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「……は? 今、あなたなんて言ったの?」


 昼下がり。

 じりりと肌を焼く太陽を遮るパラソルの下で、ベティーナはぽかんと口を開けた。


 ベティーナが問いかけた相手は、昼過ぎにエミリアを伴って訪ねてきたフリッツだ。湖畔に吹く涼やかな風が、ツンツンとした彼の紅い毛を小さく揺らす。彼はベティーナの問いに答えるべく、もう一度先ほどと同じ台詞を吐く。


「……エミリアと婚約することになった」


「は……はああぁぁっ!?」


 ベティーナの驚きの悲鳴に、フリッツはうるさそうに耳を塞ぎ、隣に座るエミリアが肩を飛び跳ねさせた。

 ベティーナの大声に慣れているヴィルマーだけが平然と紅茶に口をつけた。暑い日にぴったりの爽やかなレモンティーだ。


「な……な、何があったら昨日の今日でそうなるのよっ……?」


「何って、エミリアを傷つけずにそばにいるなら、正当な理由があった方がいいだろ? 俺とエミリアは互いに跡継ぎだったから、今までその発想に至らなかったけど……」


 アドヘルム辺境伯家には息子が一人。ハーナウ子爵家は、再婚によって二の人娘が増えたが、正真正銘血の繋がった娘はエミリア一人だけ。

 フリッツもエミリアも、二人とも将来、爵位と領地を受け継ぐことが決まっていた。だからフリッツもエミリアも互いに惹かれはすれど、婚約などという単語は浮かびもしなかったという。それは、家を背負う者としてしっかり教育されてきた証だ。

 しみついたその考えを変えるきっかけは、間違いなく昨日のできごとにあったのだろう。フリッツがヴィルマーを一瞥して悪戯げに笑う。


「何が正解か分からないなら明らかな間違いでもいいかと思って、父上に相談したんだ。そうしたら、快諾された」


「快諾」


 あまりに驚いたのか、ベティーナがオウム返しで呟く。

 彼女が驚くのも無理はない。ヴィルマーも控え目ながら驚いていた。


「まあ、昔から家どうしの付き合いはあるし、父上とエミリアも知らない仲じゃないからな。跡継ぎって話も、まあ、ハーナウ子爵は再婚して娘二人いるんだから心配ないって」


「え、エミリアはそれでいいの……!? 跡継ぎなら、勉強も頑張ってきたんでしょう!? それに、()()()()()()()()()()()なんて――」


「に、逃げません……!!」


 ベティーナの言葉を、エミリアが遮る。

 青紫の瞳には、涙ではなく決意が宿っていた。


「わ、わたしは、お義母様とお義姉様たちと戦うために、フリッツ様の提案をお受けしたんです」


「た、戦うですって……?」


 ベティーナはもう、驚きっぱなしだ。


「わたしはずっと……ずっと、お父様に認められたかったんです。お父様の役に立ちたかった。でも、そのためにどうしたらいいか、分からなかったんです。――いえ、分かっていたけれど、行動に移す勇気がなかったんです……」


 でも、とエミリアは俯きかけた顔をあげる。


「でも、王女様に素敵な言葉をかけてもらいました。ここで勇気が出なかったら、きっと、もう、わたしは一生弱虫のままです。だから、決めたんです」


 昨日情けなく涙をこぼしていた少女と同一人物なのか疑いたくなるほど、毅然とした表情でエミリアは言葉を紡ぐ。


「お義母様たちに負けずに立ち向かってみせるって、決めたんです」



 *



 そもそもエミリアの父が再婚したのは、鉱山での落盤事故が発端だった。


 ハーナウ子爵領の経済は、小さな鉱山から採れる鉱石に支えられている。しかし、エミリアの実母が亡くなる少し前、鉱山の一つで落盤事故が起きた。


 よりによって、最も貴重な鉱石が採れる山だった。


 主産業への打撃を受けたことで、領地の収益が減った一方で、怪我をした鉱夫やその家族への補償金、崩れた坑道の修繕費用などを賄う必要があった。


 そんなときに母親の死が重なり――父親は、領地を立て直すために、再婚を選んだ。エミリアに、何の相談もなく。


 義母の実家は、大きな商家だった。

 父は、義母がもたらす莫大な持参金を当てにしたのだ。


 しかし、義母との縁は、結果から言えば、あまりハーナウ子爵領を助けることに繋がらなかった。


 義母たちは、家の中でエミリアをいびるだけでは飽き足らず、町の中でもその横暴さを発揮していたのだ。


 子爵夫人・令嬢なのだからと高圧的な態度を取り、時には無理のある期日で宝石加工職人たちを働かせることもあった。腕のある職人たちは皆高齢だ。無理をして働いたせいで身体を壊した者は何人もいた。


 領主の娘として、頻繁に町の様子を見に行っていたエミリアは、町の人たちの助けを求める声を何度も聞いた。

 活気を失っていく町の様子をこの目で見た。

 でも、何も行動を起こせなかった。


 父は常に忙しくしていてエミリアのために時間を作ってはくれなかったし、義母や義姉たちに何かを言えば怒鳴り散らされるか、最悪お仕置き部屋に閉じ込められる。何かができるわけがなかった。


 どうにかしたいと思いながら、どうにもできないと諦めていた。

 だって、所詮エミリアは、泣き虫の弱虫だ。子爵令嬢と言っても、何の力もない。


 そう、思っていた。


 いや、今もそう思っている。

 それでも、変わると決めた。憧れと目標と、それを達成できる方法を見つけたから。

 美しい王女様に恥じない自分になると、決めた。


 だから、自分にできることを少しずつ進めていくのだ。


 領地のために、父は再婚を選んだ。

 だが、それは上手く行っていない。領地と領民のことを思うのなら、義母や義姉を大人しくさせるか、追い出すべきだ。


 それができないのは、義母の実家に借金があるからだ。

 だからエミリアがすべきことは、借金を全て清算して義母と義姉の好きにできない状況に追い込むことだ。


 今朝、フリッツが婚約の話を持って来たときは、驚いたがチャンスだと思った。

 力を持たないエミリアが、後ろ盾を得るための、好機だと。

 でも、フリッツを利用するような真似はしたくない。必要以上に頼りたくもない。一方的な関係は、嫌だ。

 返答を迷っていると、フリッツは言った。


「あのな、エミリア。誤解すんなよ。これは、お前のためだけの話じゃない。うちにとっても利がある話なんだ。じゃなきゃ、父上はこんなあっさり許可しない」


「え……?」


「要はまあ、あんまりあれこれ考えんなってことだ。エミリアは、言わないだけでいろいろ考えてるだろ? で、何が一番いい選択肢なのか、分かってる。ただ、いろいろ考えすぎるせいで選べないだけで」


「……」


「エミリア。貴族にとって『結婚』は契約で戦略だ。裏に打算があるのは当たり前。言ってる意味、分かるよな?」


 エミリアは小さく頷いた。

 フリッツは利用するのはお互い様だと言ってくれているのだ。

 それはきっと、エミリアのために。


 だからエミリアは、彼の手を取った。


 利用しあうというと、聞こえはわるいけれど。


「……フリッツ様が困ったときは、絶対に助けます」


 それは、助けあうとも言い換えられる関係だ。


 そう思ったから、エミリアは決意した。



 *



 ああ、エミリアは確かに「跡継ぎ」として教育されてきたのだと、ヴィルマーは苦笑する。

 きちんと結婚を手段として見ている。望むものを得るための道具として見ている。

 そして彼女の目は、父親を通り越して領地の民を見つめている。


 いくら弱々しく見えても、おそらく、根本的な部分で彼女は弱くはないのだ。


 昨日ベティーナに何を言われたのか分からないが、ベティーナの言葉が覿面に効いているのは確かだった。エミリアの持つ芯の強さを、こうして引き出したのだから。


「王女様。わたし、頑張りますね」


 にこり、と浮かべた笑顔は可憐でありながら、強く、美しかった。



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