9.少女の相棒はアメシスト(下)
「痛っ、何……?」
「何、じゃありません!」
呆気にとられる撫子に歩み寄り、肩に手を置いた。
「こんなに可愛らしい女の子を夜に一人で出歩かせるなんてどういう了見なの!」
「いや、そいつ十分強いし、外出るときは変装してるし……」
「言い訳無用よ。どれだけ実力があっても、心細いに決まっているでしょう。どうして教えてくれなかったの」
今日の予定は当然汐にも伝えてある。少女が一人ででてくることは分かっていたはずだ。
「……に、二重人格?」
目を瞬かせながら、固まっていた撫子はこちらを見上げた。
「ふふっ、聞いた?汐ちゃん。貴方と全く同じ反応よ」
「最初は誰だってそうなるでしょ……」
鳩が豆鉄砲を食らったようなあの時の表情は、可愛らしかったので今でもよく覚えている。
「二重人格なんてたいしたものじゃないわ。ただ仕事とプライベートでメリハリをつけているだけよ」
「はっきり分かれすぎでしょ……まるで別人じゃん」
撫子はしげしげと深月を見た後、玩具を見つけた子供の顔で汐に向き直った。
「つーかお前“汐ちゃん”なんて呼ばれてんの?かわいーじゃん」
「深月さんには石詠になる前から世話になってるんだよ」
「懐かしいわねぇ、15年くらい前になるかしら」
出会ったばかりの汐は、今の撫子よりもずっと幼い子供だった。師である先代の後ろで暗い表情で俯いていた子供。大きくなって、なんて親戚のおばさんじみた言葉を何度飲み込んできたことか。
「ふーん……」
撫子はそう呟いて、初めてまっすぐに深月に向き合った。
「それじゃぁ、あいつの弱みとか知ってたりする?」
「聞こえてるぞ」
多少声を抑えたところで、静かな夜にはよく響く。
顔をしかめた汐に、撫子は挑発するように舌を出して見せた。
「残念ながら、汐ちゃんは昔からいい子だったから弱みになるような話は無いわねぇ」
「……ちぇ、つまんない奴」
「お前と違ってまともに生きてるからなオレは」
なんて言いつつ“ありがとう”とアイコンタクトをしてくる汐に、深月はそれはそうれは優しく微笑んだ。
「でも、汐ちゃんの可愛らしいところならよく知ってるわよ」
「深月さん?」
「可愛いぃ?この仏頂面がぁ?」
「えぇ、たくさんあるのよ。例えば猫舌で熱いものが苦手なところとか」
「深月さん??」
出来立ての食べ物を食べるとき、淹れたての飲み物を飲むとき、こっそり息を吹きかける癖があることを深月は知っている。
「20歳の誕生日に初めてお酒を飲んだときなんて……」
「深月さん!」
さすがに喋りすぎただろうか。汐は慌てて深月に駆け寄り、口をふさいだ。
「そういえば、俺も汐さんと酒飲んだことないや。今度一緒に——」
「絶っっ対に嫌だ。二度と飲むかあんなもん。もし店に持ち込んだら工房から追い出すからな」
「そ、そこまで……」
虫を見るような顔をしている汐の横で、黒い瞳が対照的に輝く。
「へーーーぇ?お前お酒飲めないんだぁ?」
「……先程のお話ではまだ未成年というお話しだったハズですが」
「へっ、あっ……」
「まるで飲酒の経験があるかのような口ぶりですね?」
「違っ、違う違う!!」
再び篤士の後ろに隠れながら、撫子は自分の胸元を探り手のひら大のケースを取り出した。
汐も使用している、石を保護する魔術のかけられた原石を持ち運ぶためのケースだ。中に鎮座しているのは、こちらも夜がよく似合う紫色のクラスター。月明かりがその先端をうっすらと紫色に照らす。
「さっきの黒水晶は僕の懐刀。僕の相棒はこっち」
「成程、アメシストですか。それは酔わないでしょうね」
深月がそういうと、撫子は勝ち誇ったように汐を見上げた。アメシストは“酔わない”が語源だと言われている。この可憐な石詠が成人してお酒が飲めるようになっても、一生酔うことはないだろう。
「別に、酒が飲めなくても困らないし」
「ふふ、そうね。無理はしないほうがいいわ」
汐は分かりやすく渋い顔をして、大きく息を吐いた。
「とはいえ、仮にも未成年なのでしたら一度保護者の方ともお話をしておきたいですね」
「えっ……」
得意げな表情から一転、撫子は大きく目を見開いて顔を伏せた。
「親、とは一緒に暮らしてない、から……」
「そうでしたか。と、いうことは今は山小屋で一人暮らしを?」
コクン、と小さくなった影が頷く。それをかばうように、篤士は腕を広げた。
「俺がやるよ、その保護者の役目!」
「ですが……」
「お願い、深月さん」
只々石が好きで、自分の夢に真っすぐな青年。そんな篤士にしては珍しく、覚悟の決まった顔をしていた。
「……かしこまりました。それでは後日、改めて説明にお伺いいたします」
覚悟には、相応の態度で応えてやりたい。
「ありがとう、深月さん!」
篤士の顔は、明らかにホッとしていた。後ろから、撫子もじっとこちらをうかがっている。この娘の中で、まだ自分は敵でも味方でもない。少しずつ、信頼を得るしかないだろう。
「それじゃぁ、今日はもう遅いから解散しましょうか」
「はーい。それじゃ、俺はなぁこを送っていくよ」
「別に一人でも帰れるよ」
「だーめ、危ないだろ」
「篤士ちゃん、よろしくね。——そうだ、これを」
深月が指を伸ばすと、篤士の前に丸い光が灯った。
「明かりと、簡単な魔除けよ。桜庭様の足元にも及ばないけど」
「——ふぅん、月みたい」
「私の相棒は、ムーンストーンですから」
月明かりと光の反射をイメージした、深月の一番の得意魔術だ。撫子は少しだけ身を乗り出し、その目に深月の作った月が浮かんだ。
「……悪くないね」
最後にほんの少しだけほころんだ顔を見せてくれたから、“山小屋”との顔合わせは成功といっていいだろう。2人が山道に入るのを見送って、深月はホッと息をついた。
「楽しそうだったわね」
「ん?」
「あの娘と話しているとき、いつもより活き活きしてたわよ」
普段は大人な汐が、あんなふうに憎まれ口をたたくのも珍しい。石詠同士、彼なりに後輩を可愛がっているのだろうか。
「そんなつもりはないけど、あいつはオレにとって青汁みたいなもんだから」
「あ、青汁?」
夜がよく似合う美少女と青汁。どうやっても頭の中で繋がりそうにない。戸惑う深月に、汐は分かりやすく苦い顔をして見せた。
「オレは石の性質上人から敵意を向けられることなんてないからさ。あぁやって正面から突っかかってくる奴は新鮮なんだよ」
「それがどうして青汁に?」
「人間らしく生きるためには、一人くらい自分を嫌っている人間がいたほうが健全でしょ。
苦いけど健康に良い青汁みたいにさ」
「言いたいことは分かったけど、女の子を青汁に例えるのはどうかと思うわよ……」
要は良薬口に苦し、というわけだ。先程の汐を見ると、案外効果があるのかもしれないと深月は思うのだった。




