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「あの、それでは、わたしたちはこれで失礼します。その、まだいろいろとやることがあるので……」


 そう言ったエミリアは、ハーナウ子爵領に戻って父と話をつけてくると、嵐のように去っていった。領地のことや義母義姉のこと、それから婚約のことについて、話さなければならないことが山のようにあるらしい。これから忙しくなります、と言う彼女の顔は生き生きとしていた。

 当然のような顔をしてフリッツも彼女についていった。


「……ヴィルマー」


 二人が去った後、ベティーナが疲れたような吐息を吐き出す。


「なんだかわたくし、先を越された気分なのだけど……」


「……俺も似た気分だ」


 ベティーナもヴィルマーも良い年して、恋人も婚約者もいない。

 二人とも、それはある意味で意図的なことであったが、エミリアとフリッツの婚約話を聞いてなんとも置いて行かれた気分になっていた。

 昨日まで教え導いていた子供が急に大人になってしまったような寂しさもある。


「まさか婚約とはな……。いずれ可能性はあるとは思ったが、行動力が並じゃないな」


 さすが辺境伯家の跡取りだ。考え方から決断力からヴィルマーとはまるで違う。


 ――何が正解か分からないなら明らかな間違いでもいい。


 まさかそんな答えを導き出してくるとは思わなかった。

 この世に正解などないと思っていながら、それでも誰かから見た正解に縛られていたのは、ヴィルマー自身だったのかもしれない。


 明らかな間違いでもいいと振り切れたのは幼さゆえの無謀だろうが、幼かろうがヴィルマーには絶対に出て来ない発想だった。


 まったく、フリッツが羨ましい。

 ヴィルマーができなかったことを、あっさりとやってのけるフリッツが。



 *



「……結婚は逃げではない、ね……。そう、そういう戦い方も、あるのね……」


 ヴィルマーが思考に沈む横で、ベティーナもまた自分の思考に沈んでいく。


 ベティーナにとって、ずっと結婚は逃げだった。


 父に言われるがまま嫁いで、父に認められた気分になるだけの、逃げ道。


 ベティーナはそれが嫌だった。本当の意味で父に認められず、ただ国に居られては邪魔だからと、どこか遠くへ追いやられるのは嫌だった。


 姉や妹のように望まれたかった。父に望まれ、相手国に望まれて嫁ぎたかった。


 そのために酷い態度を取って婚約話をふいにしてきたのは我ながら愚かだとは思ったが、生来、ベティーナは不器用だった。不器用なりに意志を貫き通すことしかできなかった。


 でも、エミリアの言葉で少し考え方が変わった。


 婚姻を利用して、逃げるのではなく、戦う。父に認められるのは、何も嫁ぐ前である必要はないのだ。嫁いでから認められても遅くはないのだ。次の縁談は、もっと前向きに考えよう。そう思った。





 二人の間を強く吹きぬけていった風は、凪いだ湖面を波立たせていた。



ここで前半部分は終了です。

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