18. 背伸びの代償
近所の石詠の店はさほど大きくはなかったけれど、色とりどりの石達は見ているだけで心が躍った。本格的に相棒となる石を探すために店を訪れたあの日。鮮やかな石達に目移りしながらも選んだのは淡い色合いのアメシストだった。落ち着いた色合いが子供だった自分には大人びて見えて。大好きな姉に憧れて、少しだけ背伸びをした。それこそが子供じみた愚かな選択だったと今なら分かる。自分の手に余る石なんて、持つべきではなかったのだ。あの日見た泣き叫ぶ姉の姿が、今でもそう訴えかけてくる。自分が違う石を選んでいれば、きっと皆穏やかな日々が続いていたのに。
「——はい、確かにお預かりしました。」
山小屋にて、深月が受け取った書類を鞄に仕舞っていると撫子は呆れた顔で机に肘をついた。
「そんな書類、わざわざこんなところまで来なくても郵送でもすればいいのに」
「そんなことありません。担当になって日が浅いからこそ、こうして顔を合わせて話すことに意味があるのです。それに——」
髪をほどき、眼鏡を外す。
「前にも言ったでしょう。あたし、ここが好きなのよ。自然に囲まれていて落ち着くから」
大きく息を吸いながら小屋の中を見回すと、前回訪れた時から少し変わっていることに気づいた。
「少し、緑が増えたかしら?」
飾られている観葉植物の鉢が、いくつが増えている気がする。
「この前、坂さんがうちに寄ったときに置いてった」
「……成程」
石ノ小路に寄った後。妹弟子のところにも顔を出したらしい。
「ただでさえ狭いのに。お姉さん、坂さんと友達なんでしょ。今度言ってやってよ」
撫子の言葉が田代と重なり、深月は思わず苦笑した。
「言うのは構わないけど、言ってきく人じゃないから……」
だよねぇ、と息を吐いて、撫子は机に突っ伏した。
「あの人、こっちにも来てたのね」
「一応、もともとあの人の店だしね。お姉さんも、坂さんに会ったの?」
「えぇ、少し前に、石ノ小路に突然やってきたのよ。変わらないわねぇ、あの人も」
突飛だが面白い人だ。お行儀よく生きてきた深月にはできないことをやってのける彼のことは、憧れるような、呆れるような。
「ふぅん、そっちにも行ったんだ坂さん」
撫子は露骨に面白くなさそうな顔で茶をすすった。
「本当に、汐ちゃんのことが嫌いなのね」
「だってアイツはっ——」
言葉が止まり、沈黙が流れる。撫子の視線は少し泳いで手元に落ちた。
「篤士兄ちゃんも、あいつのとこ行っちゃうし」
零した言葉で、ようやく少し合点がいった。もともと相性の悪い汐に、慕っていた篤士がとられたようで面白くないのだろう。
「あんなところ辞めて、うちで働いてくれればいいのに」
「あら、そうなったら汐ちゃんが寂しがるわね」
「そう?あの塩野郎だったら、なんとも思わないと思うけど」
「そんなことないわよ。汐ちゃんは優しい子だもの」
篤士が引き抜かれたとしても、きっと引き留めたりはしない。顔には出さないけれど、内心引きずるタイプだ。
「それに、篤士ちゃんも離れたがらないんじゃないかしら」
「……ふん」
篤士については、撫子の方がよく知っているだろう。世話になった店をそう簡単に見捨てられるような人間ではないはずだ。
「……ねぇ」
「?何かしら」
何の気まぐれか、珍しく撫子から口を開いた。静かな山の中に一人でいる時間が長いと、誰かと話したくなるものなのかもしれない。
「どうして、篤士兄ちゃんがあそこで働いてるか知ってる?」
「それは……相棒を自分の手で磨ける職人になりたいから、と聞いたことがあるけど」
5年前、篤士は気づけば石ノ小路に居て、灰に弟子入りしていた。
あの頃は、唐突な石詠の代替わりが続いて思い出したくもない位忙しかった。そんな中でも、明るい笑顔で活き活きと夢を語ってくれたことは印象に残っている。
「そっか。篤士兄ちゃんらしいなぁ」
「篤士ちゃんとは、幼馴染なのよね?」
「うん、実家同士がお向かいだったんだ」
「そうなのね。子供のころ、篤士ちゃんはどんな子供だったの?」
深月から見た篤士は、いつでも楽しそうに工房で作業をしている好青年だ。幼馴染からみた彼の話も聞いてみたかった。
「子供の頃ぉ……?」
撫子は少し考えて、小さく肩を揺らした。
「今と変わんないかも。いつでも元気一杯で走り回ってたよ」
「ふふ、想像できるわね」
子供らしく遊ぶ姿が目に浮かぶようだ。
「近所の公園とか、よく連れてってもらったっけ」
「いいわねぇ。まるで本当の兄妹みたい」
「え……」
微笑ましい空気から一転。撫子の表情が一瞬で凍り付いた。
「……ごめんなさい、何か気に障ること言ったかしら」
撫子から話してくれたことが嬉しくて、少々油断していたのかもしれない。撫子は固く口を結んだまま、首を横に振った。今までの警戒している様子とは違う、苦しげな表情。まるで、自分を責めているような。
「僕ね、お姉ちゃんが居るんだ」
初めて、身内の話が出てきた。黙って頷き、続きを促す。
「2つ年上で、篤士兄ちゃんと同い年。2人は本当に仲が良くて、いつも一緒だった」
「それで、貴女も篤士ちゃんと仲良くなったのね」
「そうだよ。でも……僕のせいで、ダメになっちゃった」
自嘲するように笑って、泣きそうな声で撫子は続けた。
「5年前、僕はコイツを選んだ。選んじゃったんだ。あの時の僕は、本当にバカだった」
懐から取り出したケースでは、紫水晶が今日も妖しく輝いている。撫子はそれを見て更に顔をしかめた。
「しばらくして、僕はどんどんおかしくなっていった。きっと、こいつの力に中てられちゃったんだね」
初めて石を手にした人間が石酔いするのは珍しいことではない。しかし、石詠になれる程の力を持つ石だ。当時13歳だった撫子に扱いきれるとは思えない。
「制御ができなかった、とうことかしら」
「そういうこと。僕は、酔えなくなった。誰が何を言っても、何も響かなくなったんだ。たとえそれが、好意や優しさだったとしてもね」
まるで、心に目隠しをされているようだ。どれだけ心細かっただろう。
「僕は周りが怖くなって、しばらく部屋に閉じこもってた。親がなだめようとしても逆効果でさ。あの日、お姉ちゃんは僕を助けようとしてコイツを持ち出そうとしたんだ」
「そんなことしたら……」
「そう。見事にコイツのしっぺ返しを食らって、お姉ちゃんは呪われちゃった」
強がるように、おどけた口調で撫子は肩をすくめた。
「僕や篤士兄ちゃんが近づくと、幻覚を見て苦しむようになっちゃったんだ」
「篤士ちゃんも……?」
「きっと、それが一番堪えると思ったんだろうね。どう見てもあの二人は両想いだったから」
随分と、いい性格をしている石だ。
「篤士兄ちゃんは、お姉ちゃんを助ける方法を求めて塩野郎のところに行ったんだよ。もう、どうしようもないのに」
「そんなこと——」
「だって、アイツは助けてくれなかった!」
叫ぶようにそう言って、撫子は目を潤ませた。
「分かるんだ、石詠になった今なら。簡単に解除できるものじゃないって。結局、全部僕のせいなんだ、僕が居なければっ——」
「撫子ちゃん」
震える両肩を力強く掴んで、目を丸くした撫子の顔を真っすぐに見据えた。
「いい?貴女は悪くないわ。だから、そんなこと言わないの」
「でもっ——」
「誰も、悪くないの」
撫子の眼が、僅かに揺れる。
「貴女は勿論、お姉さんもアメシストも悪くないの。だから、誰かを悪者にしたくないからって貴女が自分を責める必要はないのよ」
石を選んだ。妹を守るために行動した。主人と引き離されるのを阻止した。誰も悪くない。ただ、不運が重なっただけなのだ。
「……そう、なのかなぁ……」
「えぇ。あたしはそう思うし、貴女にもそう思ってほしいわ」
撫子の涙がテーブルに落ちるのと同時に、山小屋のドアをノックする音が響いた。
「っ、なんだよ、こんな時に……」
「なっちゃん、居る?」
優し気な女性の声。撫子は乱暴に涙を拭っていた手を止めて、強張った表情でそちらを向いた。
「お、ねぇ、ちゃん……?」




