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10.山小屋にて(上)

山道を歩けるように、今日はスニーカーを履いてきた。途中にある駐車場に車を留めて少し下りた場所にある、辛うじて歩けるように整えられた細い脇道。こんな道を通るのは深月のように場所を知っている人間か、石に呼ばれた客人くらいだろう。以前石ノ小路に訪れた青年のように、自然と足が向くものらしい。うっすらと汗が滲むくらい歩いて、ようやく“山小屋”が顔は出す。ここに来るのは数年ぶりだ。古びた期の扉を叩くと、先日麓で出会った老人が顔を覗かせた。

「なんじゃ、お前さんか」

「こんにちは、撫子さん」

撫子と落ち着いて話ができるように、今は髪を下ろし、眼鏡も外している。

「——入れ。誰かに見られても面倒じゃ」

老人、もとい撫子は意外にもすんなりと深月を中に通した。

「お邪魔します」

石ノ小路と違い店内は薄暗く、木の香りで満ちている。窓から入ってくる風と木の葉の音が心地よかった。

「落ち着くわね、ここは」

「大人気なあちらさんとは違って、客はほとんど来ないしね」

フードを脱ぎながら、撫子は相も変わらず奇麗な顔で毒づいた。

「あたしはこのお店も好きよ。隠れ家みたいで」

「それはどーも。師匠が結界の拠点として開いたお店だから、客が来なくてもどうでもいいんだけどね」

石詠には担当する結界に応じて国から報酬が支払われている。無理に店を構える必要はないというわけだ。

「それで?今日は何をしに来たの。仕事の話じゃなさそうだけど」

「仕事の話もあるけど、その前に貴女とゆっくりお話ししてみたかったの。何も知らない相手と仕事なんてできないでしょう?」

手土産の菓子を差し出すと、撫子は恐る恐る手を伸ばした。

「そんなことのために、わざわざこんなところまで来たの?」

「あら、ここが好きなのは本心よ」

キラキラとしたアクセサリーも多く並ぶ石ノ小路とは違い、この小屋にはほとんど原石しか並んでいない。自然のまま、ありのままでいられる場所。一度フードを外せば飾ることのない撫子の人柄が現れているようだ。

「そんなに棚を見ても面白いものなんてないでしょ。珍しい石もないし」

「そんなことないわ。一つとして同じ石なんてないし、前に来た時とも品揃えが違うもの」

「えっ……?来たことあるの?ここに」


「えぇ。貴女にとっては兄弟子になるのかしら。先代の堤坂(つつみざか)君とは学生時代の同級生だったの。だから彼が石詠になってから何度かここにお邪魔したことがあるのよ」

「坂さんの……」

“山小屋”の前の主人、堤坂は優秀な石詠であり、相応の変人だった。今はどこで何をしているのやら。

共通の知り合いの話が出たからか、撫子は少しだけ肩の力を抜いた。

「あの人の後任がこんなに可愛らしい女の子だとは思わなかったわ。ここには、1人で住んでいるの?」

「……うん。でも、裏の扉を実家とつなげてあるから、不便はないよ」

「そうなのね。それはよかったわ。ご家族はそちらに?」

撫子は小さく頷く。家族との不和で飛び出してきた、というわけでもなさそうだ。

「——ねぇ」

たった2文字に勇気を込めて、撫子は顔をあげた。

「この間の話、なんだけど」

「この間、というと?」

「ほら、篤士兄ちゃんが僕の保護者を遣るって話」

「その話、ね。丁度よかったわ。それも用事の一つだから」

胸ポケットに仕舞っていた眼鏡を取り出し、耳にかける。ここから話すのは、一人の少女ではなく“石詠”桜庭撫子だ。

「戸田様が希望されるのであれば、いくつかの手続きが必要にはなりますが保護者の代行は可能です。ですが……」

「必要ないよ」

「と、いいますと?」

「僕はもう18歳なんだよ?保護者なんて要らない」

「“まだ18歳”です。そういうわけにはいきません」

成人として扱われるまであと2年。この差はどうあっても埋められない。深月の言葉に、撫子は悔し気に唇を噛んだ。

「お願い。仕事はちゃんとやるから」

「……理由を、聞かせていただけますか?」

張りつめた表情に、苦し気な声。背伸びをしたいお年頃、というわけでもなさそうだ。

黙り込んだ撫子との間に、木の葉の揺れる音だけが響いた。

「もう、嫌、だから……これ以上、あの人の重荷になりたくない」

「重荷だなんて、そんな……」

「僕たちのこと何も知らないくせに、適当なこと言わないでよ!」

ピシャリと吐き捨てられて、深月は言葉を飲み込んだ。伏せられていた撫子の、眼が、冷たくこちらを見据えている。こちらをまだ信用していない、品定めの眼。今の深月が何を言っても、きっと彼女には届かない。

「失礼いたしました。確かに、軽率でしたね」

深月が一歩退いて見せると、撫子の体から少しだけ力が抜けたように見えた。ひとまず、正解を引いたらしい。2人の間に何があったのか、深月には知る由もない。口を挟む権利もない。この距離がきっと、今近づける精一杯だ。慎重に次の言葉を探していると、不意に撫子が伏せていた顔を上げ、ドアの方へと目を遣った。

「——ヤだな。普段は客なんてこないのに」

ガサガサと乱雑に草木を掻きわける足音。ほどなくして、木製のドアが勢いよく叩かれた。




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