」
芹沢は、口を開こうとした。
だが――
その瞬間。
芹沢の顔が、歪んだ。
「うっ……」
芹沢が、喉を押さえた。
「芹沢さん?」
真秀が、驚いて立ち上がった。
芹沢の顔が、みるみる赤く腫れ上がっていく。
呼吸が、苦しそうだ。
「ひっ……ぐ……」
芹沢が、必死に息を吸おうとする。だが、喉が腫れて、空気が入らない。
「芹沢さん!」
真秀が叫んだ。
ドアに駆け寄り、外に向かって叫ぶ。
「救急車!すぐに救急車を!」
だが――
もう遅かった。
芹沢の体が、椅子から崩れ落ちた。床に倒れ、痙攣している。真秀が、芹沢の元に駆け寄った。
「しっかりして!芹沢さん!」
だが、芹沢の目は虚ろになっていた。
口から、泡を吹いている。
アナフィラキシーショック。急性のアレルギー反応。
真秀は、芹沢の脈を確認した。
弱い。
そして――
止まった。
「嘘……」
真秀が呟いた。
心臓マッサージを始める。
「一、二、三、四……」
必死に、胸を圧迫する。
だが――
芹沢幸次郎は、もう息をしていなかった。
数分後。
医務室の医師が駆けつけた。だが、すでに手遅れだった。
「……死亡確認」
医師が、時計を見た。
「午後三時二十七分」
真秀は、床に座り込んでいた。芹沢の遺体が、そこにある。
「なぜ……」
真秀が呟いた。
「なぜ、急に……」
医師が、真秀に近づいた。
「アナフィラキシーショックです。何かのアレルギー反応でしょう」
「アレルギー……?」
真秀が顔を上げた。
「留置場の食事で、何か異物が混入していたのかもしれません」
医師が答えた。
「詳しくは、解剖してみないと分かりませんが」
真秀は、立ち上がった。
芹沢幸次郎。妻子を奪われ、復讐に生きた男。
そして――
最後の最後で、真実を語ろうとした男。
だが、その真実は――
永遠に、闇の中に消えた。
「誰が……」
真秀が呟いた。
「芹沢さんのバックには、誰がいたの……」
だが、答えは返ってこなかった。
芹沢幸次郎の死によって――
事件の核心は、失われた。
協力者の正体。
エイリアンを再び作る人物。
すべてが、分からないままとなった。
真秀は、拳を握りしめた。
無力感が、胸を満たしていた。




