第十章:罠と絶望
深夜。
繁華街から少し外れた路地。
黒塗りの大型SUVが、エンジンを切って停車していた。海外製の高級車だ。車内は広く、革張りのシートが並んでいる。
後部座席に、衛藤ミキが座っていた。
膝の上には、タブレット端末。その画面には、暗い路地の映像が映し出されている。
ミキは、じっとその画面を見つめていた。
三日前。
ミキは、華田凛と榎本大輝を招集した。高級ホテルの一室。三人だけの密談だった。
「二人とも、聞いて」
ミキが切り出した。
「北条、森田、榊原。三人が殺された理由、分かったわ」
華村が目を見開いた。
「本当?」
「ええ」ミキが頷いた。「三年前のひき逃げ事件。覚えてる?」
榎本の顔が、僅かに曇った。
「ああ……北条がやらかした奴だろ」
「そう。あの時、轢かれて死んだのは、科学者の妻と子供だった」
ミキが続けた。
「その科学者が、私たちに復讐してるの」
「マジかよ……」
榎本が呟いた。
「でも、どうやって?警察は何もしてないのか?」
「警察も探してる。でも見つからない」
ミキが言った。
「だから、私たちで探すの」
華村が不安そうに尋ねた。
「でも、どうやって?」
「父のコネを使うわ。それに、榎本の会社、大輝の父親の重機メーカー。凛の母親の芸能界の繋がり。全部使って、芹沢幸次郎という科学者を探す」
三人は、それぞれの権力を使って動いた。
だが――
三日経っても、芹沢の居場所は掴めなかった。
そして今夜。
ミキは、次の作戦に移った。
「凛、大輝、今夜飲みに行かない?」
ミキが二人を誘った。
「いいわよ」
華村が笑った。
「俺も暇だし、行くか」
榎本も承諾した。
三人は、繁華街の高級クラブに向かった。
ミキは、二人に酒を勧めた。
華村は、すぐに酔った。榎本も、顔を赤くしている。
「ごめん、私、ちょっと気分が悪いから先に帰るわ」
ミキが席を立った。
「え、大丈夫?」
華村が心配そうに尋ねた。
「ええ、大丈夫。二人はゆっくりしてて」
ミキは店を出た。そして、停めてあったSUVに乗り込んだ。
それから一時間後。
華田と榎本も、店を出た。二人は、腕を組んで歩いている。華田凛と榎本大輝は、恋人同士だった。
「ねえ、大輝。もう一軒、あのバー行かない?」
華田が甘えた声で言った。
「ああ、いいぜ」
榎本が笑った。
二人が向かうのは、路地裏にある隠れ家的なバー。人通りの少ない場所だ。
ミキは、それを知っていた。
華田の首には、ダイヤのネックレスが輝いている。それは、ミキからのプレゼントだった。
だが、そのネックレスには――
小型カメラと位置探知機が仕込まれていた。
ミキは、SUVの中でタブレットを見つめている。画面には、華田の視点の映像が映っている。暗い路地。街灯の明かりがまばらだ。華田と榎本が、笑いながら歩いている。
その時――
前方に、人影が現れた。
「ん?」
榎本が足を止めた。
人影が、近づいてくる。
街灯の明かりが、その顔を照らした。
「榊原……?」
榎本の声が、震えた。
榊原真。
死んだはずの男が、そこに立っていた。
「え、榊原!生きてたの?」
華村が笑顔で近づこうとした。だが、榎本が華村の腕を掴んだ。
「待て、凛!」
榎本の顔は、恐怖に染まっていた。
「あれは……榊原じゃない!」
その瞬間――
榊原の姿が、変わり始めた。
皮膚が裂け、骨格が歪む。
身長が伸び、腕が太く、長くなる。
頭部が膨れ上がり、顔が崩れていく。
人間の形を保っていたものが、一瞬で異形へと変貌した。
「きゃああああああっ!」
華田の叫び声が、路地に響いた。
「逃げろ!」
榎本が華田の手を引いて走り出した。
だが、華田はヒールで走れない。
つまずいて、転んだ。
「大輝!待って!」
華田が手を伸ばす。榎本が振り返る。異形の生物が、華田に迫っていた。
榎本の顔に、恐怖が浮かんだ。
そして――
「ごめん!」
榎本は、華田を見捨てて逃げ出した。
「大輝!置いていかないで!お願い、助けて!」
華田の必死の叫び。
だが榎本は振り返らなかった。
恋人を、命の危険から守ることもせず。
ただ、自分の命だけを惜しんで、逃げた。
「大輝ぃぃぃっ!」
華田の絶望的な叫びが、路地に響いた。
だが榎本の姿は、もう闇に消えていた。
異形の生物が、華田に飛びかかった。
「いやあああああっ、助けて、誰か――」
華田は、生物に組み敷かれた。
「いや、やめて、助けて――」
生物の腕が、華田の体を掴んだ。
そして――
引き裂いた。
服が裂ける。肉が裂ける。
華田の断末魔が、夜の闇に響いた。
生物の牙が、華田の首に食い込む。
骨が砕ける音。
血が飛び散る。
華田の体が、バラバラになっていく。
腕が、もぎ取られる。
脚が、引きちぎられる。
生物は、華田の胸部に手を突き入れた。
肋骨を砕き、心臓を引き抜く。
次に、頭部。
頭蓋骨を割り、脳を取り出す。
すべてが、数十秒の出来事だった。
SUVの中で、ミキは画面を見つめていた。映像は、途切れていた。
華田のネックレスが、地面に落ちたのだろう。
カメラは、暗い空を映している。だが、音声は聞こえた。
肉を引き裂く音。
骨を砕く音。
そして――
「はぁ……はぁ……」
榎本の荒い息遣い。
位置情報を見ると、榎本は路地から数十メートル離れた場所で止まっていた。
腰を抜かしたのだろう。
ミキは、携帯を取り出した。
「今よ」
短く告げる。
榎本は、路地の入口付近に座り込んでいた。膝が笑い、立つこともできない。情けなく、腰を抜かしていた。
足が、動かない。
凛が――
凛が、殺された。
目の前で。
いや、違う。
自分が、見捨てたんだ。
恋人を。愛していると言っていた女を。
自分の命が惜しくて、逃げた。
榎本の目から、涙が溢れた。
恐怖か。それとも、罪悪感か。
どちらでもない。
ただ、自分が惨めで、情けなくて――
榎本は地面に手をついた。吐き気がこみ上げてくる。
どうしようもない男だ。自分でも、そう思った。
その時――
足音が聞こえた。
榎本が顔を上げる。
路地の奥から、あの生物が現れた。心臓と脳を両手に持っている。
そして、榎本に向かって歩いてくる。
「ひっ……」
榎本は、後ずさりした。だが、体が動かない。
生物が、近づいてくる。
その時――
「止まれ!」
声が響いた。
路地の反対側から、数人の男たちが現れた。
黒いスーツ。ミキの私設ボディガードたちだ。
五人。
全員が、拳銃を構えている。
「撃て!」
一斉に、銃声が響いた。弾丸が、生物に命中する。
だが――
生物は、止まらない。
皮膚に弾丸が確かに命中しているが、効いている様子がない。
「くそっ、効かない!」
ボディガードたちが、連射する。だが、生物は平然と歩いてくる。
そして――
飛びかかった。
最初のボディガードの首が、一撃で折られた。
次のボディガードは、胸を貫かれた。
三人目は、腕で薙ぎ払われ、壁に叩きつけられた。
四人目、五人目も、瞬く間に殺された。
生物の圧倒的な力の前に、人間は無力だった。
榎本は、恐怖で動けなかった。
生物が、再び榎本に向かってくる。
もう、終わりだ。
榎本は目を閉じた。
その時――
「警察だ!動くな!」
声が響いた。
榎本が目を開ける。
路地の入口に、三人の刑事が立っていた。
先頭にいるのは――
真田真秀。
その両脇に、花山七之助と夢見桜花。
三人とも、手には自動小銃を構えていた。
「芹沢幸次郎!そこにいるはずよね。あなたを殺人容疑で逮捕する!」
真秀が叫んだ。生物が、真秀たちを見た。
そして――
低く、唸った。




